いざ鎌倉
鎌倉将軍の家来である御家人の心意気を表す。鎌倉に一大事があれば、何をおいても真っ先に駆けつけるという決意を述べた言葉だ。だからしばしば「一大事」が「いざ鎌倉」と表現される。
ブラームスにとっての「いざ鎌倉」はクララの死だ。1896年5月22日にイシュルで訃報を受けその夕刻には出発したが、列車の乗り違いなどの不手際の結果、24日の早朝にボンに着いたことは昨年11月18日の記事「乗り過ごし」で述べた。イシュル-ボン間750kmを36時間かけていることになる。
さてクララの夫、ロベルトがライン川に投身した時も「いざ鎌倉」だった。1854年2月27日だ。ロベルトは相当な有名人だったから、おそらく新聞にも載っただろう。ハノーファーに居たブラームスは翌28日にはこのことを知ったと思われる。クララの日記には急を聞いて次々と知人が訪れたことが記録されている。ブラームスのデュッセルドルフ到着はおそらく3月4日だ。3日という説と5日という説もあるらしいが、一応中を取って4日と考えておく。この年はうるう年ではないから知らせを聞いてから遅くも5日後の到着だ。
一命をとりとめたシューマンの入院先が決まり、何かとあわただしい中、ブラームスはシューマン邸から至近のポストシュトラーセに部屋を借りた。この年の年末までシューマン家に献身することになる。
そういえば最近、誰かのために走っていない。
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