大学都市
ブラームスに哲学の学位授与を申し出て、大学祝典序曲のキッカケを与えたのはブレスラウ大学だ。オフィシャルな創立は1811年だが、その前身はさらに100年は遡るという。
欧州における大学の起源を調べているとパリにたどり着く。12世紀の昔、パリに神学を教える者が多く現われた。いわば私塾だ。その私塾がギルドのように横の連帯をとった。この連帯のことをラテン語で「ウニウェルシタス」と呼んだらしい。英語で大学つまり「University」の語源である。同じ頃イタリア・ボローニャには法学を得意とするウニウェルシタスがあった。
ドイツ語圏となると大学の創立は約200年遅れる。1348年神聖ローマ皇帝カール4世、チェコ風にいうカレル4世によって立てられたプラハ大学がその嚆矢となった。1367年創立のウィーン大学と1386年のハイデルベルク大学がこれに続く。ちなみにここはロベルト・シューマンが在籍したことで知られている。それやこれやで宗教改革までに約20弱が創立されたという。18世紀にはドイツ・オーストリアで40を数え、フランス、イギリス、イタリアを大きく引き離す数となった。しかし、このことはドイツの文化的優越を示すものではない。
宗教改革以降、30年戦争を経て確立した小国の集まりという歴史的な経緯が物を言った。現在の州とほぼ同等の領邦が、それぞれ独自に大学を持ったのだ。いわば1国1大学状態だ。ドイツでは中小の都市にも立派な大学があるというのはこのためだ。
1730年代創立のゲッティンゲン大学は名門の誉れが高い。まるでポケットから葉巻でも取り出すように、次々とノーベル賞受賞者を輩出した。
1853年、レーメニーと決別したブラームスはゲッティンゲンに夏の休暇を過ごすヨアヒムを訪ねる。ゲッティンゲン大学の創設者はハノーファー侯だから、ハノーファーのコンサートマスターだったヨアヒムにはうってつけだ。ブラームスは大学の授業をともに聴講して友情を深めた。のちにバッハ伝を著わすシュピッタと知り合ったのもここゲッティンゲンだ。そして婚約までかわしたアガーテの父親は、ゲッティンゲン大学の教授だ。
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