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2009年4月11日 (土)

エルベの東

ブラームスの故郷ハンブルクは、エルベ川に面している。チェコに発して北海に注ぐこの大河は、ドイツの歴史地理上重要な意味を持っている。ドイツの北東部を南東から北西に貫流するエルベ川を境に民族のキャラが変わっているらしい。本来の根源的な意味でのドイツは、この南西側を指していたという。

はるか昔11世紀。欧州史のエポック十字軍が始まった。エルサレム奪還という旗印のもと大遠征が企てられた。しかしドイツの諸侯たちのノリは今いちだった。理由は簡単であまりうまみが無かったのだ。エルサレムを奪還したところで所領が増える訳ではないからだ。

教皇は、その空気を読んだ。キリスト教勢力の拡大を前提にエルベ川南西の諸侯による東方への勢力拡大にお墨付きを与えた。こうなると現金なもので、ドイツの諸侯はエルベ川を越えて勢力の拡大を図った。こうして新たに加わった所領を「エルベの東」(オストエルベ)と言った。

東征の先端は、エルベ川どころか、現在のドイツ-ポーランド国境を形成するオーデル川も超えて、現ロシア領のカリーニングラードに及んだ。

1770年普仏戦争に勝利しドイツ帝国成立の立役者となったプロイセンの故地は、このカリーニングラードである。ブラームスは当時ケーニヒスベルクと呼ばれていたこの街を、演奏旅行で訪れている。当時の感覚からすれば外国ではなく、プロイセンの国内という認識だったと思われる。

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