作品の整理
1891年弦楽五重奏曲第2番の完成後、ブラームスは創作力の衰えを感じて、作曲から手を引くという決心をしたことは、大抵の解説書に書いてある。作曲はせずに過去の作品の整理に徹するという決意だった。クラリネットの大家リヒャルト・ミュールフェルトに出会って、その決意を撤回したこともまた有名である。
「作品の整理」とは何ぞや。
- 過去の作品の改訂
- 未出版作品の内、出版の価値のある作品の再発掘
- 価値の無い草稿の廃棄
1891年に改訂されたピアノ三重奏曲第1番ロ長調は、上記1に当たるという可能性を考えている。上記2が、「6つの四重唱曲」op112と「女声合唱のための13のカノン」op113として結実した。そしておそらく「49のドイツ民謡集」WoO33も該当するかもしれない。上記3は確認しようがない。
このことは示唆に富んでいる。
- 創作力、つまり新たに作品を生み出す能力の涸渇を自覚しても、作品の整理は出来るとブラームスが考えていた証拠だ。残された草稿から価値のある作品を見つける能力、出版にあたり細部を校訂する能力は、創作力の涸渇にも関わらず保存されるということに他ならない。
- 1891年の段階で、未出版の作品が相当量備蓄されていた証拠でもある。
実は私がせっせとブログの記事を備蓄する理由は、この2点で言い尽くされている。ブラームスの創作力には及ぶべくも無いが、今はブログの記事が頭の中で湧いて出る。けれども年齢を重ねれば、やがて衰えることは自明である。それでも備蓄した記事の価値や意味を認識し、それらを推敲する能力は保存されるということだ。記事公開の適切なタイミングを判断する能力も同様と思われる。
記事を思うように生み出せなくなった時、十分な備蓄があればブログは続く。やがてミュールフェルトのような芸術的刺激に出会えば、創作力が復活することもあり得る。
« 人の声の位置づけ | トップページ | 歌姫 »
« 人の声の位置づけ | トップページ | 歌姫 »
コメント