シュピッタへの引導
シュピッタは19世紀最大のバッハ研究家だ。同時にブラームスの友人でもある。2人の出会いはゲッティンゲンだ。ブラームスやヨアヒムと友好を深め、ともに当地の大学の講義を聴講した。
若い頃作曲を志したシュピッタだが、ゲッティンゲンで同席したブラームスの才能に接して方向転換したとされている。あるいはヨアヒムともこのとき知り合ったに違いない。音楽を志す者としてこの2人から得た衝撃は大変なものだっただろう。ヨアヒムを見て演奏面の限界を悟らされた上、ブラームスに至っては作曲と演奏の両方が既に彼岸の領域にある。シュピッタに対するブラームスの言葉が記録されている。
「いいですか作曲なんぞ私でも出来る」
この言い回しを皮肉と取るか、最高級の励ましと取るか難しいところだ。会話がかわされた2人の信頼関係に左右されよう。シュピッタの作曲の腕前と、音楽知識全般を知り尽くした言葉なのだろう。シュピッタは皮肉と取らなかった。作曲でも演奏でもない新たな境地を切り開いて行くこととなった。
その後シュピッタは現在に至るまで色あせることのない大著「バッハ伝」を著すことで面目を保ち、ブラームスから絶賛されるに至る。
もし私が続くとしたらシュピッタの後だ。
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