結婚のお祝い
ドイツレクイエムの初演が4月10日だったことも、そこに華麗なメンバーが集まったことも既に言及した。初演に立ち会った華麗なメンバーの中にアガーテはいなかったのだろうか。いろいろ書物をあたったがその痕跡は発見できなかった。ブラームスとの破局の後、アガーテは1863年に外国に渡ったらしいから無理もない。
さてレクイエム初演のための準備を任されたのはラインターラーという人だ。ブレーメンの大聖堂のオルガニストだ。だから当然敬虔な信仰の持ち主だ。ドイツレクイエム初演の準備段階で、意見を述べている。
それによれば、ドイツレクイエムは死によって残された人々への慰めに軸足があって、死の恐怖や最後の審判への怖れが十分に盛り込まれていないという。加えて神の慈悲のありがたさの描写も不十分だと指摘している。ブラームスはこの指摘にも全くひるまない。この交渉は難儀だったらしく、両者の間で妥協が成立した。
第3楽章の後にヘンデルの「メサイア」からのアリア「我知る、我あがなう者はなく」を挿入するという妥協案だ。自作の間に他の作曲家の作品を挿入して演奏することをブラームスが承伏したのは、初演が水の泡になっては元も子もないという計算も働いていたことだろう。初演当日ヨアヒム夫人によるこのアリアはうまくいった。少なくともドイツレクイエムの足手まといにはならなかった。つまりブラームス自身の指揮による初演は成功したのだ。
だから同じブレーメンで4月28日にラインターラーの指揮で再演の運びとなる。この時、第3曲の後に挿入された作品を見てぎょっとした。ヘンデル「メサイア」からのアリアに代わってそこに置かれたのはウェーバーの歌劇「魔弾の射手」から第2幕第3場ソプラノのアリア「祈りの歌」だったのだ。宗教的な不足を補う妥協として入れられたのが「メサイア」なら判る気もするが、「魔弾の射手」で用が足りるのか心配になる向きも多いと思う。一応このアリアはプロテスタントの賛美歌にもなっているくらいだから、ひとまず合格なのだろう。しかしドイツレクイエムに挿入された時は賛美歌の歌詞だったかどうかは不明である。オリジナルなら主人公マックスの恋人アガーテが純白の花嫁衣装に身を包み、祭壇の前で歌うアリア、恋人と結ばれることを切実に祈るアリアだ。一部ではこのアリアは「アガーテの祈り」とも呼ばれている。
恋人と結ばれることを切実に祈るアガーテ。
私のようなブラームス愛好家にとってこれは切なすぎるモチーフだ。弦楽六重奏曲第2番第1楽章小結尾主題にその名を残すアガーテ・フォン・ジーボルトは、何せ元婚約者だ。ブラームスの伝記上おそらくクララに次いで重要な女性だ。「アガーテぇ~」ってなモンである。この選曲誰の指図だろう。再演の指揮者ラインターラーか。
4月10日の初演には、ブラームスの新旧の知人オンパレードだったが、さすがにアガーテはいなかったのだろう。一方4月28日の再演には初演に比べれば身内は少なかったに違いない。アガーテがこっそり遠路聴きに来るにはかえって好都合だろう。
この選曲は、ブラームスの密かないたずら。もしかするとアガーテの来場を察知したブラームスのひそかなメッセージではないかと疑っている。来場とまで行かなくても、この演奏会の様子が新聞にでも載れば、アガーテ本人がそれを読む可能性は低くない。この選曲それ自体がブラームスの隠されたメッセージだということはあるまいか。何しろアガーテはヨアヒムも絶賛したソプラノの歌い手でもある。誰の選曲かわからぬ以上推測だが、ブラームスの関与はあると思う。
さらにだ。ブラームス愛好家にはドイツレクイエム初演の年として記憶される1868年だが、実はこの年アガーテが衛生顧問官シュッテと結婚した年でもあるのだ。この時の選曲がブラームスからアガーテへのメッセージ、つまり結婚祝いである可能性を心に留めておきたい。
第3曲の後にこのアリアを入れ、第5曲をカットしたバージョンをiPodで無理やり作って聴いてみた。クラリネットに導かれる冒頭こそ敬虔な感じだが、そこはさすがにアリアで、歌手のテクニックの披露に十分過ぎる配慮がされている。レクイエムに挿入されるには少々あられもない感じがする。
しかし、この際アリアがレクイエムの曲調になじむかどうかは、さしたる問題ではあるまい。「アガーテの祈り」というモチーフこそが大切だったと思われる。
お叱り覚悟だ。この出来過ぎを偶然であると放置するにはこらえ性が足りていない。
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