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2009年6月30日 (火)

50ヶ月連続フルマーク

本日のこの記事が無事にアップされたことによって、ブログ「ブラームスの辞書」は50ヶ月連続して毎日更新を達成したことになる。開設は2005年5月30日だったから、最初の月は2日だけだが、その後49ヶ月一日も欠かさず記事の更新が出来た。

ブログの右サイドバーにカレンダーがある。記事が更新された日には、日付の数字の下にアンダーバーが示される。月間全ての日にこのアンダーバーが付いた月が50ヶ月続いたということだ。

同じく右サイドバーのバックナンバーをクリックすると2005年5月を皮切りに、2009年6月まで50個の月がズラリと並ぶ。どの月もみな更新の抜けた日がない。

前回は2007年10月に「30ヶ月連続フルマーク」として言及した。毎月話題にしてしまっては緊張感が薄れるから、次は「100ヶ月連続フルマーク」ということにする。それは2013年8月だ。

謝恩クイズ実施中

2009年6月29日 (月)

ヒント

問題解決のアシストとして出題者側から提供される情報とでも申し上げておく。

出題者側の意図によって、大きく性格が変わってくる。考えさせることが目的であるなら、情報は小出しになる。一方で考えさせることよりも応募させることが目的の場合には、ほぼ答えたも同然の情報がヒントと銘打って提供される。

昨日出題した「謝恩クイズ」にもヒントを添えておいた。本日の記事はその補足である。

アイデアはかなり以前から暖めていた企画だ。正解のカテゴリーは今、いわゆる「隠しカテゴリー」になっている。記事が既に28本あるから、応募状況をみて操作することは無い。その意味では十分客観的だ。

出題が6月28日。結果発表が7月28日。そして問題がカテゴリー28だ。さらに賞品は「ブラームスの辞書」op28である。28という数字が並ぶ。「28」自体はヒントでも何でもないから、単なる小さなこだわりだ。昨年の9月からカテゴリー「66 空席状況」で「op28」を売り切れ扱いにしてきた。このクイズの賞品にするためだ。

不安もある。ブログ「ブラームスの辞書」としては初めてとも言える「読者参加型イベント」だ。読者の自発的なコメントは、従来からいただいていたが、こちらから「ご応募お待ちしています」という趣旨のイベントは初めてだ。不手際があるに違いない。

何よりもまず難問だと思う。

正解者どころか応募者が全く現れない覚悟は出来ているが、はっきり言って奇問の域だ。だから正解を発表したらブーイングということもあり得る。話のタネ、記事のタネと割り切った。どれほど落ち込んでも、ブログの継続が危なくなる事態には至らぬと思われる。

賞品は「ブラームスの辞書」だ。これも微妙。今回最大の賭け。もっとも優遇されるべき人たちには魅力的な賞品ではないかもしれない。つまり既に「ブラームスの辞書」を買い求めてくれた人々は、賞品でもう一冊もらっても扱いに困るだろう。その他正解者に賞品発送を辞退されたら相当落ち込むに決まっている。けれども賞品はこれ以外にはあり得ない。加えて賞品をお送りするために、お名前と住所と電話番号をお聞きすることになる。個人情報の最たるものだ。悪用はせぬが不安と思われるのも無理はない。お近くならどこかで手渡しもOKだ。これなら個人情報を私に告げなくてもいい。

カテゴリー「74 謝恩クイズ」を創設したほか、左サイドバナーの「おみくじ」の下に、掛け軸を配置し、皆様に広く告示することとした。

この先締め切りまで毎日の記事末尾において「謝恩クイズ実施中」をアピールする。

この記事のどこがヒントなのだという突っ込みは無しで。

2009年6月28日 (日)

謝恩クイズのお知らせ

ブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスが20万を超えた。そしてまもなく書籍「ブラームスの辞書」は刊行4周年を迎える。日頃のご愛顧に感謝する企画を考えていたがこのほど実施要項がまとまった。

ブログ読者の皆様を対象にしたクイズを下記の要領で実施する。

<応募方法> 

  • 本日のこの記事へのコメントで答えをお寄せ下さい。
  • その際のお名前はもちろんハンドルネームでOK。
  • メールアドレスをお聞かせいただくことになります。
  • 締め切りは2009年7月28日正午。

<結果発表>

  • 2009年7月28日のブログ「ブラームスの辞書」の記事で行います。

<賞品>

  • もっとも早く正解をお寄せ頂いた方に「ブラームスの辞書」op28を差し上げます。
  • 賞品は、ご希望の場所にお届けします。

<問題>

まず、ブログ「ブラームスの辞書」の左サイドバナーの「カテゴリー一覧」をよくご覧下さい。そこにはカテゴリーに番号が付与されており、現在「1 用語解説」から始まって「99 ブラームス神社」まで74のカテゴリーが稼動中です。

お気づきの方は多いと思う。このうち「カテゴリー28」が欠番になっています。

カテゴリー28のタイトルを当てて下さい。

ヒント

  • カテゴリー28の前後、正確には26から39までは、「音楽のジャンル」が並ぶ。その流れに乗っている。
  • カテゴリー73も空いているが、それはまた後ほど。
  • 私の性格同様ひねっている。私の性格はブログを熟読して下さい。

謝恩クイズダービーはこちら

正解はこちら

2009年6月27日 (土)

歌曲特集総集編

年初から続けてきた歌曲特集が本日フィナーレとなる。最後にここ半年に公開した歌曲ネタを一覧化してケジメを付けたい。

<1月>

  1. 1月 3日「佳き人よく見」 天武天皇御歌と子守歌op49-4の話。
  2. 1月 5日「狼煙」 歌曲特集の開会宣言。生誕200年への挑戦。
  3. 1月 9日「Salamander」 つれない女性の比喩だがポケモン・ヒトカゲのモデル。
  4. 1月14日「mit Laune」 陽気にではなくて空元気。
  5. 1月17日「出会えて良かった」 歌曲との出会いを慶ぶ。
  6. 1月23日「歌曲の中のフォルテシモ」 レアな瞬間。
  7. 1月28日「歌曲の曲順」 曲順に物を言わせる。

<2月>

  1. 2月 6日「歌手たちのブラームス度」 アルバムの選曲に見る歌手の個性。
  2. 2月 8日「発想の転換」 器楽曲は歌曲の海に浮かぶ島。
  3. 2月13日「愛の証」 苦難に打ち勝ってお姫様と結ばれるパターン。
  4. 2月14日「オフィーリアの歌」 ブラームスのバレンタインソング。
  5. 2月17日「リートの競作」 ブラームスに絡む同テキスト異曲リスト。
  6. 2月25日「とてもかなわない」 スカルラッティのソナタをイントロに据える歌曲。
  7. 2月27日「チャンポン」 発想用語におけるイタリア語とドイツ語の併存。

<3月>

  1. 3月 1日「歌のあるスケルツォ」 ユッヘーop6-5について。
  2. 3月 3日「Geheimnis」 タイトルと発想用語のシンクロ。
  3. 3月 8日「テキスト採用ランキング」 ブラームスにテキストを供給した詩人たち。
  4. 3月11日「マルキーレン」 鼻歌では失礼か。
  5. 3月15日「アルトの出番」 声楽におけるアルトの位置づけ。
  6. 3月19日「白玉2個」 2分音符2個のイントロ。
  7. 3月24日「楽器の王様」 楽器の王様は人間様の声だ。
  8. 3月30日「歌曲の王子」 シューベルトの後継ぎ。

<4月>

  1. 4月 3日「辞世」 ブラームスの命日に「4つの厳粛な歌」の話題。
  2. 4月 6日「46の和音3連発」 リーズルに叱られたブラームス。
  3. 4月17日「平均律歌曲集」 休憩明けのおバカ企画。
  4. 4月20日「歌曲コンプレックス」 カテゴリー「31 歌曲」の記事が100本に到達。
  5. 4月21日「不惑考」 1911年ドイツ男性の平均寿命は「枯れた40歳」のイメージ。
  6. 4月22日「人の声の位置づけ」 声のための楽譜には音楽用語が少ない。
  7. 4月24日「歌姫」 ブラームスの周囲に現われた女性歌手たち。
  8. 4月26日「少年の魔法の角笛」 ヨアヒム夫人は只者ではない。
  9. 4月29日「セレクトという芸術」 詩を選ぶ能力について。

<5月>

  1. 5月 1日「Luft」 空気が読めるブラームス。
  2. 5月 2日「歌曲の長短」 最長の歌曲と最短の歌曲。
  3. 5月 4日「カルベック」 ブラームス伝の著者にして「Nachtwandler」の作詞者。
  4. 5月 5日「谷の百合」 2つの交響曲の間の挟まれた歌曲たち。
  5. 5月 6日「イブに聴きたいブラームス」 ブラームスの誕生日を控えて。
  6. 5月 7日「4つの厳粛な歌」 自ら最後の誕生日を祝う歌。
  7. 5月10日「愛鳥週間」 ブラームス歌曲のテキストに現われる鳥たちのリスト。
  8. 5月11日「小夜鳥」 父の詩にブラームスが曲をつけ夫の伴奏で歌う果報者。
  9. 5月12日「動物索引」ブラームス歌曲に現われる動物たち。
  10. 5月13日「ネコ不在」ブラームスの歌曲にネコが現れない。
  11. 5月14日「Lerchengesang」ひばり。
  12. 5月15日「バラ」ブラームス歌曲に最も頻度高く現われる植物はバラ。
  13. 5月16日「もう一つのナイチンゲール」クラリネット奏者ミュールフェルトのこと。
  14. 5月17日「図鑑」カテゴリー「75 図鑑」の創設。
  15. 5月18日「植物索引」ブラームス歌曲に現われる植物。
  16. 5月20日「遥かなる恋人に」ベートーヴェン歌曲をピアノノリオに引用。
  17. 5月22日「弾き語り」クララの死を悼むブラームスの自作自演。
  18. 5月23日「ヴィオラによる歌曲」ヴィオラソナタの余白は宝の山だ。
  19. 5月24日「きみの青い瞳」クラウス・グロートによる絶唱。
  20. 5月25日「色彩索引」ブラームス歌曲に登場する色。
  21. 5月26日「色をつける相手」色名が何を修飾するか。
  22. 5月27日「青は長調」もしかすると青と長調には相関関係がある。
  23. 5月28日「あてはずれ」動物名と調性には相関関係が希薄だ。
  24. 5月29日「四色問題」ブラームス歌曲1曲に登場する色は4つが最多。
  25. 5月30日「10大歌曲」ブログ開設4周年の記念記事。
  26. 5月31日「五言絶句」杜甫の五言絶句にも四色が最多か。

<6月>

  1. 6月 1日「Tiefe blau」「野のさびしさ」の転換点。
  2. 6月 2日「夏の宵」op85-1。
  3. 6月 3日「こおろぎ」が登場する歌曲には四色が配される。
  4. 6月 4日「平行8度の実例」「スペインの歌」op6-1に平行8度がある。
  5. 6月 5日「ダイナミクスの空白」歌のパートへの指図がない。
  6. 6月 6日「保続音」「野のさびしさ」の「F」
  7. 6月 8日「最愛の歌曲」「野のさびしさ」op86-2のCDリスト。
  8. 6月 9日「最長のイントロ」もっともイントロの長い歌曲の話。
  9. 6月10日「梅雨入り」雨にちなむ歌曲。
  10. 6月11日「雨の歌」ヴァイオリンソナタ第1番の元歌。
  11. 6月12日「雨上がり」「夕立」と源頼政。
  12. 6月13日「ベタな展開」ありがちな記事の並び。
  13. 6月14日「タイトルと歌い出し」歌い出しの通称化について。
  14. 6月15日「感傷と情緒」テキスト選定の基準の一つかも。
  15. 6月16日「独唱と重唱」独唱にするか重唱にするかの基準は難解。
  16. 6月17日「花鳥風月」ブラームスの好みを類推するにはデータが足りない。
  17. 6月19日「夕靄は立ち込めて」ゲーテ78歳のテキスト。
  18. 6月20日「夢路より」次女による歌い方指南。
  19. 6月21日「方言」についてブラームスの薀蓄。
  20. 6月22日「おお涼しき森よ」op72-3。
  21. 6月23日「難解なテキスト」「永遠の愛について」が平易「サッフォー頌歌」が難。
  22. 6月24日「小宇宙」大抵の歌曲は最短のソナタより短い。
  23. 6月26日「メリハリ」歌曲特集実施の心がまえ。
  24. 6月27日「歌曲特集総集編」本日のこの記事。

4月までぬるいペースで公開していたら、会期末までの公開が怪しくなって、途中でペースを上げたのが一目瞭然だ。

さあ、これで心おきなく器楽ネタを発信できる。

明日から新企画。

2009年6月26日 (金)

メリハリ

物事の押し引きのさじ加減のことか。「やるときゃやるよ」とでも言うのだろう。

上半期のテーマ「歌曲」は、6ヶ月の会期中にこれまで今日を含めて80本の歌曲ネタを発信した。そのうち約50本が年初に「歌曲ネタで行くぞ」と宣言した時点で、下書き出来ていた。少々の推敲と発信のタイミングを整えるのが会期中の仕事だった。折に触れて書き留めた歌曲ネタをただ漫然と発信するのとどこがどう違うのだろう。

歌曲コンプレックスの裏返しとして「交響曲」を筆頭とする器楽カテゴリーより先に100本に到達させたいという、半ば屈折した動機があったこと既に申し上げた通りである。「こいつブラームス愛好家気取りの割には、歌曲ネタが薄いな」などと言われたくないという、微妙な心理もあった。

実際に歌曲ネタを集中して発信することは、自分のモチベーション維持に大いに貢献した。単なる羅列に堕落させないように、ストーリーを設定し発信の順序を考えた。愛鳥週間が5月だという幸運にも助けられた。思いつくままに下書保存されていた記事が、いきいきと輝きだした。ストーリーの流れに合うよう細部を整えて内容が引き締まった記事も多い。メリハリが付いたと申し上げるべきである。どうしてもストーリーにマッチせず、やむなく公開を見送った記事も10本あった。流れ優先だ。

4月を迎えた時点で、記事の備蓄が予想外に多く嬉しい悲鳴になった。会期末は6月27日より後ろには出来ないから、歌曲系備蓄記事全部を会期内に公開出来るか怪しくなった。ストーリー性を確保するために、4月7日から思い切って10日間の休憩をとって、作戦を練った。

このあたりの小細工が、記事備蓄の利点だと思う。

歌曲特集は明日フィナーレとなる。

2009年6月25日 (木)

祝20万アクセス

本日お昼をちょっと過ぎた頃、ブログ開設以来のアクセスが20万に達した。ホクホク。

  •  1万ac 2006年03月08日 283日目
  •  2万ac 2006年08月30日 458日目(175日)
  •  3万ac 2006年12月30日 580日目(122日)
  •  4万ac 2007年03月28日 668日目( 88日)
  •  5万ac 2007年06月21日 753日目( 85日)
  •  6万ac 2007年09月07日 831日目( 78日)
  •  7万ac  2007年11月08日 893日目( 62日)
  •  8万ac 2008年01月04日 950日目( 57日)
  •  9万ac 2008年02月13日 990日目( 40日)
  • 10万ac 2008年04月03日1040日目( 50日)命日にピタリとヒット。
  • 11万ac 2008年05月21日1088日目( 48日)
  • 12万ac 2008年07月05日1133日目( 45日)
  • 13万ac 2008年08月15日1174日目( 41日)
  • 14万ac 2008年09月22日1212日目( 38日)
  • 15万ac 2008年10月29日1249日目( 37日)
  • 16万ac 2008年12月15日1296日目( 47日)
  • 17万ac 2009年01月30日1342日目( 46日)
  • 18万ac 2009年03月17日1388日目( 46日)
  • 19万ac 2009年05月12日1444日目( 56日)
  • 20万ac 2009年06月25日1488日目( 44日)

ようやく20万アクセスに届いた。最初の10万アクセスには1040日を要したが、この10万アクセスは448日だった。かなりのペースアップと言える反面まだまだ年間10万アクセスの器量ではないようだ。それでも私のような者のブログにあわせて20万アクセスとは恐縮するばかりだ。ウルウル。

日頃のアクセスにまとめてお礼申し上げる次第である。記事の継続こそが謝意の表明である。キッパリ。

実は今回の20万アクセスは、ある事情があって6月27日までの達成を目標にしていた。あと2日残しての達成とは、なかなかスリリングであった。ドキドキ。

 

2009年6月24日 (水)

小宇宙

紛れもなく一部分でありながら、全体の構成要素を全て備えている領域を「小宇宙」と呼ぶ場合がある。哲学系で多用される言葉だと思う。一歩進んで全体の構成要素を全て備えるにとどまらず、それらが過不足無くバランスよく含まれるという意味をも包含していよう。

歌曲は最長の作品でも概ね5分で演奏出来る。小節数で100以内だ。一方器楽の代表たるソナタは、最小の作品でも20分を要する。多くの歌曲は、長さではソナタ形式楽章の中の主題提示部程度でしかない。

それでいて音楽としての起承転結が、過不足無く盛り込まれている。器楽であれば展開部でしかお目にかかれないような、決定的な転調がホンの2小節目から出現することもある。全体が短いだけあって、進行上の無駄は命取りになる。冒頭旋律の再帰には、ねんごろな手順が踏まれるのは器楽と一緒だが、けして冗長に陥ることはない。

そして決定的な要素がテキストだ。詩人の感動が文字に盛り込まれている。この心の動きを邪魔してはいけないのだ。作曲技法以前のお約束だ。

今日ばかりは、読者の大半にオチを読まれていると思う。

ベタな結論で恐縮だが、つまり歌曲は小宇宙だ。

2009年6月23日 (火)

難解なテキスト

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻58ページに興味深い記述がある。ブラームスと友人のホイベルガーの会話だ。

ブラームスは昨今「難解なテキストに付曲することが流行している」と指摘する。自分にも責任の一端があるというニュアンスだ。本当はきれいでわかりやすい類の作品に精通してから難解なテキストに進むべきだと持論を展開する。

このときの喩えが実に興味深い。

ブラームスは、きれいで判り易いテキストの代表として「永遠の愛について」を引き合いに出している。おおなるほど。op43-1を背負うブラームスリートの真髄とも言える傑作だ。なるほど起伏のあるストーリー性が売りだ。そのストーリーにいかに曲をつけるかがポイントなのだろう。

そうこうしているうちに「サッフォー頌歌」op94-4のような曲も聴いてもらえるようになると説く。いきなり「サッフォー頌歌」ではちと具合が悪かろうということが暗に仄めかされる。つまり「サッフォー頌歌」は「永遠の愛について」より難解だと読める。

言われてみればなるほどな感じがしてくるから不思議である。

2009年6月22日 (月)

おお涼しき森よ

作品72-3を背負って変イ長調、2分の3拍子、Langsamでゆったりと歌われる森の描写。どんな演奏でも最大2分半。楽譜にして2ページ全長25小節の小品ながら退屈することがない。

森の描写のようでいて実は、その森の中を歩む恋人への呼びかけだ。テキスト側の表現の肝にあたる「im Herren tief」(心の奥深くで)の部分、楽譜にして11小節目から2小節間、音楽は意表をつく変ヘ長調に転ずる。Dに付与されるナチュラルの色艶を一瞬味わった後、半音上のEsにせり上がって冒頭主題が回帰するあたり、醍醐味である。

8小節目に「おや」という場所がある。冒頭の「B」の音の上に小さな音符で「F」が記載されている。直前の音「C」から全音下がる「B」がメインルートなのだが、「F」への4度跳躍も認められているということだ。

我が家の10種のCDのうち、「F」に跳んでくれているのは以下の3人だ。

  • エリー・アメリング
  • トマス・クヴァストホフ
  • 小松英典

「夕立」でただ一人影譜を歌ってくれていたロベルト・ホルは今回はノーマルだった。

2009年6月21日 (日)

方言

特定の地域で話されている言語のうち、公用語・標準語あるいは共通語と異なる言語くらいの意味か。「特定の地域」の定義が難しい。定義の仕方によっては億単位の人々が話しているということもある。話している人本人は「方言」だろうと「公用語」だろうと構わないハズだ。コミュニケーションが成立すればOKなのだ。「おおやけ」「中央」の概念が必ずついてまわる。同じ言語のハズなのにどうも通じにくいと感じたとき「方言だから」と自分を納得させるというのがもっとも一般的な用法だと感じる。

他の欧州列強に比べて統一国家の成立が遅れたドイツだから、地域ごとの微妙な言語の差がより保存されやすかったと思うが、標準ドイツ語は、ルーターの独訳聖書が基礎になっているらしい。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻132ページに方言についてのブラームスの薀蓄が披露されている。

自作「森の静けさ」op86-5の24小節目の「all」についての薀蓄だ。「all」は本来「全ての」という意味だが、これが低地ドイツ語では「schon」(既に)の意味で、元々は「gut」(良い)の意味だったとしている。方言はとかく厄介だと付け加えている。

演奏家として各地を回ったブラームスだが、民謡の収集家としても各地の言語に触れた。ライン地方やシュヴァーベン地方の民謡のテキストにも数多く触れたブラームスだから、この驚きには説得力がある。

2009年6月20日 (土)

夢路より

おそらく知らぬ者の無いフォスターの代表作。

それは先週のことだった。思い出すだに鮮烈な光景だ。娘たちの部屋から歌声が聞こえてくる。耳を澄ますと、それはフォスターの「夢路より」だった。長女が英語で歌っている。それに対して次女は横からああだこうだ言っている。ブラバン用のメトロノームを取り出して指南しているという感じだ。普段妹に対して、女王様ぶりを発揮しているお姉ちゃんが、神妙にしている。

どうやら歌の練習らしい。近々音楽の授業でテストがあって、「夢路より」を英語で歌わねばならないと言っている。

「夢路より」は8分の9拍子だ。どうやらニ長調。ヴァイオリンを習っていた頃から複合拍子苦手の長女が混乱しているのを、次女が説明しているのだ。次女は複合拍子の意味がわかっているようだ。メトロノームが3度に一度「チン」と鳴るように設定してある。長女の性格から申せば、遅い3拍子の1拍が3連符で割られていると説明した方が効果的だが、グッとこらえた。次女の必死の説明が続くようにするためだ。

さらに最後の一つ前の小節の音がどうしてもとれないと言う長女に向かって「お姉ちゃん最後のミがいつも低いから」と鋭い指摘をかましている。挙げ句の果てにブレスをそこでするなとか、クレッシェンドに向かって力を貯めろとか、装飾音符をあわてるなとか、シャープな指摘がてんこ盛りだ。

次女。いつの間に。後で訊いたら、ヴァイオリンやトロンボーンでいつも私が言われているからと事も無げだ。「英語で歌うことはOKなんだけどね」と言いながら謙虚に教えを乞うお姉ちゃんにも関心したが、次女の対応は胸が張り裂けんばかりに嬉しい。

昨日歌のテストが終わったらしい。これも降ってわいた歌曲ネタ。

2009年6月19日 (金)

夕靄は立ち込めて

作品59-1を背負う歌曲。ト短調全長94小節。ブラームスでは数少ないゲーテ作のテキスト。ゲーテ78歳の作とされている。

とりわけ46小節目からの転調が美しく気に入っている。

曲の末尾「Herz hinein」の部分つまり88小節から、上下2種の旋律が用意されている。より装飾的なのが上で、深く沈潜して行くのが下だ。

我が家のCDでは5名が歌ってくれている。

  1. アンドレアス・シュミット(Br)
  2. ロベルト・ホル(Br)
  3. 白井光子(A)
  4. ラン・ラオ(S)
  5. ディートリヒ・フィッシャーディースカウ(Br)

5人のうちソプラノのラン・ラオだけが上の旋律を歌っているが、残り4名が下を選んだ。直前の86小節目から旋律は下降が続く。それを受けて曲の末尾まで下降を継続させる方を選んだと見る。旋律の動きとしてはより単純だが、「無理な人は下をどうぞ」という位置付けにはなっていないということだ。

昨夜は25年ぶりに大阪鶴橋で焼肉を食べた。

2009年6月18日 (木)

再会

室内楽の仲間と久々に再会した。

2006年1月27日の記事「室内楽のつまみ食い」に登場したご夫婦がいる。

ご主人はオーボエとチェロ、そして合唱のご経験もある。奥様はピアノとオーボエ。ご夫妻が関東地方を去って山形へ引っ越したことで私の室内楽ライフは決定的な打撃を受けた。彼等を交えてブラームスに挑んだ経験は、極上のものだ。特に奥様はブラームスラブだ。私とブラームス作品について話すときは作品番号だけで会話が成立してしまう。

その後大阪へ転居されたお2人にお会いする機会がやってきた。一昨日16日から3泊4日の大阪出張が入った。昨夜満を持して待ち合わせの店に突入したが、ご主人が突然体調を崩し昨夜は図らずも奥様とドイツ料理で盛り上がることとあいなった。というより私が一人で飲んでいた。大阪谷町9丁目のドイツレストラン「ハンブルク」だ。

驚くべき内装だ。ハンブルクの大きな地図がデーンと掲げられている。ブラームスの生家があったシュペックスガングもしっかり載っていた。

当然、話は弾む。昨夜日本中で語られたどんなブラームスネタよりも濃かったに違いない。ブラームス、ドイツ、野球、家族と話は果てしなく増殖した。彼女は亡き妻とも面識がある。もちろん子供たちとも。話が煮詰まれば、幸せとは家族とは命とはと深まって行かざるを得ない。ブラームスの記憶はそれを片時も邪魔しない。

ブラームスのご加護を。

2009年6月17日 (水)

花鳥風月

古来自然を愛してきた日本人の、愛好の対象を一言で言い表した言葉だ。愛鳥週間に因んでブラームスの歌曲に登場する鳥のリストを作ったが最後、必然として花のリストへエスカレートしたのも、私が日本人だからかもしれない。

その結果ブラームスの歌曲への登場頻度で、バラとナイチンゲールが花鳥それぞれの首位に君臨することが判った。

早起きして森を散歩するブラームスだから、自然を愛することにかけては日本人の誰にも負けないと思われる。それでは、そのブラームスはナイチンゲールとバラを一番好んでいたかとなると、ただちにはうなずき難い。

ブラームスが作品の題材を求めて探し回ったところのドイツの詩における傾向が、パラレルに反映しただけかもしれないのだ。

つきつめようとするなら、ブラームスの目に触れたドイツの詩全てについて同様の調査をした結果と比べる必要がある。全体の調査結果と比較して、ブラームスのチョイスが有意にズレていた場合に初めて、ブラームスの嗜好を云々出来る。

どこかの物好きが、シューベルトやシューマンについて調べてくれるとありがたいのだが。

2009年6月16日 (火)

独唱と重唱

ブラームスは親しい友人に、ドイツの作家で曲を付けなかった人なんぞ居ないと豪語していたという。発表せずに破棄したものまで含めればということらしい。民謡や外国の詩の翻訳物までを含む広大な領域がテキスト探査の対象だった。

一方、詩人たちはブラームスへのテキストの提供を目的に創作したわけではない。ましてや作品をあらかじめ独唱用、重唱用、合唱用という具合に分けていたわけでもない。

独唱歌曲でのテキストの提供ランキングは既に記事にしたが、実は重唱作品でも同じようなメンバーが名前を連ねる。テキストと作者名だけを見ても違いは判らない。

目の前に横たわるテキストについて、それを声楽作品に仕上げる際、どんな形態が最適かについて判断基準があったに違いない。ブラームスは何を基準に独唱用と重唱用に仕分けたのだろう。重唱作品がいつも対話体のテキストになっている訳でもない。対話体のテキストが、見事な独唱歌曲になっている例も多い。

意外と難問である。

2009年6月15日 (月)

感傷と情緒

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻114ページでヘンシェルが大事なことを言っている。

ブラームスのテキスト選定に関する見解だ。「感傷」と「情緒」という言葉が選ばれてそれぞれ両極端の意味づけがされている。元々どういうドイツ語だったかは不明なのが残念だ。

ブラームスによれば「感傷」は単なるかわいそうな話で、「情緒」こそが詩の源泉だという。物事を暖かく見つめる中から湧いてくる感情だと言っている。

単なるやりきれない事実に、ちょちょいと韻を踏ませて、フォルティシモで3連符を鳴らしただけの代物が大手を振って提供されていると嘆く。嘆くと言うより爆笑のタネといった雰囲気だ。

ブラームスが自作のためにテキストを選ぶ際に、このあたりの考えが基準になっていた可能性が高い。

2009年6月14日 (日)

タイトルと歌い出し

ブログ「ブラームスの辞書」名物の分類ネタだ。

ブラームスの歌曲を以下の基準で分類してみる。

  1. 作品の最初のページにタイトルが印刷されてはいるが、作品の歌い出しと不一致。たとえばop43-1「永遠の愛について」は楽譜に掲載されたタイトルで歌い出しとは一致しない。
  2. 作品の最初のページにタイトルが印刷されていて、それが作品の歌い出しと一致する。
  3. 作品の最初にタイトルが印刷されていない。作品の歌い出しが通称となっている。いかにおわすかわが女王」op32-9は、歌い出しが通称化したものだ。

楽譜の最初のページにタイトルが掲載されているものと、そうでないものだ。上記1と2のパターンつまりタイトルが掲載されている作品は、そのタイトルが通称になる。当たり前の話だ。ところが上記3のパターン・タイトルが掲載されていない作品は、テキストの歌い出しが通称となる。スターバトマーテルやレクイエムの他、バッハのカンタータだってこのパターンだから起源は相当古い。

ブラームス歌曲の場合、上記1のパターンが最も多い。だから上記2のパターンを以下に列挙する。

  • op49-1「日曜日の朝に」
  • op70-1「海辺の庭園にて」
  • op94の5曲全て
  • op95-2「我が思いは君のもとへ」
  • op95-7「君に捧げたものは美しかった」
  • op96の4曲全て
  • op105の5曲のうち1番と2番
  • op106-3「霜が置いて」
  • op107-4「ねこやなぎ」
  • op121「4つの厳粛な歌」4曲全て

そして楽譜の冒頭にタイトルの印刷が無く歌い出しが通称と化しているパターンつまり上記3は以下の通りだ。

  • op32の9曲全て。
  • op57の8曲全て。
  • op59の8曲のうち1番と6,7,8の計4曲

上記作品の出版社は全部ジムロックだ。その他テキストの作者、作品の調性、拍子などとも特段の相関は見当たらない。まさにお手上げだ。この分類に何か基準があるのだろうか。

さらに私好みのささやかな偶然がある。

2番3番のパターンは、どちらも21曲ずつになっている。

2009年6月13日 (土)

ベタな展開

「よくある展開」程度の意味なのだが、若干ネガティブなニュアンスがこもっている。「ベタな展開ですみません」等の言い訳とセットで用いられることが多い言い回しだ。ストーリーのあるパフォーマンスにおいて、受け手に先を読まれるのはリスクが大きい。意外な展開こそが待望されているというのは一面真実を含んでいる。

一方で勧善懲悪をコンセプトにした時代劇が、展開を読まれながらも長寿番組になっているケースもある。この場合は概して「ベタな展開」とも「マンネリ」とも称されず、むしろ「伝統」と解される。両者の境界は混沌としている。

梅雨入りを合図に雨に関連する記事を3本続けた。「ベタな展開」かもしれぬ。

さて現在進行中の歌曲特集は5月10日の記事「愛鳥週間」の中で、お得意のリスト化ネタを無理矢理愛鳥週間にこじつけた。これは「ベタな展開」ではないと自負している。ブログ「ブラームスの辞書」の古くからのコアな読者でも、この展開を読めていた人はいないと思われる。

その先の「動物索引」は、ブラームス歌曲のテキストに現れる鳥の優位性を云々する展開から予測していた読者もいると思う。ましてそれに続く「バラ」「植物索引」は、半ば必然だったから、この瞬間「ベタな展開」と思われてしまった可能性もある。

しかしその後の「色彩索引」は、再び読みをはずす展開だ。ブログ「ブラームスの辞書」恒例のリスト化ネタの連発だ。そしてこれは「四色問題」を経て一連の「野のさびしさ」ネタに至る序章でもある。最愛の歌曲について語る前のちょっとした準備に相当する。

4月中旬に10日間の休憩を頂戴した間に、このあたりの流れを整理した。

2009年6月12日 (金)

雨上がり

夕立」op70-4の話は以前にもした。

第4交響曲を先取りするかのような3度下降の連鎖が、イ短調の醸しだす雰囲気とともに巧妙な雨脚の描写だった。22小節目の「dim e rit」でようやく雨が止む気配が漂って来る。24小節目のフェルマータで雨がすっかり上がる。「Langsamer」の合図で曲はハ長調に転じて、雨上がりの情景へと場面転換する。テキストの中の「Regenbogen」つまり「虹」を象徴する匂い立つような甘い甘い旋律である。

この部分を聴くと決まって思い出す歌がある。

もはや現代語訳不要の源頼政の歌だ。

庭の面はまだ乾かぬに夕立の空さり気なく澄める月かも(にわのおもは まだかわかぬにゆうだちの そらさりげなく すめるつきかも)

ブラームスも源頼政も夕立の情景と雨上がりの情景の対比が鮮やかだ。片や虹、片や月と割れているが、雨上がりの描写のツールであることに変わりはない。

2009年6月11日 (木)

雨の歌

作品59-3を背負った歌曲。テキストはクラウス・グロートによるもの。ヴァイオリンソナタ第1番ト長調op78の第3楽章には、この歌曲の旋律がそっくり転用されていることで名高い。だからヴァイオリンソナタ第1番は「雨の歌」と通称されている。

2008年2月16日の記事「天国に持って行きたい」の中で、この作品がクララとフェリクスの母子と深い関係があると書いた。病に伏せったフェリクスを見舞う手紙にヴァイオリンソナタ第1番の第2楽章を引用し、それが第3楽章でも回想される。このヴァイオリンソナタとクララの関係を調べていて興味深い事実を発見した。

元になった歌曲「雨の歌」にテキストを供給したグロートをブラームスに紹介したのはクララだったらしい。1856年のことだ。ブラームス23歳である。当時すでに30代半ばで社会的な名士だったクララはブラームスより顔が広かったと思われる。ブラームスは後日クララにそのお礼をする。グロートの詩をテキストにした歌曲4つを作曲して1873年のクララの誕生日に贈ったのだ。

その4曲とは下記の通りだ。

  1. 「雨の歌」op59-3
  2. 「名残」op59-4
  3. 「僕の傷ついた心は求める」op59-7
  4. 「君の青い瞳」op59-8

ヴァイオリンソナタ第1番を聴いたクララはその終曲の冒頭に、6年前の誕生日に贈られた歌曲の旋律が置かれたことをたちどころに悟ったと思われる。そして中間部には、フェリクスへの見舞いの旋律が回想されるのを聴いて「天国に持って行きたい」と漏らしたのだ。

芸が細かい。

2009年6月10日 (水)

梅雨入り

温帯東アジア地方特有の雨季のこととでも言うのだろう。春から夏の変わり目に相当する。しとしとと長続きする雨が特徴だ。

絶対音楽の旗手として標題音楽に背を向けたブラームスだから「私は雨を表現したんですよ」とは一切表明していないものの、事実上雨を表現した作品も散見される。

  1. ドイツレクイエム第2曲106小節目。人呼んで「旱天の慈雨」である。フルートとハープのアルペジオが効果的だ。
  2. 「永遠の愛」op43-1 45小節目からのピアノ右手の3連符は、際立って秀逸な雨の描写である。
  3. 「雨の降る間に」op58-2。全長33小節。1分と少々の小品だ。ピチピチと雨の跳ね上がる表現がシャープだ。前半のほとんどの小節で右手が後打ちのスタッカートであることが「ピッチピッチ、チャップチャップ」のブラームス流の表現だと思われる。
  4. 雨の歌」op59-3。
  5. 「名残り」op59-4。作品番号にして一つ前の「雨の歌」の続編を形成する。同じ詩人のテキストによるものだ。厳密には雨上がりの情景だ。
  6. ヴァイオリンソナタ第1番。第3楽章が作品59-3の旋律の転用であるお陰で作品全体が「雨の歌」と呼ばれている。曲頭の付点のリズムは、もちろん「雨の歌」の旋律の反映と見てよい。
  7. 「夕立」op70-4。第四交響曲冒頭を先取りする3度連鎖が、心地よい。

関東地方、本日梅雨入り。

2009年6月 9日 (火)

最長のイントロ

ブラームスの作品番号付きの歌曲204曲を対象に考える。このうち5小節以上のイントロを持つ作品が25曲13%ある。つまり87%が4小節以内の簡単なイントロでサクサク始まる。本日は逆にイントロが長い作品の話題だ。

航海op95-4 14小節。8分の6拍子Andante sostenutoで始まるイントロは約40秒に達しブラームス歌曲最長のイントロだ。全曲が約3分半の曲だからイントロが2割を占める。おそらくは舟歌なのだろう。心地よくゆれるリズムは気分的にはバルカローレだ。3コーラスからなるテキストに先立つ長大なイントロは恋人と一緒の航海を巧みに暗示する。

2番目に長いイントロは12小節だ。2曲ある。不思議なことにそれは作品91を与えられた「ヴィオラとピアノを伴奏に持つアルトのための歌曲」だ。おそらくこの理由は明らかだ。異例なことに伴奏に加えられたヴィオラを存分に聞かせる意図があるのだと思う。

3番目は11小節を数える「あなたどこでためらっているの」op33-13だ。連作歌曲集「ティークのマゲローネのロマンス」の13番目である。15曲のうち唯一スリマが歌うという設定だ。テンポが速くスケルツォ気味のためイントロが長いという印象はない。

2009年6月 8日 (月)

最愛の歌曲

私にとっては「Feldeinsamkeit」op86-2のことだ。その証拠にブログ「ブラームスの辞書」での言及回数は歌曲中最大頻度を誇る。

  1. 2007年2月22日  「Feldeinsamkeit
  2. 2007年4月12日  「究極の6度
  3. 2009年5月29日 「四色問題
  4. 2009年5月31日 「Tiefe blau
  5. 2009年6月 3日 「こおろぎ
  6. 2009年6月 5日 「ダイナミクスの空白
  7. 2009年6月 6日 「保続音

これら7本に本日の1本を加えた8本全て「野のさびしさ」への信仰告白みたいなものだ。CDを聴いて楽譜を読んでを何度繰り返しても新しい発見がある。テキストと音楽の融合として理想的だと思う。

さらに本日は我が家にあるCDを録音年代順にリスト化する。

演奏時間はいつものように演奏後の空白の時間を補正した値を使用した。4分の4拍子35小節なので140個の四分音符の羅列と見て、演奏時間からMM値を逆算した。名前の後ろに「声種」「演奏時間」「平均MM値」を順に記す。

  1. 1924年 John McCormack <Br> 3:04 MM=45.65
  2. 1929年 Alexander Kipnis <Br> 3:46 MM=37.17
  3. 1951年 Hans Hotter <Br> 4:02 MM=34.71
  4. 1959年 Christa Ludwig <MS> 3:21 MM=37.84
  5. 1982年 Margaret Price <Sp> 3:54 MM=41.79
  6. 1984年 Dietrich Fischer-Dieskau <Br> 3:54 MM=35.90
  7. 1984年 Irwin Gage <pf> 3:41 MM=38.01
  8. 1987年 Yumiko Samejima <Sp> 3:38 MM=38.53
  9. 1987年 Mitsuko Shirai <MS> 4:42 MM=29.79
  10. 1990年 Robert Holl <Br> 3:44 MM=37.50
  11. 1994年 Francois Pollet <Sp> 3:33 MM=39.44
  12. 1997年 Lan Rao <Sp> 2:34 MM=54.55
  13. 1997年 Monica Groop <MS> 3:26 MM=40.78
  14. 1998年 Mischa Maisky <Vc> 3:38 MM=38.53
  15. 1999年 Deborah Polaski <Sp> 2:49 MM=49.70
  16. 1999年 Vesselina Kasarova <MS> 3:26 MM=40.78
  17. 1999年 Cornelia Kallisch <MS> 3:18 MM=42.42
  18. 2001年 Hidenori Komatsu <Br> 3:23 MM=41.38
  19. 2004年 Andreas Schmidt <Br> 3:47 MM=37.00
  20. 2004年 Marie Nicole Lemiux <CA> 3:07 MM=44.92
  21. 2005年 Sarah Connolly <Sp> 3:00 MM=46.67
  22. 2006年 Bernarda Fink <MS> 2:51 MM=49.12
  23. 2006年 Keiko Shiraishi <Sp> 2:41 MM=52.17
  24. 2007年 Ettora Causa<Va> 3:08 MM=44.69
  25. 不明    Sadanori Masui <Br> 3:02 MM=46.15

総勢25種は「永遠の愛」op43-1「セレナーデ」op106-1に次ぐ数。毎度のことながらテンポだけでも実に多彩だ。

<ソプラノ>

ラン・ラオがお気に入り。白井光子の対極にある。きびきびと弾むような独特の声、Lamgsamらしからぬ速いテンポだが、手抜かりなく歌いきっているから速さを感じない。

鮫島有美子がそれに次ぐ。ポラスキーはこの曲を歌う限りソプラノに入れてはなるまい。ドラマチックソプラノという肩書きは邪魔。最良のコントラルト顔負けだ。

<メゾソプラノ>

白井光子が頭一つ抜けている他は横一線で、はずれは無い。それにしても白井光子だ。群を抜いて遅いテンポが、ビロードのレガートと両立して、鬼気迫る緊張感を醸す。ダイナミクス幅最小にして表現の起伏最大。深く深く味わいたいとき避けて通れぬ演奏だ。晴れ上がった日の緑の野という情景を忘れ、ほのかなロウソクの灯りの元で歌われていると錯覚してしまう。

カサローヴァは作品のストーリーを読みきって「Tiefe blau」からの4小節間のすすり泣きが際立つ。「それもありか」という気にさせられる。

オッターが録音していないのは残念。

<コントラルト>

ルミューただ一人だが、貴重。温かみある声質に聞き惚れる。シュトゥッツマンで聴いてみたいものだ。

<バリトン>

最初の2人のノイズはご愛嬌だ。歌手のせいではない。なんとか我慢の範囲内がホッターからである。

御大ディースカウ。見せ場が全部棚下ろし出来ている。流れの起伏を3倍に増幅して聞かせてくれる。

<番外>

ピアノ伴奏のみを録音したゲージに拍手。マイナスワン感は否めないが、一緒に歌うには最適。楽譜を見ながら歌の入らぬ演奏だけを繰り返し聴いているといろいろなことがわかる。11小節目と29小節目にある右手と左手のカノンには言葉を失う。

チェロのマイスキーは、テキストへの共感がにじみ出る。ディースカウにも似た「ニュアンスの増幅」が起きているが、こちらはもっと自然だ。テキスト抜きで声部としての歌のパートを心行くまで楽しめる。

カウサのヴィオラ版にも感謝だ。オリジナルの記譜よりオクターブ低い音で歌い出す。ト音記号を見て歌う男性の感じだ。つまり冒頭のCで開放弦が鳴るということだ。1コーラス目はC線開放弦より低い音は出ないから、十分に機能する。2コーラス目に入ると28小節目に「H音」が出る。作品冒頭のC音の半音下だ。どうなることかと思って固唾を呑んでいると、2コーラス目は、悠然とオクターブ上げて始まるのだ。つまり記譜通りだ。28小節目の「H音」は、音楽の凍りつく瞬間のとても大切な音だ。このオクターブをめぐる工夫には実に説得力がある。

2009年6月 7日 (日)

オープンキャンパス

高3の長男が週一回系列大学の講義を受けていることは既に述べた。ドイツ生まれの女の先生から週一回90分ドイツ語を習っている。

今日は日曜日で、オープンキャンパスだった。つまり学生以外の人間が学内を歩いてもいい日だ。そこで一計を案じ、長男を通じて先生にお会いできないかをお尋ねした。呆気なくお会いいただけることになった。大学の見学をかねて母と長男と3人で訪ねた。

先生の計らいでランチをご一緒することになった。

そして当然「ブラームスの辞書」を1冊差し上げた。作品番号はop109にした。「祝辞と格言」だ。この作品はブラームスがハンブルク名誉市民に選ばれたことのお礼として、当時のハンブルク市長カール・ペーターセンに献呈されている。ハンブルク生まれの先生にピッタリだと思う。

2009年6月 6日 (土)

保続音

1つの声部に与えられた音が、旋律や和声の移ろいを超えて維持されること、あるいはその音とでも申し上げたい。維持の長さは数小節から数十小節までさまざまだ。この声部がバスのパートにあると「オルゲルプンクト」などと言われる。ドイツレクイエム第3曲の終末を飾る長大なフーガは、それが丸ごと「D音」の上に乗っている。

私はと申せばビートルズの「Yesterday」のラストコーラスで、ヴァイオリンがたしか「A音」をずっと引っ張るのに憧れた少年だった。

さて現在、「歌曲特集」開催中だ。私の大好きな保続音がある。

例によって至宝「野のさびしさ」op86-2の冒頭を思い出す。左手が「F音」のオクターブをずっとならすのだ。「付点4分音符+8分音符」つまり「ターンタ」のリズムでずっと繰り返される。テキストの作者アルマースは、緑の草に囲まれて青い空を見上げると歌う。彼がたたずんでいるその大地が、この「敷き詰められたF音」によって描写されていると見た。ヘ長調を象徴する、どっしりとした保続音だ。1コーラス目の最後で、左手と右手の間に絶妙のカノンが出現するが、このどっしり感は、作品の1コーラス目を通じて維持される。

さて1コーラス目の末尾にあるターンによって幾分テンポが緩むが、ピアノ左手に復帰する「ターンタ」で引き締められて2コーラス目を準備する。歌詞の冒頭にいきなり「白い雲」が現れることは既に述べた。この2小節間は1コーラス目と同じく「F音」が敷き詰められる。どっしりとした安定感を強くアピールする。ここで安定感をアピールするには理由がある。テキスト「Tiefe blau」とともに訪れる世界遺産級の転調を際だたせるためだ。

ここを境に叙情が叙景にすり替わることは既に何度も述べた。

揺るがぬ大地だったはずの「ターンタ」の「F音」が、同じリズムを保ったまま、半音ずつせり上がりを開始し3小節かけて「C音」に到達する。つまりここはピアノ左手が保続音であることを放棄する瞬間でもあるのだ。この部分の歌のパートは全曲中の白眉だからといって、歌に気を取られていると、ピアノ左手のせり上がりを聴き逃す。

そして間もなく、究極の6度だ。1コーラス目と同じピアノ左手と右手のカノンが絶妙だ。

もし、ブラームスがこの1曲しか歌曲を残さなかったとしても、歌曲の世界で不滅になったに違いない。楽譜を読めば読むほど聴けば聴くほど、新しい発見がある。

2009年6月 5日 (金)

ダイナミクスの空白

「野のさびしさ」op86-2には、意外なことに声のパートには音楽用語が置かれていない。テキストと音符を繰り返し眺めて、イメージがいくらでも湧いて出るのだが、「f」「p」のようなダイナミクス用語が歌手用のパートに現われない。伴奏のパートにだってたった4回の楽語と少々の<>が出現するだけだ。

これは何も「野のさびしさ」に限った話ではない。op32以降つまり中期以降の歌曲に共通して現われる傾向だ。

つまり、「テキストを読め」「伴奏を味わえ」というブラームスのメッセージだと思う。テキストの持つリズム、抑揚、フレージングを理解して、そのまま歌えばよろしいとブラームスが言っていると思う。もしかすると「判らなくなったら伴奏を聴け」と付け加えているかもしれない。

2009年6月 4日 (木)

平行8度の実例

このところ歌曲特集をしているせいで、歌曲ネタに対する脳内アンテナが高まっている。

ガイリンガーの大著「ブラームス伝」を読んでいてお宝情報に巡り会った。

ガイリンガーは歌曲に関する概論の中で「スペインの歌」op6-1に「平行8度」があると証言している。20、22、42、44という具合に小節まで特定しているばかりか歌のパートとバスがともに「E→Cis」と進行しているとも断言している。

ない。

我が家のドーヴァー版の楽譜には見当たらない。その小節歌のパートは「E→Cis」と進行していない。「E→Gis」になっている。ピアノ左手は16分音符で動くが、拍頭だけに絞ってみれば「E→Cis」と読める。

ガイリンガーが見ているのはどんな楽譜なのだろう。もしかすると手稿譜には平行8度が存在したが、印刷の段階で修正されたのかもしれないと思い初版譜を確認してみた。

おおお。ってなもんだ。

初版では確かに歌のパートが「E→Cis」と動いているではないか!バスが16分音符で細かく動くのはドーヴァー版と一緒だ。拍頭だけを注目すれば「E→Cis」だ。やっぱりこれはアウトなのだろうか。

しかししかし、旋律としての収まりは「E→Cis」の方が数段上と感じる。

やれやれと思って我が家所蔵のCDでこの曲を聴いて驚いた。3人が歌っているだけという希少なものだが何と何と3人とも「E→Cis」を歌っていたのだ。

平行8度の禁則違反より旋律としての収まりが優先と見たが、伴奏のピアニストがいくぶん音量を手加減しているようにも聞こえる。

2009年6月 3日 (水)

こおろぎ

蟋蟀と書く。歳時記によれば秋の季語だ。旧暦で8月からが一応秋ということになっている。最も一般に観察される秋の虫という位置づけだ。鳴き声を頻繁に聴くという訳だ。

5月12日の記事「動物索引」を思い出すといい。そこには「Grille」があった。つまりlこおろぎだ。ブラームス歌曲の中で2箇所に現われる。

  • 夏の宵op85-1
  • 野のさびしさop86-2

タイトルを見て判るとおりop85-1で歌われる季節は夏だ。「野のさびしさ」には直接季節を示す言葉は無いが、「背の高い緑の草」が出てくるから一応夏が有力かと思われる。どちらのテキストにも共通しているのは、作者はこおろぎの姿そのものを見てはいない。鳴き声を聞いているのだ。こおろぎの出す音こそが描写の主眼になっている。

さらに私好みの偶然がある。

5月29日の記事「四色問題」を思い出して欲しい。そこでは、ブラームス歌曲において1つの作品に現われる色の数を取り上げた。最大4色を用いた作品が2つあると書いた。それが本日話題の2作品になっている。

象徴的な色4つを配して読者の色彩感覚を刺激する一方、こおろぎを配置することで音のイメージまで喚起しようとしているように思える。

おそらくブラームスはこおろぎの鳴き声がイメージ出来ている。後者「野のさびしさ」1連目、楽譜にして11小節目に現われる「Grillen」は、この周辺では最も高い音Desを当てられた上に、弾むリズムと相俟って、コオロギの鳴き声の巧妙な描写になっている。

例によって毎度毎度の疑問。ブラームスの作品では、どうやら夏の描写らしいが、季語としては秋だ。現代の生活実感と季語はしばしばズレているから、気にしないという手があるのだが、ブラームス作品に現れる「Grille」が、そのまま歳時記の「蟋蟀」にあたるかについては、ひとまず保留しておくことにする。

2009年6月 2日 (火)

夏の宵

「夏の宵」は作品85-1を背負った甘美な歌曲。大御所のハイネのテキストに真っ向から対峙したブラームスである。

昨今ほとんど亜熱帯まがいの東京の夏を思い浮かべてはいけない。ひんやりと涼しげな黄金色の月を見上げながら、夢ともうつつともつかぬ物思いにふける情景なのだ。暗示的な和音がピアニシモで2つ鳴らされた後、いきなり核心をつくような甘美な旋律が立ち上がって始まる。ピアノ四重奏曲第3番第3楽章アンダンテ、ヴァイオリン協奏曲第2楽章、「サッフォー頌歌」の冒頭旋律に連なる3度下降の系譜上にある。このとき「sempre pp e legato」と記されてピアノ左手に現れる「ファ-シ-レ-ファ-シ-ラ」という上行する分散和音は本作品のもう一つの肝である。

ニ長調の中間部を経て25小節目で冒頭旋律が回帰するとき、先の分散和音には「dolce」が加えられた上に、1オクターブ高くしかも右手で奏でられる。

これだけでも美しい。十分に美しい。

「夏の宵」に続く作品85-2には同じハイネのテキストに付曲した「月の光」という作品が置かれている。変ロ長調の調号「フラット2個」を与えられながら冒頭小節でいきなり「D」にフラットが奉られている。テキストが異郷での苦悩を匂わせていることと鮮やかにシンクロしている。

やがてそうした苦悩が爽やかな「月の光」によって打ち払われる。テキストがまさに「月の光」にさしかかるところで、前作「夏の宵」の冒頭旋律が密やかに回帰するのだ。ピアノ側の上行する分散和音までセットになっている。前作の25小節目での再現よりさらに1オクターブ高く鳴らされる。爽やかな月の光に心洗われる情景の描写だと思われる。あるいは、月の高度が徐々に増して行くことを象徴したかとさえ想像したくなる。

大切なものを掌にのせてそっと差し出すような「とっておき感」がここの売りである。ピアノのパートに現われた「dolcissimo」がその根拠だ。「この分散和音は前作に出現した2回に続く3回目と考えよ」という意図に違いあるまい。「前の2回よりもっとね」というブラームスのメッセージである。

そうとでも申さねば、この唐突な「dolcissimo」は説明がつかない。

2009年6月 1日 (月)

Tiefe blau

「tiefe」は英語で言う「deep」だ。「深い」という意味。「blau」は「青」である。日本語には「深緑」という言い回しはあるが、「深青」とは言わない。「濃紺」「群青」あたりなのかもしれない。

ブラームス歌曲のテキストに「blau」は頻繁に出現するが、「tiefe blau」は至宝「野のさびしさ」op86-2にただ一度だ。

一般に修飾語と被修飾語が、文の中で離れて置かれると理解が難しくなるとされている。すぐ隣にあるのが一番判りやすい。この「tiefe blau」が何を修飾するかについて、私は「Raume」(宇宙)だろうという見解を示したが、実はこの2語、テキスト中での距離が離れている。けれども全体の流れを観察する限りそう読みたい。これはドイツ語の知識云々の話ではなく、詩的感性の問題だ。

5月29日の記事「四色問題」でも示した通り、「野のさびしさ」には4つの色名が現れる。その内の2つ「緑の草」「青い空」は1連目に置かれて、詩人アルマースを囲む情景の描写になっている。テキストが「Grillen」(こおろぎ)に触れる時、一瞬の翳りがかすめる他は、どっしりと落ち着いた長調で貫かれる。

一瞬緩んだテンポを間奏が引き締めて、淀みなく2連目。早々に3色目「白い雲」が淡々と現われるが、この後アルマースは自らの魂が、この世を去って果てしない宇宙に渡って行くと歌う。1連目で情景を歌い、この2連目では自らの心情を詠み込むのだ。2連に入ってしばらくの間、音楽は1連と同様のどっしりとした長調で淡々と進む。叙景から叙情への転換点に置かれたのが、本日のお題「tiefe blau」だ。そしてテキストが「tiefe blau」にさしかかったところで、色合いが変わる。より正確に申せば「fe」と「blau」の瞬間に鳥肌モンの転調が起きている。この時、ピアノ伴奏側に置かれた「diminuendo」の効果には、ただただ驚くばかりだ。ここに「diminuendo」を置かねばと思うブラームスの感性までもが鑑賞の対象である。この後4小節間、とりわけ「Traume」のあたりが泣きたいほどの絶景である。

何と言う景色だ。調性の取り扱いという意味でパーフェクトだと思う。

やがて究極の6度の跳躍から音楽は原調のヘ長調を取り戻し、フィニッシュにひた走る。作品の最後に歌われる単語こそが、「tiefe blau」の目的語「Raume」(宇宙)である。

作曲技法だけで書ける音楽ではない。テキストに心から共感するというのは、こういうことだと思わずにはいられない。

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