保続音
1つの声部に与えられた音が、旋律や和声の移ろいを超えて維持されること、あるいはその音とでも申し上げたい。維持の長さは数小節から数十小節までさまざまだ。この声部がバスのパートにあると「オルゲルプンクト」などと言われる。ドイツレクイエム第3曲の終末を飾る長大なフーガは、それが丸ごと「D音」の上に乗っている。
私はと申せばビートルズの「Yesterday」のラストコーラスで、ヴァイオリンがたしか「A音」をずっと引っ張るのに憧れた少年だった。
さて現在、「歌曲特集」開催中だ。私の大好きな保続音がある。
例によって至宝「野のさびしさ」op86-2の冒頭を思い出す。左手が「F音」のオクターブをずっとならすのだ。「付点4分音符+8分音符」つまり「ターンタ」のリズムでずっと繰り返される。テキストの作者アルマースは、緑の草に囲まれて青い空を見上げると歌う。彼がたたずんでいるその大地が、この「敷き詰められたF音」によって描写されていると見た。ヘ長調を象徴する、どっしりとした保続音だ。1コーラス目の最後で、左手と右手の間に絶妙のカノンが出現するが、このどっしり感は、作品の1コーラス目を通じて維持される。
さて1コーラス目の末尾にあるターンによって幾分テンポが緩むが、ピアノ左手に復帰する「ターンタ」で引き締められて2コーラス目を準備する。歌詞の冒頭にいきなり「白い雲」が現れることは既に述べた。この2小節間は1コーラス目と同じく「F音」が敷き詰められる。どっしりとした安定感を強くアピールする。ここで安定感をアピールするには理由がある。テキスト「Tiefe blau」とともに訪れる世界遺産級の転調を際だたせるためだ。
ここを境に叙情が叙景にすり替わることは既に何度も述べた。
揺るがぬ大地だったはずの「ターンタ」の「F音」が、同じリズムを保ったまま、半音ずつせり上がりを開始し3小節かけて「C音」に到達する。つまりここはピアノ左手が保続音であることを放棄する瞬間でもあるのだ。この部分の歌のパートは全曲中の白眉だからといって、歌に気を取られていると、ピアノ左手のせり上がりを聴き逃す。
そして間もなく、究極の6度だ。1コーラス目と同じピアノ左手と右手のカノンが絶妙だ。
もし、ブラームスがこの1曲しか歌曲を残さなかったとしても、歌曲の世界で不滅になったに違いない。楽譜を読めば読むほど聴けば聴くほど、新しい発見がある。
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