雨上がり
「夕立」op70-4の話は以前にもした。
第4交響曲を先取りするかのような3度下降の連鎖が、イ短調の醸しだす雰囲気とともに巧妙な雨脚の描写だった。22小節目の「dim e rit」でようやく雨が止む気配が漂って来る。24小節目のフェルマータで雨がすっかり上がる。「Langsamer」の合図で曲はハ長調に転じて、雨上がりの情景へと場面転換する。テキストの中の「Regenbogen」つまり「虹」を象徴する匂い立つような甘い甘い旋律である。
この部分を聴くと決まって思い出す歌がある。
もはや現代語訳不要の源頼政の歌だ。
庭の面はまだ乾かぬに夕立の空さり気なく澄める月かも(にわのおもは まだかわかぬにゆうだちの そらさりげなく すめるつきかも)
ブラームスも源頼政も夕立の情景と雨上がりの情景の対比が鮮やかだ。片や虹、片や月と割れているが、雨上がりの描写のツールであることに変わりはない。
<魔女見習い様
雨もまた捨てたものではありませぬ。
投稿: アルトのパパ | 2009年6月12日 (金) 19時26分
美しい・・・。
投稿: 魔女見習い | 2009年6月12日 (金) 17時27分