夏の宵
「夏の宵」は作品85-1を背負った甘美な歌曲。大御所のハイネのテキストに真っ向から対峙したブラームスである。
昨今ほとんど亜熱帯まがいの東京の夏を思い浮かべてはいけない。ひんやりと涼しげな黄金色の月を見上げながら、夢ともうつつともつかぬ物思いにふける情景なのだ。暗示的な和音がピアニシモで2つ鳴らされた後、いきなり核心をつくような甘美な旋律が立ち上がって始まる。ピアノ四重奏曲第3番第3楽章アンダンテ、ヴァイオリン協奏曲第2楽章、「サッフォー頌歌」の冒頭旋律に連なる3度下降の系譜上にある。このとき「sempre pp e legato」と記されてピアノ左手に現れる「ファ-シ-レ-ファ-シ-ラ」という上行する分散和音は本作品のもう一つの肝である。
ニ長調の中間部を経て25小節目で冒頭旋律が回帰するとき、先の分散和音には「dolce」が加えられた上に、1オクターブ高くしかも右手で奏でられる。
これだけでも美しい。十分に美しい。
「夏の宵」に続く作品85-2には同じハイネのテキストに付曲した「月の光」という作品が置かれている。変ロ長調の調号「フラット2個」を与えられながら冒頭小節でいきなり「D」にフラットが奉られている。テキストが異郷での苦悩を匂わせていることと鮮やかにシンクロしている。
やがてそうした苦悩が爽やかな「月の光」によって打ち払われる。テキストがまさに「月の光」にさしかかるところで、前作「夏の宵」の冒頭旋律が密やかに回帰するのだ。ピアノ側の上行する分散和音までセットになっている。前作の25小節目での再現よりさらに1オクターブ高く鳴らされる。爽やかな月の光に心洗われる情景の描写だと思われる。あるいは、月の高度が徐々に増して行くことを象徴したかとさえ想像したくなる。
大切なものを掌にのせてそっと差し出すような「とっておき感」がここの売りである。ピアノのパートに現われた「dolcissimo」がその根拠だ。「この分散和音は前作に出現した2回に続く3回目と考えよ」という意図に違いあるまい。「前の2回よりもっとね」というブラームスのメッセージである。
そうとでも申さねば、この唐突な「dolcissimo」は説明がつかない。
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