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2009年7月14日 (火)

作品番号のコントロール

音楽作品に付与される通し番号を作品番号と呼んでいる。音楽作品に限られているというのは不思議なことの一つである。紫式部作「源氏物語作品1」とはけして言わない。ダビンチ作「モナリザの微笑み」作品2という言い回しも聴かない。

音楽作品が作曲家ごとに通し番号が振られていて便利である。バッハのBWVや、モーツアルトのケッヘルは、本人の死後研究者によって考案されたルールによって発番されているから、作曲家当人は関知しない。19世紀になって作品出版が系統的に行われるようになって発生したのだろう。ブラームスは本人が生存中にほとんどの作品が出版された。だから作品番号の順番は、ある意味で本人承諾済みと言える。

また19世紀後半は、音楽学が学問として体系化された時代であるし、ブラームスは当時最先端の音楽学者と盛んに交流したから、先輩作曲家の作品番号に自然に親しんでいたと思われる。

出版社に送付可能な段階に達した複数の作品が手許にあるとする。ブラームスはそれらの完成原稿を出版社に渡す順番を操作することで、その作品に背負わせる作品番号をある程度コントロールしていたと思われる。作品1がヨアヒムに捧げられたハ長調のピアノソナタであり、作品2がクララに捧げられた嬰ヘ短調のピアノソナタであることは、そうした操作の賜物だと思う。

そして暴走気味にもう一つ、その手の操作の結果ではないかとにらんでいることがある。1875年「5つの二重唱曲」op66が出版された後、しばらくしてブラームスの手許には出版社に送付可能な作品が2つたまった。変ロ長調の弦楽四重奏曲と、第一交響曲ハ短調だ。前者の初演が1876年10月30日、後者のそれは同年11月4日だからたったの5日違いである。結果として初演後にも改訂が加えられた第一交響曲の出版は、変ロ長調弦楽四重奏より遅れたために、作品番号は「弦楽四重奏第3番変ロ長調op67」「交響曲第一番ハ短調op68」となった。

ブログ「ブラームスの辞書」名物、お叱り覚悟の暴走が始まる。

ブラームスは第一交響曲の作品番号を67にしたくなかったのではないだろうか?何故なら67という番号はベートーヴェンの第五交響曲ハ短調と同じになってしまうからだ。音楽界が注目するブラームスの第一交響曲が、ベートーヴェンの第五交響曲と同じ調性を背負い、フィナーレで「苦悩を克服して歓喜に」という理想を実現するアウトラインになっているのだ。このうえ作品番号まで「運命交響曲」と同じでは、詮索好きの音楽ジャーナリストがうるさいに決まっている。

田園交響曲と同じ68であれば騒ぎも大きくはなるまいとブラームスが考えたのではあるまいか。

さらに、第一交響曲をop68にしたことにより、第二交響曲までの間、きれいに独唱歌曲が並ぶこととなった。もし弦楽四重奏曲第3番と順序が入れ替わっていたら、2つの交響曲間の歌曲独占が崩れていた。そうしたら5月5日の記事「谷の百合」が書けなかったと感じる。

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