上喜撰
お茶のブランド名。
1853年6月3日ペリー提督率いる4隻の米国戦艦が浦賀に来航した。250年の永きにわたって続いた鎖国政策を根底から揺るがす大事件だった。人々の右往左往を皮肉った川柳に「上喜撰」が出て来る。「蒸気船」にひっかけた秀逸な着想により知らぬものの無い川柳となった。おかげで高級宇治茶を飲んだことがない人も多いが、このブランド名だけは良く知られている。
同じ頃、ヨハネス・ブラームスもまた人生の大転換期を迎えていた。
1853年4月19日に始まったレーメニーとの演奏旅行が全ての始まりだった。4月21日にハノーファーでレーメニーからヨアヒムを紹介される。5月に演奏旅行が一段落すると、ブラームスは再びヨアヒムを訪ねる。これが6月4日、つまりペリー提督来航の翌日だ。開国を迫るペリーに対し幕府は1年の猶予を要求し6月12日ペリーは再訪を約してひとまず日本を離れる。この6月12日はなんとブラームスがワイマールにリストを訪問した日でもある。
あまりの巡り合わせに言葉を失った。浦賀に野次馬が殺到しているころ、ブラームスも疾風怒濤の体験をしていたのかと色めき立ったが、よく調べるとペリー来航の6月3日とは旧暦だったらしい。人騒がせな話である。(私が騒いでいるだけともいう)
歴史学ではこのペリー来航から1868年明治維新までが幕末と定義されている。1868年はドイツレクイエム初演の年だ。だから1853年から1868年までと定義される幕末は、作曲家ブラームスの台頭とピタリと重なっている。これで第一交響曲が西南戦争と重なっていたらパーフェクトだった。
日本のブラームス好きならば覚えておいてもいいと思われる。1853年6月3日は新暦なら7月8日だ。つまり156年前の今日だ。
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