補助線
数学、図形の証明問題において、出題時には明示されなかった線を、回答者が引く場合がある。これを補助線という。舐めたモンではない。効果的な補助線一本で景色がガラリと変わる場合がある。補助線を思いつくかどうかで明暗が分かれる場合も少なくない。補助線の存在を、いかに悟らせないかが出題者側の肝だったりもする。
ブラームスの創作を概観する立場から見れば「オペラ」はまさに補助線だ。
ブラームスはオペラを遺していない。だから作品一覧をいくら眺めてもオペラは出てこない。ブラームスについて論述した書物やサイトにもオペラは現れにくい。しからばブラームスがオペラを知らなかったかとなると、これがとんでもない話だ。少々詳しい伝記を読めば、大変な関心を持っていたことが判明する。大いに関心を持っていたどころか、オペラを書きたいと心から欲していたことさえ明らかになる。心から欲していながら書けなかったのだ。それを称してブラームスは「オペラの創作」を結婚になぞらえているほどだ。
それでいてなお、結果としてオペラが書かれなかったことが重要なのだ。オペラは書かれなかったことに意味がある。ブラームス作品に影響を及ぼしたというならシューマン夫妻やバッハがその筆頭格だ。けれども彼らは補助線とは言えない。作品の上に直接間接に痕跡が残り過ぎているからだ。
仮にワーグナー関連記事に的を絞ったブログがあったとしよう。そこの管理人氏は、カテゴリー「交響曲」を設置しようと試みるだろうか。あるいはワーグナー作品を概観する立場から「交響曲」が補助線と言えるだろうか。結論から申せばそれらは「No」だ。
ブラームスに限らず作品論は遺された作品を整理概観することで成り立つ。これはお約束だ。同時にここが盲点にもなる。現に謝恩クイズはこの盲点をついたものだ。関心の高さにもかかわらず作品が遺されていない裏には、作曲家ブラームスの葛藤が隠れているに違いない。
オペラはまさに補助線だ。作曲家ブラームスへの理解が一段と深まる。
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