カマーチョの結婚
1826年メンデルスゾーン16歳の秋に完成したオペラだ。テキストは「ドンキホーテ」の独訳である。翌年ベルリン歌劇場で初演されるが、ブレークとまでは行かなかったようだ。しかし16歳でオペラを書き、それが翌年にさっそくベルリンで初演されるとは大したものだ。
1821年6月同じベルリン歌劇場でウェーバーの「魔弾の射手」が空前の大当たりとなり、ドイツオペラ興隆の道筋を開いたとはいえ、まだまだドイツ語圏でもイタリアオペラの勢いは残っていた。その証拠にベルリン歌劇場の総監督はイタリア人スポンティーニだったのだ。ドイツオペラの興隆を歓迎しない人々が相当数いたらしく、ブレークしないのも無理からぬ話である。
時は下って1875年1月10日のウィーン。当時楽友協会の芸術監督として最後のシーズンを過ごしていたブラームスは、メンデルスゾーンの歌劇「カマーチョの結婚」から序曲を取り上げてコンサートのプログラムに載せた。
はい、そうしましょう。
投稿: 魔女見習い | 2009年8月 6日 (木) 21時41分
<魔女見習い様
謝恩クイズは終わりましたので、リラックスなさってください。
投稿: アルトのパパ | 2009年8月 5日 (水) 06時23分
8月4日なのに、何故この記事かしら?
そう考えてしまうのは「28」の後遺症かも。(笑)
「結婚」が続きますね
投稿: 魔女見習い | 2009年8月 5日 (水) 01時14分