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2009年8月11日 (火)

ヤーン

ヴィルヘルム・ヤーン(1834-1900)オーストリアの指揮者。1881年から1897年までの永きにわたり、ウィーン宮廷歌劇場の音楽監督を務めた大物だ。いろいろ紆余曲折はあったらしいがグスタフ・マーラーの前任者だ。マーラーの伝記だけを読んでいると、あまり有能には書かれていない。たしかに晩年は体調不良で歌劇場の運営が思うに任せなかったというが、無能だったら16年も音楽監督の地位にとどまれないと思う。

名うての劇場通いだったブラームスは、こうしたウィーン宮廷歌劇場の停滞に気付いていた形跡がある。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻54ページ。1887年の記事。宮廷オペラ座100周年記念の前日に上演された「ドンジョヴァンニ」について、「舞台の工夫もいつもと違っていた」と評価するが、歌手がどうにもならんと嘆く。

101ページ。ホイベルガーとの会話の中に「もうオペラ座には行かない。最近はひどいオペラばかり聴かされているからな」と言っている。1893年の11月だ。

さらに132ページ。同じくホイベルガーとの会話だ。1895年3月22日ブラームスが宮廷歌劇場で上演されたスメタナの歌劇「秘密」について見解を述べている。辛口のコメントに続けて「ウィーンのような大劇場向きではなくて、ボヘミアあたりの小さな劇場向きだ」と述べる。このあと本日話題のヤーンを名指しして「何故、小さな農民劇ばかりをやるのか。宮廷歌劇場では大作を演ずるべき」と疑問を提示した後、大作を歌える演奏者がいないとバッサリである。

この辺りの見解は、ヤーン体制末期の歌劇場の停滞の話と一致する。

辻褄が合うことも素晴らしいが、ブラームスのオペラに対する深い見識も見え隠れする。

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