フィガロの結婚
申すまでも無くモーツアルトの3大オペラの一つ。私はどれか1つと言われれば、迷いに迷ってフィガロを選ぶ。
オペラ月間中には、本日のようにオペラのタイトルをそのまま記事のタイトルに据えるケースが多く現れる。けれども作品解説やCD推薦という保守本流の内容ではない。あくまでもブラームスに粘着した内容に終始する予定だ。「ブラームスブログ」なのにオペラ記事が連発するという違和感を楽しむ狙いだから、ブラームスに関係なく漫然とオペラネタをタレ流す訳には行かない。
ブラームスが家計を助けるためにハンブルクの街で夜間のアルバイトをしていたことは有名だ。10代半ばの男の子には教育と健康の両面で不都合も生じよう。父ヤーコプの友人で製紙工場を営んでいたアドルフ・ギーゼマンは、それを見かねてブラームスを自宅のあるヴィンゼンに招待した。
アドルフの娘リースヒェンと仲よくなったり、男声合唱を指揮したりという微笑ましいエピソードのほかに、大きなポイントがある。
ハンブルク歌劇場で上演されていた歌劇「フィガロの結婚」の鑑賞が、ギーゼマンの計らいで実現したのだ。1847年の秋か1848年の春だろう。ブラームス14歳の頃だ。これがおそらくブラームスのオペラ初鑑賞だと思われる。
このギーゼマンという人物、音楽をブラームスに直接教えることこそしていないが、若きブラームスの環境を変えたという意味では、下手な教師顔負けの存在だ。
ブラームスはフィガロの恩を忘れなかった。後にデニングホフ夫人となったリースヒェンは、娘アグネスがベルリン高等音楽院在学中に、夫と死別する。窮状を聞いたブラームスは、同音楽院の校長ヨーゼフ・ヨアヒムに奨学金の支給を掛け合って、これに成功する。万が一だめなら、自分がこっそり学費を負担するつもりだったらしい。
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