ゲノフェーファ
ロベルト・シューマン唯一のオペラ。タイトルは主人公である伯爵夫人の名前だ。テキストはヘッベルを元にシューマンが手をいれたもの。舞台は8世紀のスペインだ。
あらすじだけを読めばオペラにありがちな三角関係に、悪魔が絡んでややこしくしている感じ。ヒロインの貞淑ぶりを際だたせる筋立てだ。このヒロインをシューマン自身の妻クララにだぶらせるという指摘が後を絶たないという。
1848年には完成していたとされる。ピアノ編曲をクララが担当したようだ。紆余曲折あって1850年6月ライプチヒで初演。ドイツ国内で、その後30年間に17回上演されたという。オペラの上演は大がかりなイベントだから回数を正確に数えることが出来るのだろう。ピアノソナタや歌曲ではこうは行くまい。「30年で17回」という回数は、オペラの受けとしてはどうなのだろう。
ビゼーの最高傑作カルメンは、今でこそ大人気だが初演の評判は芳しくなかった。がっかりしたビゼーがその3ヶ月後に死去したと指摘されていることもある。ところが、その3ヶ月間のカルメンの上演回数を調べて驚いた。初演は「素材がスキャンダラス」という理由でマスコミに叩かれ、それがかえって人々の興味を掘り起こして客足が増えた。ビゼー死去までの3ヶ月で33回上演されたらしい。貞淑な妻の物語よりもスキャンダルな話の方が客を呼べるのだろう。
ブラームスの出世作「ドイツレクイエム」は1868年4月10日の初演から、1年間にドイツ国内で20回上演されたという。どんな解説書にも初演は好評で、その後瞬く間にドイツ中に広まったとされているから、「1年で20回」というのは余程のことなのだ。ゲノフェーファの約2年に1回というペースのほぼ40倍のペースだ。この扱いは結局現代の演奏頻度やCDの発売本数、あるいは愛好家の話題に上る頻度にそのまま受け継がれていると思われる。
さてそのブラームスの伝記にも「ゲノフェーファ」が引用されることが希にある。1850年3月にシューマン夫妻は演奏のためにハンブルクを訪れた。おそらく演奏を聴いたであろうブラームスは、思い切って作品を送って批評を乞うが、シューマンは封を開けずに送り返す。このときの対応の理由をオペラ「ゲノフェーファ」の初演前の紆余曲折のため、作品を見ている時間が取れなかったと位置づけてられている場合がある。
おかげで今日この記事を書くことが出来たというわけだ。
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