オペラと結婚
1888年1月7日のことだからブラームス54歳だ。友人ヴィトマンに宛てた手紙の中で、「私はオペラも結婚も諦めた」とある。オペラというのは「オペラの作曲」のことだ。このときまでにブラームスはヴィトマンとしばしばオペラの脚本について情報交換を重ねていたのだ。
結論は事実が雄弁に物語っている通り、計画の放棄である。
気に入った脚本さえ見つかればブラームスはオペラを書く気になっていたとヴィトマンは断言する。話の流れの中のここという急所に音楽をつければいいと考えていたらしい。ストーリーの全編の曲をつけるなど音楽への過剰な期待だというのがブラームスの見解だという。そうした考えに沿った脚本がとうとう見つからなかったのだ。
ブラームスの文学作品に対する洞察力には、プロの文筆家であるヴィトマンが舌を巻いている。ブラームスは自作に課した厳しいハードルをオペラの脚本にも求めていたのだ。ついにそれがブラームスをオペラの作曲から遠ざけたということだ。交響曲や室内楽、歌曲や合唱曲で獲得しているのと同等の評価を、オペラの分野で勝ち得ることが出来たかどうかは、永遠の謎になった。
オペラの作曲と結婚が同等とは、さすがにブラームスだ。世の中、結婚はしたがオペラの作曲なんぞ出来ませんという人は少なくない。
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