マイスタージンガー
ブラームスは身の回りの文学作品について、その出来映えとオペラへの順応度は必ずしもパラレルな関係にはないと考えていたようだ。オペラ化するには向き不向きがあるという信念を持っていたようだ。関連書物では断片的に言及されるばかりで、その信念の全貌を俯瞰出来ないのは残念だ。
オペラの脚本としての向き不向きはしばしば「強い」「弱い」と言い回されている。脚本が「弱い」のを作曲家の腕が救っているという感想を時々漏らしている。
ブラームスの基準に従えば「マイスタージンガー」の脚本は不向きの側だ。それも相当なレベルだ。「ぞっとするような脚本」と称している。あの脚本を手にして作曲に着手する前に「これはいける」と思うところが普通ではないと評している。それこそがワーグナーの凄いところだと逆説的に持ち上げている。
ワーグナー作品全般に同様の細かな分析をしている。アンチ・ワーグナー派の首領の座にふんぞり返っていた訳ではないのだ。敵陣の分析も怠らずといった感じである。とうとうオペラを書かなかったのはそうした状況分析の結果だと思う。
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