関が原の戦い
戦国時代末期、日本の戦国大名たちが東西に分かれて戦った。勝者たる東軍徳川家の250年に及ぶ覇権を決定付けた戦いとして名高い。
明治になって、陸軍近代化のために政府から招かれたドイツ人メッケル(Klemens Wilhelm Jacob Meckel 1842~1906)はこの関が原の戦いの布陣図を見て即座に西軍勝利を断言したという。明治政府の関係者から東軍の勝利という史実を聴かされたメッケルは「諜報活動」の大切さを再認識したといわれている。日露戦争に勝利した当時、日本軍の高官にはメッケルの教え子がかなりの数を占めていたらしい。
この文脈で、メッケルがブラームスの親戚だったら「ブラームスの辞書」的には完璧であるがなかなかそうも行かない。ブラームスとの共通点は64歳で没したことと生涯独身、それからワイン好きくらいだ。
今日の主眼はそこにはない。
関が原の戦いは慶長5年だ。西暦に直すと1600年ということになる。本日のこの記事がブログ開設から1600本目の記事だから何となく取り上げた話である。
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<魔女見習い様
ありがとうございます。
舞台裏はバタバタでございますが、それでもコンスタントだと思わせるテクだけは、身に付いてきたようです。
投稿: アルトのパパ | 2009年8月29日 (土) 08時00分
コンスタントに1600本。
頭が下がります。
投稿: 魔女見習い | 2009年8月29日 (土) 06時45分