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2009年9月30日 (水)

ある方程式

以前にも話題にした茂木大輔先生のご著書「音大進学・就職塾」で、有名作曲家の代表作品について、曲中に出現する見せ場が、管楽器&コントラバスの立場から手際よく列挙されている。ブラームスについての記述が愛情溢れるもので思わず即買いしたと述べた。

当然のことながら、ドヴォルザークにも言及がある。ドヴォルザークと標記するのは古いという耳の痛い指摘は思い切りスルーだ。交響曲第8番と9番それにチェロ協奏曲が取り上げられている。ブラームス同様の愛情ある記述だ。

注目すべきはドヴォルザークの位置付けだ。「ブラームスとワーグナーを足してスラブで味付けた」と表現なさっている。「味付け」がかけ算なのか自信はないが、

ドヴォルザーク=(ブラームス+ワーグナー)スラブ

ということか。この方程式が成り立つならばドヴォルザークをスラブで割って、そこからブラームスを引けばワーグナーが求められるのだが、そのためには「スラブ」とはなんぞやも問題になってくる。

ワーグナーやスラブについても勉強しなければいけない。

2009年9月29日 (火)

影響まみれ

古今の大作曲家同士相互の影響について語ることは愛好家にとっての楽しみの一つである。我が愛するブラームスなんかは、いわば「影響まみれ」である。

先輩作曲家の作品を自ら進んで研究したし、楽譜の出版に際して校訂をした作曲家も両手の指に余る。だからという訳でも無さそうだが、ブラームスの作品には、他の作曲家からの影響を指摘する論述には事欠かない。バッハ、ベートーヴェン、シューマン、モーツアルトを筆頭に華麗な名前が並ぶ。それでいて結果として遺された作品に、ブラームスの個性がクッキリと刻印され、埋没することはない。まさにそこがブラームスの真骨頂とも映る。

一方私が最近のめり込んでいるドヴォルザークは、いわゆるクラシック音楽の保守本流から少々はずれた地域から台頭した。シューベルト、モーツアルト、ベートーヴェンあたりの作曲家を研究したことにはなっているが、ブラームス風の「影響まみれ」にはなっていない。世に出る恩人のブラームスの影響さえ限定的だ。ブラームスからの影響が取り沙汰されている作品もあるにはあるが、どちらかというとマイナーな扱いになってしまっている。あるいはワーグナーからの影響が色濃いとされるオペラには決定的なヒット作が無い。

おそらくドヴォルザークを世に出したブラームスは、誰の手垢もついていない無垢なドヴォルザークの才能を愛したのだと思う。

2009年9月28日 (月)

伝播の向き

日本の古代史を学んでいると、様々な文物が大陸からもたらされたことが解る。先進地中国に学んだという構図だ。朝鮮半島を含む大陸と日本から同じ遺物が出土した場合、あるいは同様な遺跡が発見された場合、それらは直ちに「大陸から日本に伝えられた結果だ」と解釈されることが多い。つまり「伝播の向き」は「大陸発日本行き」なのだ。

高校時代からあまのじゃくだった私は、何か一つくらい逆向きのものもありゃせんかと考えた。朝鮮半島との関係だけで申せば「コメ」なんかが逆向きだと面白そうだと今でも考えている。

ブラームスとドヴォルザークの関係においても「伝播の向き」を考えることがある。

ドヴォルザークが音楽家として世の中に認知されるにあたりブラームスの果たした役割はとても大きい。この点疑問の余地はない。ところがここに大きな落とし穴があると思う。無意識のうちに「ブラームス発ドヴォルザーク行き」という「伝播の向き」を心の中に設定してしまいがちになる。

ドヴォルザークの作品解説にはブラームスからの影響を仄めかす記述が少なからず現れる一方で、ブラームス作品ではドヴォルザークからの影響が取り沙汰されることは無い。

ブラームスはドヴォルザークより8つ年上なだけだ。シューマンとブラームスよりずっと近い。隣国で活躍する気鋭の作曲家として同時代を生きたのだ。ブラームスの弦楽四重奏が世に出たとき、ドヴォルザークは既に6曲の弦楽四重奏を書き上げていた。交響曲でも5曲がブラ1に先行する。

実際の作品の中に、私のような素人でも解るような痕跡が残るかどうかは別として、伝播の向きを一方的に決めつけるのはちょっと危ないと感じる。

2009年9月27日 (日)

日独伊三国軍事同盟

ドイツ語の電子辞書を購入してから4ヶ月以上経った。もっと早く買えば良かった。

快適な使い心地で、私のブラームスライフをサポートしてくれている。いつぞやも書いたように、この上音楽事典機能が付いていればもっと良かった。とはいえドイツ語に加え英語の機能は上々だ。長男長女の持つ入門機種に比べて段違いの語彙数だ。「日独英縦横無尽」という触れ込みにも納得がいく。

4ヶ月も使っていると、あったらいいなも浮上する。

チェコ語機能が欲しい。最近のドヴォルザークラブの影響だ。大辞典級の語彙は不要だ。50000語くらいでよいのだが別売りのソフトも無いようだ。こういいながらも実は諦めている。チェコ語なんぞほとんど絶望だ。

しからばとばかりに、思い浮かぶのがイタリア語だ。音楽用語やチェコ語は諦めるからこちらを是非という感じである。別売りのソフトが数千円で手に入る。

私の場合、英語はいらないからイタリア語が欲しい。つまり「日独伊」である。

1940年9月27日、日独伊三国軍事同盟が成立したそうだ。

2009年9月26日 (土)

アルバイト

学生時代の収入源だった。

演奏会のチケットノルマ、部費、合宿費のほか、レッスン料、コンパ、楽器の維持費などなど、学生オーケストラもなかなかお金がかかるのだ。

私は家庭教師をメインに、遺跡調査、図書館の本の整理、パン工場の夜勤、家具の配送、オフィスの引越しなどを手がけたことがある。思いがけずにヴィオラの弦が切れたりすると大変だった。しかし、それは皆オーケストラ活動のためであって、けして家計を助けるためではなかった。

ブラームスの伝記を紐解けば、10歳を少し超えた頃、ブラームスが酒場でピアノを弾いて家計を助けたことが書かれている。教育上好ましくなさそうなバイトだし、健康にもよくないと思われる。一晩の収入は2マルクだったという。約1000円である。時給ではない。一晩である。労働条件がきついのに収入もよくない。つまりおいしいバイトではないのだ。

下級労働者の年収が1000マルクだったらしい。1日平均2.7マルクだ。その7割強を一晩で稼ぐのだから、たしかに家計の助けにはなると思われる。

後年オーストリア皇帝から勲章をもらったブラームスの下積み時代の話である。

2009年9月25日 (金)

算盤勘定

9月20日の記事「シューマンの主題を巡りて」で、ブラームスが「シューマンの主題による変奏曲」op9の出版に際してブライトコップフに依頼事をしたと書いた。依頼の内容はクララ・シューマン作曲の「シューマンの主題による変奏曲」op20と同時に出版するよう要請したのだ。ロベルト・シューマンの手による同じ主題が元になっているので面白いアイデアだ。結果としてこの提案は1854年11月に実現したようだ。

依頼された側、ブライトコップフ社の立場で考えてみる。

この時までに出版されたブラームスの作品は8個。作品5のピアノソナタと作品6の歌曲以外の6作品がブライトコップフ社から出版されている。長い伝統を誇る出版社だから、作品の売れ行き見込みの判定にはノウハウもあったハズだ。駆け出しの作曲家ブラームスの要請にホイホイと応じたとは思えない。

ロベルト・シューマンによる華々しいブラームスの紹介記事は1853年10月28日だ。ちょうどその一周年にあたる時期であり、入院中とはいえシューマン本人はまだ存命だ。かたやクララはその妻にして当代きってのピアニストである。ロベルト・シューマンと関係浅からぬ2人の作品を同時に出版することにマーケティング上のメリットを見いだしたとしても不思議ではない。さらに当時音楽界におけるロベルト、クララ、ブラームスの影響度知名度を考えてみる。少々の作品が出版されていたとはいえ、第1交響曲はもちろんドイツレクイエムもハンガリア舞曲も出る前だ。出版社にとってのブラームスの重要性は3人の中では最低だったかもしれない。

この同時出版でメリットがあるのは、むしろブラームス側だ。出版社がロベルトとクララの知名度によってブラームス作品にスポットライトをあてることを目論んだとしても不思議ではあるまい。シューマンのお墨付きへの追認だ。

商売ならば、そのように算盤を弾くものだと思う。

2009年9月24日 (木)

1000マルク

シューベルト全集が1885年に完成を見た。ブラームスが深く校訂に携わっていたことは事実だが、責任者ではなかった。このとき編集主幹を務めていたのは、ブラームス一の子分というべきオイゼビウス・マンディチェフスキーだった。楽友協会の司書を務める切れ者だ。

ブラームスはシューベルトの若書きまでもが律儀に印刷されていると苦言も呈するが、若い子分のこの業績をねぎらった。何せシューベルト全集の編集主幹だ。よくやったとばかりに暖かなメッセージを添えて1000マルクをマンディチェフスキーに贈ったのだ。ポケットマネーをポンと50万円出したというわけだ。

ドヴォルザークの第8交響曲の原稿買取にジムロックが提示したのが1000マルクだった。これがブラームス第一交響曲の15分の1の金額に過ぎず、ドヴォルザークの逆鱗に触れ、交渉が決裂したことは一昨日取り上げたばかりだ。

ところが同じ1000マルクをブラームスは、子分の偉大な業績にご祝儀として自腹を切る。使いどころを心得たと言うか、生きたお金と言うか絶妙な金銭感覚だとうならざるを得ない。ジムロックとしては商売に徹しただけで、事情も考えもあったに違いないが、結果としてブラームスの太っ腹振りを印象付けるエピソードだ。これが当時のドイツの下級労働者の1年分の生活費に相当する大金だということも肝に銘じておきたい。

2009年9月23日 (水)

短里と長里

中学の頃、江戸時代の1里は約4キロと教わった。

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」という川柳とセットだったという気がする。ここでいう八里は約32kmだということだ。

高校大学と進み古代史に向き合うようになった。世に名高い邪馬台国論争だ。魏志倭人伝には女王国への道のりが方角距離を基準に説明されている。距離の単位は「里」だ。これを江戸時代よろしく「1里=4km」と解すると大変なことになる。古代の1里を基準にせなばならない。ところが古代中国では王朝によって1里の長さが変わっていたのだ。「約80m」と「約500m」だ。前者を「短里」、後者を「長里」と呼ぶ。魏志倭人伝がどちらを採用したかで約6倍の距離差が生じてしまう。

記事「15分の1」でブラームスの諸交響曲とドヴォルザークの第8交響曲への原稿料提示に15倍の開きがあると書いた。ブラームスに払われた15000マルクとドヴォルザークに提示された1000マルクだ。

この膨大な差を知って、最初に思い出したのが本日の里程論だ。ブラームスとドヴォルザーク2人の伝記に現れる通貨単位「マルク」は同じ物と考えてよいのかという疑問が湧いた。いわば「大マルク」と「小マルク」が混同されてはいまいかという危惧だ。裏を返せばそれほど15倍という格差が衝撃的だということだ。

今後、ブログ「ブラームスの辞書」では、お金にまつわる記事がしばしば現れるが、通貨単位の問題はいつも悩ましい。うかつな断定を慎みながら話を進めたい。

2009年9月22日 (火)

15分の1

2007年11月6日の記事「作曲の報酬」で、ブラームスの交響曲の報酬が15000マルク、現在のお金に換算して750万円だと述べた。これは当時の通貨で言うなら5000ターラーだそうだ。これが高いのか安いのかという議論の手掛かりを最近発見した。

ドヴォルザークは、ブラームスにその才能を見出されベルリンの著名な出版社ジムロックと付き合いが始まった。ブラームスとは緊密な信頼関係で結ばれていたジムロックだが、ドヴォルザークとは微妙だったらしい。

1889年第8交響曲ト長調の出版に際してジムロックの提示した金額は何と1000マルクだったというのだ。現在のお金に換算して50万円だ。つまりブラームスの第1交響曲の「15分の1」である。私はドヴォルザークの8番だって大好きなので、「15分の1」には少し複雑だ。ドヴォルザークとジムロックの交渉は決裂し、第8交響曲は英国の出版社から刊行された。だから「イギリス」と一部で呼ばれることになったのだ。

一方ジムロックの立場を考えてみる。このときまでにブラームスの交響曲は4つ全てが出版されその報酬は金額不明の4番を除き、みな15000マルクだ。ドヴォルザークの交響曲は今世紀になって出版された1~4番を別にすれば5番から7番までの3曲がジムロックの手によって出版されていた。ジムロックが「ドボ8」に提示した金額は、ブラームスの4曲とドヴォルザークの5,6,7番をキッチリと比較した上でのはったり込みの結論だと推測出来る。売れ行きの実績や話題性、あるいは交渉により値段が釣り上げられる可能性を考慮して算盤を弾いていたと思われる。

ドヴォルザークは、ジムロックがブラームスの交響曲に支払った金額を知っていたのだろうか。

2009年9月21日 (月)

割り込み

「シューマンの主題による変奏曲」op9が2段階の手続きを経て完成したことは昨日の記事「シューマンの主題を巡りて」で述べた。

  • 1854年6月11日頃 仮バージョン完成。第10変奏と第11変奏を除き完成。
  • 1854年6月11日はロベルトとクララ夫妻にとっての最後の子供フェリクスの誕生日だ。
  • 1854年8月11日聖クララの日 第10変奏と第11変奏の作曲。
  • 1854年11月27日付けのロベルトの手紙にこの作品への言及が見られる。

既にロベルト・シューマンは入院中だ。

フェリクス出産後のクララへの見舞いとして書かれた曲だと位置づけ得る。この時抜けていた第10と第11の二つの変奏が8月11日の聖クララの日に補われたことは象徴的だ。このうちの第10変奏では曲中初めてクララの主題が現れるからだ。残り2小節で中音域にさりげなく現れる。曲はそれを合図に大詰めへのアプローチを始めると考え得る。これ以降の6つの変奏を通じて「ロベルト・シューマンの主題」がクララの「ロマンスヴァリエ」op3の主題と融合し得ることが語られる。さらにロベルト・シューマンの手による「クララ・ヴィークの主題による即興曲」op5との関係までもが仄めかされるのだ。

第10変奏こそがそうしたアプローチへの起点になっている。

おそらく11月にロベルトが見たのは、最終決定稿だ。つまり第10変奏も第11変奏も含まれていた。作曲者ブラームスの他には一人クララだけが仮バージョンを知っていたことになる。つまりクララだけが第10変奏と第11変奏の付加を知っていたのだ。ブラームスの意図は「ロベルト・シューマン」「クララ・シューマン」「クララ・ヴィーク」の3人の主題が融合し得るという音楽的なメッセージだ。

第10変奏と第11変奏の割り込みにはそうした意図があるに違いない。

2009年9月20日 (日)

シューマンの主題を巡りて

ロベルト・シューマンは「Albumblatter Ⅰ」と呼ばれることになる作品を書いた。「Ziemlich langsam」と記された4分の2拍子嬰へ短調の旋律である。1841年の作曲とされている。「色とりどりの小品」(Bunte Blatter)op99の4番として1852年に出版された。

妻クララは、まさにその主題を用いて変奏曲を書いた。1853年6月8日夫ロベルトへの誕生日プレゼントにするためだ。この日はロベルトがクララと一緒に過ごすことができた最後の誕生日となった。

その115日後、1853年10月1日若きブラームスがシューマン邸を訪問する。夫妻の歓迎振りはロマン派音楽史上のエポックになっている。その後ブラームスはしばらくシューマン邸に滞在したのだ。恐らくその間にブラームスは、ロベルトの主題そのものとクララによる変奏を知ることになる。

そして運命の1854年2月27日が来る。ロベルトはライン川に身を投じるのだ。そこから始まったシューマン家に対する大車輪の献身の中、恐らく6月11日のシューマン最後の子供フェリクス誕生と前後して、ブラームスはロベルトの主題(嬰ヘ短調のあの旋律)による変奏曲を完成する。現在流布する最終稿から10と11の両変奏を欠くバージョンだ。10および11変奏を補ったのは8月の聖クララの日である。世に名高い「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」op9の完成である。

ブラームスは「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」op9の出版を、クララの手による変奏と同時にするようブライトコップフ社にかけあい、それを実現させている。クララの手による変奏はop20となった。ロベルトの同じ旋律を主題とする変奏曲が同時に刊行されたということだ。

クララの手による「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」op20の自筆譜は、現在ロベルト・シューマンハウスと、ウイーン楽友協会の2箇所に所蔵されている。おそらく後者はブラームスの遺品となっていたものだ。1853年か1854年までにクララがブラームスに贈ったものに違いあるまい。40年以上ブラームスは大切に保存していたことになる。

クララのop20とブラームスのop9との話だ。2009年9月20日の話題としてこれ以上のネタは望みようがない。だからドヴォルザークネタを押しのけての登場となった。

2009年9月19日 (土)

サウンドトラック

映画に音楽は半ばつきものだ。映画の中で鳴らされていたのと同じ音源の演奏を収録したCDのことだ。サントラ盤と略されることもある。原典版的なありがたみも手伝ってか、映画ファンからは珍重される。「映画の感動をもう一度」というノリである。

オペラ月間に忙殺されていた8月にクララ・シューマンに関係した映画が公開されていたようだ。その映画音楽のCDも発売されているらしい。クララやロベルトの作品に混じってブラームスの作品も以下の通り収録されているという。本当にサントラ盤なのか確認出来ていない。

  1. ピアノ三重奏曲第1番ロ長調op8より第2楽章
  2. ピアノソナタ第2番嬰へ短調op2より第1楽章
  3. 子守唄op49-4
  4. ハンガリア舞曲第5番嬰へ短調
  5. ピアノ協奏曲第1番ニ短調op15より第1楽章

概ね初期の作品だ。

興味深いのは上記1番だ。ご存知の通りピアノ三重奏曲第1番には1854年の初版と1890年の改訂版がある。現代では大抵改訂版が演奏される。映画の中ではどちらが演奏されているのだろう。映画で第2楽章のどの部分が用いられているか判らないので何ともいえないが、仮に第2楽章冒頭からの演奏だとする。第17小節3拍目のヴァイオリンに重音奏法が現れれば改訂版だ。

映画音楽だと割り切らずに、こだわるとすればクララ、ロベルト、ブラームスのせめぎ合いを描いた映画である以上、そこに流れる音楽は断固初版でなければならないと感じる。が、はてさていかがなものか。

2009年9月18日 (金)

白山の戦い

1620年、チェコの歴史上の重要な出来事があった。それが「白山の戦い」だ。カトリックとプロテスタントの天下分け目の戦いだ。後世の歴史家はオーストリア帝国の200年に及ぶ支配を決定付けたと評価する。チェコ版「関ヶ原の戦い」みたいなものだ。

無名だったドヴォルザークが最初にチェコ国内で認められた作品にカンタータ「賛歌-白山の後継者たち」がある。

「白山の後継者たち」とは先の「白山の戦い」で破れたチェコのプロテスタントたちを指す。白山の戦いに敗れて独立を失ったチェコの人々を励ますというテキストが、管弦楽で伴奏される合唱曲だ。1873年3月9日に初演され好評を博した。

そして何よりも、後に妻となるアンナが、アルトパートで初演に参加していたのだ。

だからドヴォルザークにとっても天下分け目の作品である。

おそらく偶然だろうとは思うが、1600年過ぎたあたりには歴史上の分岐点となったいくさが多い。日本では関が原の戦いだ。チェコではこの「白山の戦い」である。実は1618年はドイツで30年戦争が始まっている。

この記事一応1620本目の記事だ。

2009年9月17日 (木)

長丁場

江戸時代、五街道を筆頭に各地に街道が整備された。途中には宿場が置かれ旅人にさまざまな機能を提供した。たとえば東海道には53の宿場があり、ゆえに「東海道五十三次」と呼ばれる。隣り合う宿場間の距離が長いことを長丁場と呼んだらしい。徒歩の旅において、次の宿場までの距離が長いことは、ストレスだったのだ。

転じて単に「物事の完結までの距離が長いこと、つまり物事の達成に時間や手間がかかること」という意味になった。

9月8日に始まったドヴォルザーク特集は、ブログ「ブラームスの辞書」開設以来初めての「1年物の企画」だ。本日ようやく10日目である。あと残り350日超の長丁場ということになる。この10日間10本の記事のうち7本がドヴォルザークネタだった。ドヴォルザーク濃度70%である。オリエンテーション代わりの高密度だ。この先1年この濃度ということはないが、長いことは確かだ。いわばブラームスとドヴォルザークの交差点を巡る遠足だ。

お弁当、水筒、しおり、雨具、時計、携帯電話、iPod、楽譜など持って、気長にお楽しみいただきたい。

おやつは1マルク以内で。

2009年9月16日 (水)

ドボ8

ドヴォルザークの交響曲第8番ト長調のことを指す。「ドヴォ8」では気分が出ない。断じて「ドボ8」だ。江戸っ子なら「ドボハチ」ではなく「ドボッパチ」と発音してみたい。とある高等学校オケの演奏会に次女とでかけて聴いたことは記憶に新しい。次女の初交響曲だ。

一方私が1978年入学と同時に飛び込んだ大学オケは、6月の定期演奏会に備えてこの曲に真正面から取り組んでいた。私自身はヴィオラの初心者だったからステージに立つことは無かったが、弦楽器の経験者であれば1年生でも出演できた。

先輩たちが演奏する曲の魅力にたちまち引き込まれた。特に第3楽章がお気に入りだったが、どの楽章も魅力的な旋律に満ちていた。ベートーヴェン一筋の高校生だった私にはとても新鮮だった。この曲が私のオケデビューだったら、今のようなブラームス愛好家になっていたか微妙だ。ブラームスの4曲を別格とすれば一番好きな交響曲の第一候補である。

1889年の完成だからブラームスの4曲より後だ。

この作品についてはホイベルガーによりブラームス自身の言葉が証言されている。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻75ページだ。そのまま引用する。

「断片やオマケみたいなものが渦を巻いている。全体的には見事で音楽的にも魅力的で美しいけれども、骨子が無いンだよ。特に第1楽章には当然あるべきものがない。でも魅力的な音楽家だ。ドヴォルザークは細かな思い付きをいちいち相手にするのではなく、もっと大きな流れをつかむべきなんだろう」

これはきっと誉め言葉だ。次から次へと惜しげもなく使われる美しい旋律への嫉妬を含んでいるかもしれない。悪く言えば「キレイな旋律を手際よく繋いだだけ」といいたいところを言葉を選んだ感じがする。構成的に弱いと感じる部分を「骨子がない」と形容したと見る。この曲のどこが「構成的に弱い」のか突っ込みを入れたい気もする。

提示部繰り返しのフェイク、緩徐楽章における独奏ヴァイオリンの採用、8分の3拍子の舞曲楽章、終楽章での変奏曲の採用など、ブラームスからの影響を想像したくなるが、充分に独創的だと思う。

お気づきの方も多いと思うが、既に私の思考回路には「ドヴォルザーク補正」がかかっている。

2009年9月15日 (火)

シアトル

WBC2連覇の重圧からか、レギュラーシーズンの最初に故障者リスト入りして心配させたシアトル・マリナーズのイチロー外野手だったが、終わってみれば今年も超一流ぶりを証明する結果になった。私はいつも彼を応援しているが、ブログで記事にすることはなかった。イチローとブラームスが上手くこじつけられなかったせいだ。

アメリカ・シアトルのファンはイチローを生で見ることが出来て幸せだなどと、のんきなことを言っている場合ではなかった。

ABSと称されるアメリカ・ブラームス協会の本拠はシアトルにあるらしい。自動車の装備と紛らわしい略称だ。ワシントン州立大学の中なのだと思う。てっきり首都ワシントンだと思っていたら、西海岸ワシントン州のことだった。

イチローが元気にプレイしている間に「ブラームスの辞書」を献本がてらシアトルを訪問してみたくなった。絵に描いたような一石二鳥だ。

2009年9月14日 (月)

交差点

道の交わるところ。物や人が自然と集まり交通の要衝となることが多い。

今後1年をドヴォルザークイヤーと位置づけたばかりだ。9月8日の誕生日にドヴォルザークを巡る旅を始めたところだが昨日9月13日はクララの誕生日だった。だからクララとドヴォルザークに関する記事を公開した。つまり昨日はドヴォルザークとクララの交差点だった。

同様にこの先1年我がブログ「ブラームスの辞書」は、折に触れてドヴォルザークに言及することになる。

ドヴォルザークイヤーとはブラームスネタとドヴォルザークの様々な交点を巡るドライブであると言い換え得る。地味な四つ角もあれば大規模なインターチェンジもある。既にそうした交差点は136箇所に達している。

2009年9月13日 (日)

クララの見解

9月8日の記事「ドヴォルザーク」の中で、クララ・シューマンはドヴォルザークの評価については、ブラームスと意見が一致していないと書いた。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻42ページにそのことが書かれている。クララの4女オイゲーニエの証言だ。

あるとき出版社からドヴォルザークの楽譜が大量に送られてきた。クララは隅々まで目を通したし、連弾曲はブラームスと演奏したこともあるが、とうとうブラームスと意見が一致しなかったとある。ドヴォルザークの何が原因なのかは明らかではない。ワーグナーの香りを嗅ぎ取った訳ではないと思うが、この点ではかたくなである。こと音楽作品の評価に関しては、夫のロベルトに対しても臆せず自己主張したとも書かれている。クララなりの判断基準があり、それはそうとう厳密なものなのだと感じる。

かご一杯にきれいな蝶を捕ってお母さんに見せたら、喜んでくれるハズのお母さんが虫嫌いだった感じに似ている。

賛同が得られなかったブラームスは少しがっかりしたと思う。けれども実は相当嬉しくもあったハズだ。ドヴォルザークの作品に対しては頑として評価を拒むクララが、自作については毎度暖かく賛同してくれることの有り難味は格別だったと思う。

そうそうクララに大量の楽譜を送ったのはジムロックだ。そしておそらくそれはブラームスの差し金である。

2009年9月12日 (土)

ロ短調組曲の断片

始めにお断りする。本日の記事はお叱り覚悟である。お叱り覚悟の記事を書くために、今日までに以下の通り周到に記事を配置してきた。

  1. 2009年4月2日「ダブルブッキング
  2. 2009年9月2日「イ短調クラヴィーア組曲
  3. 2009年9月5日「曲を贈る

上記2番と5番の記事は、「オペラ月間」と「ドヴォルザーク」の幕間に公開した。幕間のロビーでピアノ曲がかすかに流れている感じだ。そのうちの2番の記事「イ短調クラヴィーア組曲」の中でロ短調のジークとサラバンドの存在に触れた。クララ自身が証言していることもあって、現存しないプレリュードとアリアを含めたイ短調組曲の存在を想定出来る。しかしロ短調のサラバンドとジークを含む組曲の存在は確認出来ない。記事の最後でこの点を謎として提起した。

1番の記事では「クララがブラームスに3つのロマンスop22を献呈している」と書いた。このうちの1番イ短調は単独で夫ロベルトに献じられていることにも言及し、この事実をダブルブッキングと称し違和感を表明したつもりである。一方でロ短調のロマンスの存在にも触れた。こちらはブラームスのピアノソナタ第3番の緩徐楽章の旋律がトレースされているなど、明らかにブラームスを意識しているが誰にも献じられていない。イ短調とロ短調のロマンスが出版や献呈の手続きの過程でコンタミを起こした可能性を指摘した。

ここまでは前置きだ。ここからが暴走の本番だ。

所在無さ気に残されたロ短調のサラバンドとジークは、クララがブラームスに献じたロ短調のロマンスへの答礼である可能性を考えている。作曲の素養ある2人が折に触れて作品を贈り合ったことは自然でさえある。イ短調クラヴィーア組曲と対を為す、ロ短調組曲が存在したと考えたい。クララがブラームスに贈ったロ短調のロマンスをプレリュードまたはアリアと位置づけたロ短調組曲をブラームスが補筆完成したと解したい。

ロ短調のサラバンドとジークは、その組曲の断片ではないだろうか。

2009年9月11日 (金)

今さら無理

私がクラシック音楽に目覚めた頃、新世界交響曲の作曲者は「ドボルザーク」と呼ばれていた。書かれていたというべきか。かれこれ35年前だ。まだまだ第5交響曲とされている本にもよく出会った。

今では新世界交響曲は9番として定着しているし、作曲者はドヴォルジャークと書かれることが多くなった。外国の人名や地名は出来るだけ現地の発音に近いカタカナを当てるという原則が広く行き渡ったせいだ。

ベートーベンはベートーヴェンになったし、魔弾の射手の作曲者はヴェーバーで、ヴァーグナーはブラームスのライバルではなくてライヴァルだ。

そりゃあもう世の中コンプライアンス全盛だから、ルールとあらば守りたいのだが、どうも脳味噌がいうことを聞かない。先日新たにカテゴリーを立ち上げたドヴォルザークだ。ドヴォルジャークでは何だか別人みたいな感じがして気合が入らないのだ。お叱りは覚悟の上で「73 ドヴォルザーク」とした。今後展開する記事の中でも「ドヴォルザーク」に統一する。

2009年9月10日 (木)

ビッグイニング

野球用語。大量得点が入ったイニングのこと。WBC2連覇の日本が得意とするスモールベースボールでは、起こりにくいとされている。

ブログ「ブラームスの辞書」継続の秘訣に、「テーマをブラームスに絞ったこと」がある。ブラームスネタに絞ることが、制約ではなくむしろ、それこそが長続きの秘訣だと思う。

さらに最近思うことがある。ときどき導入するブログ内企画だ。一定の期間特定のネタを集中して発信するというものだが、その期間中は記事を頻度高く思いつくのだ。最初は不思議だったが、これが実は不思議でも何でもない。ブラームスに絞ることが長続きの秘訣なのだから、さらにもっと細かくテーマを絞り込むことで脳味噌が刺激されるのだ。2008年秋の「地名探検」、2009年春の「歌曲」と半年単位の大型企画を続け、さらに「謝恩クイズ」「オペラ」とショート企画を連発した期間、明らかに記事を思いつくペースが上がった。テーマと直接関係ないネタまで思いつく。

1日に5本6本はおろか10本ということもあった。ネタ備蓄のビッグイニングである。大型企画「ドヴォルザーク」を立ち上げたからまた、ビッグイニングが期待出来る。

2009年9月 9日 (水)

ドヴォルザークルネサンス

2008年3月31日の記事「ルネサンスの予感」で、バッハに次ぐ私の脳内ルネサンスの対象は誰かを予測した。あれから約1年半、このほどその結果が出た。当時の予測では第6位だったドヴォルザークだ。

バッハルネサンスの主人公ヨハン・セバスチャン・バッハは「音楽の父」とも呼ばれる大家。ブラームスはバッハを文字通り敬愛していた。わがブログ「ブラームスの辞書」では、ブラームスが脳内でバッハに与えていたのと同じ、高い位置付けをバッハに与えたいと欲し、カテゴリー「65 バッハ」を献じて記事を積み重ねてきた。バッハとブラームスの接点をクローズアップする記事だけに絞るという心地よい制約を自らに課してきた。

お気づきの方も多かろう。昨日カテゴリー「73 ドヴォルザーク」を創設した。今後関連記事を集約する。そして来年のドヴォルザークの誕生日までの1年間をドヴォルザークイヤーと位置づけて記事を発信する。同時に、先頃買い求めた新たなiPodに、ドヴォルザーク作品の取り込みを解禁することとした。ヘソを曲げなければいいが。

9月8日の記事「ドヴォルザーク」で述べた通り、ブラームスはドヴォルザークの才能を愛していた。ブラームスが脳内でドヴォルザークに与えていた位置付けに相応しい記事を、積み重ねて行きたい。

いつものように、ドヴォルザークの生涯や作品の解説あるいはおすすめCDの紹介は主眼ではない。ブラームスとドヴォルザークの接点をひたすらクローズアップする中から、ドヴォルザークではなくブラームスの人となりを浮かび上がらせる試みである。既にカテゴリー「73ドヴォルザーク」には記事が126本備蓄されている。昨日と本日の記事を入れて128本ということになる。今後もきっと増えるからこの1年のドヴォルザークネタの濃度は33%以上を確保出来る見込みだ。かといってそのほとんどがブラームスとも関連しているから、ブラームスネタの濃度が下がる心配は無用である。

ドヴォルザークを舐めていたらブラームスからどれほど叱られるかを確かめる1年になる。

2009年9月 8日 (火)

ドヴォルザーク

ドヴォルザークの誕生日は1841年9月8日だ。本日は生誕168周年にあたる。ちなみにシューマン夫妻の長女マリーと同い年、一週間違いの生まれである。

現代では押しも押されもせぬ人気作曲家となっているドヴォルザークだが、彼にもまた世に出るキッカケがあった。1874年オーストリア政府の国家奨学金に応募したことが契機となって、作品がその審査員だったブラームスの目に止まったのだ。1872年からウイーン楽友協会の音楽監督に就任していたブラームスだ。すでにウイーンを中心とする欧州での音楽的地位はそうとうな高みにあったと考えていい。

ブラームスはドヴォルザークを絶賛した。次から次への涸れることなく湧きあがる豊かな旋律を、ブラームスは愛した。半ば自嘲的に「ドヴォルザークの仕事部屋のクズ籠の中の旋律を繋ぐだけで立派な作品が出来る」とも漏らした。グスタフ・マーラーに対する屈折した評価とは異質な、手放しの称賛という感じである。

懇意にしていた出版社のジムロックを紹介し作品の出版を助けた。ブラームスが世の中に羽ばたくときにシューマン夫妻の助力があったように、ドヴォルザークの羽ばたきには、ブラームスの後見が大きく物を言った。ブラームスの「ハンガリア舞曲」のブレークに味をしめたジムロックのマーケティングは巧妙だ。異国情緒溢れる連弾用舞曲が「スラブ舞曲」として出版され、柳の下のドジョウになった。ドヴォルザークの名は欧州中に広まることになる。1878年2人の対面が実現し交流が終生続く。そしてその後もブラームスのドヴォルザークへの評価はますます高まってゆく。1895年にはウイーン楽友協会名誉会員になり、1896年にはブラームスによってウイーン音楽院教授への就任を要請されている。このときは辞退したものの、ブラームスの死の翌年には、過去ブラームスしか例のない芸術科学名誉勲章を受けている。イメージ的にはブラームスの後継という感じである。

こうした2人交流はどちらの伝記においてもエポックになっているから、どうも師弟のようなイメージだが、実際にはたったの8つ違いだ。むしろ兄弟に近い感じだ。

謎が一つある。ドヴォルザークへの称賛を惜しまなかったブラームスなのだが、芸術上のパートナーであるクララ・シューマンの反応は鈍いのだ。ドヴォルザークを称賛するブラームスからの手紙への反応が鈍い。同感とされてはいないのだ。ヨーゼフ・ヨアヒムもしかりだ。ブラームス、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲への熱狂度には大きな隔たりがある。あるいは終生蜜月状態が維持され、ブラームスの財産管理人にまでなった出版社ジムロックとは、しばしばすれ違いも起きている。

それだけにブラームス本人ののめりこみが余計に目立っているのだ。

2009年9月 7日 (月)

背に腹

鉄砲などの武器が開発される前のいくさの話。敵に腹を見せるのは愚の骨頂だった。大切な臓器が腹に収められているからだ。そもそも腹を丸出しにして眠るのは人間くらいで、他の動物は腹を地面に向けて眠る。

「背に腹は代えられぬ」という言い回しはそれらもろもろの事情を反映していると見るべきだろう。大切なものを守るために大切度の下がる事物を差し出すという意味だと思っている。

少し前になる。iPodを新たに購入した。2006年1月26日に買い求めて以来、ずっと愛用してきたのが液晶割れを起こしていたし、キー操作無効ボタンも作動しなくなっていた。3月にバッハ作品の取り込みを解禁したせいなのか、5月くらいから調子が悪く、だましだまし使っていたが、7月にとうとう使えなくなった。

少し様子を見ていたが、やっぱりiPod無しは厳しい。携帯電話よりも大切だ。電子辞書よりも必要度が高い。先に買い代えておくべきだった。120GBという膨大な容量の割りには3万円を切る。容量は半分で良いからもう少し安いとありがたいなどと、つぶやきながら我慢をしたが、やっぱりだめだ。

背に腹は代えられずにiPodを買い換えた。前のiPodにつけていた名前J.Brahmsを引き継いだ。2代目の襲名である。

2009年9月 6日 (日)

末に生まれし君なれば

申すまでもなく与謝野晶子先生の名高い詩の一節だ。日露戦争に従軍中の弟を詠んだものだ。末っ子だから親は特別の愛情を注いだという句がこれに続く。

末の子供は特別に愛情を注がれるものなのだ。兄や姉から注がれる愛情も含んでいよう。

我が家にも末っ子がいる。我が家族はもちろん次女に特別の愛情を注いできた。注いであげることが出来る愛情もさることながら、3人の子供たちの中で、もっとも母の面影を色濃く受け継いでいる。母つまり亡き妻に似ているという現実は絶対だ。お兄ちゃんもお姉ちゃんもこの点では次女に一歩譲らざるを得ない。母の記憶がほとんど無い子供たちにとって、母似の次女は貴重だ。

何よりも我が家のミュージックライフは、今や次女の肩にかかっている。中学入学から始めたトロンボーンと、ヴァイオリンという二足の草鞋が頼もしい。トロンボーンはもちろん、ヴァイオリンも今や母より上手い。

今日はその次女の誕生日。14の秋だ。

2009年9月 5日 (土)

曲を贈る

古来日本には短歌を贈るという慣習があった。歌に託して相手のご機嫌を伺うのだ。男女のやりとりも多い。万葉集にも数多く見られる。私が一番好きなのは以下のやりとりだ。

大津皇子 足引きの山のしずくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしずくに

石川郎女 吾を待つと君が濡れけむ足引きの山のしずくにならましものを

まずは男性である大津皇子が「あなたを待っていたら山のしずくに濡れてしまいました」と贈る。「山のしずく」はここでは「霧」で湿っぽくなったことも含まれるかもしれない。雨と言わぬところに奥行きも感じる。じつはこの言葉がやりとりのキーである。

贈られた石川郎女は「わたしは、あなたが濡れたという山のしずくになりとうございます」と返す。贈られた歌のキーになっていた「山のしずく」を巧みに用いてラブリービームを返す。男の発したサーブも見事だが女のリターンはもっと鋭い。リターンエースが決まった感じがする。

こうしたやりとりの妙は恋の成就の決め手であったことさえあるという。相手の教養や品格を効率よく推し量るツールになっている。人々に歌の素養があればこういうことが出来たのだ。

歌の素養でなく作曲の素養があったブラームスも作品を人に贈っている。献呈だ。しかし献呈の手続きを経ていない作品にも以下の通りプレゼント用の作品がある。

  1. FAEソナタ 大ヴァイオリニストで友人のヨアヒムの到着を待って作られた。
  2. 弦楽六重奏曲第1番第2楽章のピアノ編曲 クララへの誕生日プレゼントだ。
  3. 左手のためのシャコンヌ 右手を脱臼したクララへの見舞い。
  4. クラヴィーア組曲イ短調 9月2日の記事参照
  5. 子守歌op49-4 ベルタ・ファーバーへの出産の祝い。
  6. 雨の歌op59-3 他歌曲3曲を1873年のクララの誕生祝い。
  7. 聖なる子守歌 op91-2 ヨアヒムの長男誕生祝い。
  8. ヴァイオリンソナタ第1番第2楽章 フェリクスの病を見舞ってクララに。

やはりクララはこの点でも特別の存在だ。

2009年9月 4日 (金)

間奏曲

ブラームスラブを隠さない私のブログで、断り無く間奏曲という言葉を使えば、ブラームス中後期に君臨するピアノ曲群のことだと思われても仕方が無い。

本来は劇の幕間に演奏された小品に奉られた言葉だ。次の幕に備えて気分を準備する効果を期待されている。ある意味で作曲家の腕の見せ所でもある。

ブログ「ブラームスの辞書」は今年に入ってから「歌曲特集」「謝恩クイズ」「オペラ月間」と切れ目無くイベントを展開させてきた。いわばアタッカの連続だ。今回少々のインターバルを用意した。すなわち9月1日に終了したオペラ月間の後、次なるイベントを開始するまでに1週間程、間を空ける。間と申しても実際に記事が途切れる訳ではなく、これといったイベントに属さない記事を連ねるということだ。

つまり今はブログ「ブラームスの辞書」に久々に訪れた幕間だ。だから「間奏曲」という記事が良く似合う。

2009年9月 3日 (木)

新たな謎

通算20万アクセスと刊行4周年を記念して、ブログ初の謝恩クイズを実施した。7月28日の結果発表と同時に立ち上げたオペラ月間を終えて一段落したところだ。昨日は全く趣向を変えた記事を公開して気分転換を図った。

そして新たな謎の始まりである。

カテゴリー73が欠けている。永らく欠番だったカテゴリー28を利用することで成り立った謝恩クイズが終わったというのに、またまた欠番の出現である。

カテゴリー73は今、隠しカテゴリー状態にある。間もなく始める新たな企画のためだ。調子に乗って一部の知人には、話してしまっているから、クイズにすることは出来ない。1年がかりの大型企画を予定している。

2009年9月 2日 (水)

クラヴィーア組曲イ短調

「組曲」とはバッハに親しんでいると、しばしばお目にかかる。さまざまな古典舞曲の集合体だ。もう既にバッハの時代には、踊りという原義は薄れ、器楽曲の形式に特化していた。

  • アルマンド
  • クーラントまたはコレンテ
  • サラバンド
  • ジーク

上記4つは必ず含むことが組曲の掟になっている。サラバンドとジークの間にメヌエットかブーレかガヴォットが挿入されるので、この3者は挿入舞曲と総称される。このほかにはアルマンドに先行してプレリュードが置かれることもある。こうした掟が厳格なのが組曲で、緩いのがパルティータだそうだ。エアやドゥーブルやパティシエやスケルツォが加えられることもあるが、どちらかというとそれらは例外だ。これらの古典舞曲が組曲やパルティータの名のもとにひとまとまりにされる時、全てが同じ調になる。この決まりはかなり厳格で、メヌエットの中間部で平行調を採用することが許されているだけだ。

ブラームスの作品番号無き作品のリストを眺めていると、以下の通り古典舞曲に行き当たる。

  • ガヴォット イ短調、イ長調 WoO3
  • ジーク イ短調、ロ短調 WoO4
  • サラバンド イ短調、ロ短調 WoO5

イ短調とロ短調に集中しているのが興味を惹く。同じ調のクーラントかアルマンドがあれば組曲の完成である。クララ・シューマンの1855年9月12日の日記にはブラームスが、イ短調の「完全な組曲」を突然見せてくれたことに驚きとともに言及している。日付から見てこれはクララの誕生日9月13日を意識したプレゼントだと解するのが自然だ。さらに驚いたことにそこにはプレリュードとアリアが含まれていたと証言されている。「完全な組曲」とは本来組曲を構成する舞曲が抜けることなく揃っているという意味だ。マッコークルはブラームス作品目録の中でそのプレリュードとアリアを「失われた作品」と位置付けている。お察しの通り前記の一覧にあるガヴォット、ジーク、サラバンドのうちそれぞれイ短調の作品がこのイ短調クラヴィーア組曲を構成していたということに他ならない。

20歳そこそこの若者にしては、エレガントなプレゼントだと思うが、新たな謎の始まりでもある。上記のリストの中のイ短調の作品群についてはよくわかった。残るロ短調の作品はいったい何のためなのだろう。

2009年9月 1日 (火)

オペラ月間

8月が終わった。7月28日に謝恩クイズの解答発表をかねてカテゴリー「28 オペラ」を立ち上げた。ブラームスはついぞオペラを書くことが無かったから、ブログ「ブラームスの辞書」のカテゴリーに「オペラ」が出現するのは意外と感じる向きも多いと思う。

実はその違和感こそが「謝恩クイズ」の狙いだった。

一方ブラームスは、作品こそ残さなかったもののオペラにも多大な関心を寄せていた。そこを掘り下げてみたくてオペラ関連の記事を連ねてきた。ワーグナー専門のブログに「交響曲」というカテゴリーを作るよりは、難易度は数段低かろう。

  1. 2006年4月13日 「オペラを書かぬ訳
  2. 2009年7月28日 「結果発表
  3. 2009年7月29日 「オペラの話題
  4. 2009年7月30日 「名作オペラ
  5. 2009年8月01日 「オペラと結婚
  6. 2009年8月02日 「タイトルロール
  7. 2009年8月03日 「フィガロの結婚
  8. 2009年8月04日 「カマーチョの結婚
  9. 2009年8月05日 「結婚の効果
  10. 2009年8月06日 「ナンバーオペラ
  11. 2009年8月07日 「理性の女神
  12. 2009年8月08日 「完璧なドンジョヴァンニ
  13. 2009年8月09日 「リブレット
  14. 2009年8月11日 「ヤーン
  15. 2009年8月12日 「さくら
  16. 2009年8月13日 「妙な辻褄
  17. 2009年8月14日 「マイスタージンガー
  18. 2009年8月15日 「パート譜作り
  19. 2009年8月16日 「狂言回し
  20. 2009年8月17日 「偶然が2つ
  21. 2009年8月19日 「ロルツィング」 
  22. 2009年8月20日 「聖金曜日
  23. 2009年8月22日 「指環4部作の序列
  24. 2009年8月23日 「タンホイザーの自筆スコア
  25. 2009年8月24日 「イタリアオペラ
  26. 2009年8月25日 「ゲノフェーファ
  27. 2009年8月26日 「ヘンゼルとグレーテル
  28. 2009年8月27日 「ツルゲーネフ
  29. 2009年8月28日 「竹取物語
  30. 2009年8月31日 「補助線
  31. 2009年9月01日 本日のこの記事

本日の記事を除き30本が堆積した。カテゴリーを立ち上げるだけのことはあると思って頂けるなら幸いだ。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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