曲を贈る
古来日本には短歌を贈るという慣習があった。歌に託して相手のご機嫌を伺うのだ。男女のやりとりも多い。万葉集にも数多く見られる。私が一番好きなのは以下のやりとりだ。
大津皇子 足引きの山のしずくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしずくに
石川郎女 吾を待つと君が濡れけむ足引きの山のしずくにならましものを
まずは男性である大津皇子が「あなたを待っていたら山のしずくに濡れてしまいました」と贈る。「山のしずく」はここでは「霧」で湿っぽくなったことも含まれるかもしれない。雨と言わぬところに奥行きも感じる。じつはこの言葉がやりとりのキーである。
贈られた石川郎女は「わたしは、あなたが濡れたという山のしずくになりとうございます」と返す。贈られた歌のキーになっていた「山のしずく」を巧みに用いてラブリービームを返す。男の発したサーブも見事だが女のリターンはもっと鋭い。リターンエースが決まった感じがする。
こうしたやりとりの妙は恋の成就の決め手であったことさえあるという。相手の教養や品格を効率よく推し量るツールになっている。人々に歌の素養があればこういうことが出来たのだ。
歌の素養でなく作曲の素養があったブラームスも作品を人に贈っている。献呈だ。しかし献呈の手続きを経ていない作品にも以下の通りプレゼント用の作品がある。
- FAEソナタ 大ヴァイオリニストで友人のヨアヒムの到着を待って作られた。
- 弦楽六重奏曲第1番第2楽章のピアノ編曲 クララへの誕生日プレゼントだ。
- 左手のためのシャコンヌ 右手を脱臼したクララへの見舞い。
- クラヴィーア組曲イ短調 9月2日の記事参照
- 子守歌op49-4 ベルタ・ファーバーへの出産の祝い。
- 雨の歌op59-3 他歌曲3曲を1873年のクララの誕生祝い。
- 聖なる子守歌 op91-2 ヨアヒムの長男誕生祝い。
- ヴァイオリンソナタ第1番第2楽章 フェリクスの病を見舞ってクララに。
やはりクララはこの点でも特別の存在だ。
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