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2009年9月 8日 (火)

ドヴォルザーク

ドヴォルザークの誕生日は1841年9月8日だ。本日は生誕168周年にあたる。ちなみにシューマン夫妻の長女マリーと同い年、一週間違いの生まれである。

現代では押しも押されもせぬ人気作曲家となっているドヴォルザークだが、彼にもまた世に出るキッカケがあった。1874年オーストリア政府の国家奨学金に応募したことが契機となって、作品がその審査員だったブラームスの目に止まったのだ。1872年からウイーン楽友協会の音楽監督に就任していたブラームスだ。すでにウイーンを中心とする欧州での音楽的地位はそうとうな高みにあったと考えていい。

ブラームスはドヴォルザークを絶賛した。次から次への涸れることなく湧きあがる豊かな旋律を、ブラームスは愛した。半ば自嘲的に「ドヴォルザークの仕事部屋のクズ籠の中の旋律を繋ぐだけで立派な作品が出来る」とも漏らした。グスタフ・マーラーに対する屈折した評価とは異質な、手放しの称賛という感じである。

懇意にしていた出版社のジムロックを紹介し作品の出版を助けた。ブラームスが世の中に羽ばたくときにシューマン夫妻の助力があったように、ドヴォルザークの羽ばたきには、ブラームスの後見が大きく物を言った。ブラームスの「ハンガリア舞曲」のブレークに味をしめたジムロックのマーケティングは巧妙だ。異国情緒溢れる連弾用舞曲が「スラブ舞曲」として出版され、柳の下のドジョウになった。ドヴォルザークの名は欧州中に広まることになる。1878年2人の対面が実現し交流が終生続く。そしてその後もブラームスのドヴォルザークへの評価はますます高まってゆく。1895年にはウイーン楽友協会名誉会員になり、1896年にはブラームスによってウイーン音楽院教授への就任を要請されている。このときは辞退したものの、ブラームスの死の翌年には、過去ブラームスしか例のない芸術科学名誉勲章を受けている。イメージ的にはブラームスの後継という感じである。

こうした2人交流はどちらの伝記においてもエポックになっているから、どうも師弟のようなイメージだが、実際にはたったの8つ違いだ。むしろ兄弟に近い感じだ。

謎が一つある。ドヴォルザークへの称賛を惜しまなかったブラームスなのだが、芸術上のパートナーであるクララ・シューマンの反応は鈍いのだ。ドヴォルザークを称賛するブラームスからの手紙への反応が鈍い。同感とされてはいないのだ。ヨーゼフ・ヨアヒムもしかりだ。ブラームス、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲への熱狂度には大きな隔たりがある。あるいは終生蜜月状態が維持され、ブラームスの財産管理人にまでなった出版社ジムロックとは、しばしばすれ違いも起きている。

それだけにブラームス本人ののめりこみが余計に目立っているのだ。

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コメント

<narkejp様

謎の解明などという大袈裟な代物ではありませんが、退屈だけはさせないよう精進してまいります。

つまらないようなら賽銭泥棒よろしくお願いします。

ブラームスとドヴォルザーク。たいへん興味深いテーマです。鉄ちゃんで鳩愛好家だったというドヴォルザークの、どんな点がブラームスと相性がよかったのか、今後の謎の解明が楽しみです(^_^)/

<てぃんぱにゃー様

はい。カテゴリー73の発進でございます。
ユーモレスクと新世界だけの人ではないことを再確認してまいりたいと考えています。

がんばります。

<アリア様

ありがとうございます。

続編があるの無いのというレベルではありません。この先1年ドヴォルザーク漬けのお覚悟でお願いします。

<yoppy様

ご期待に添うかどうかは別として、本数だけは結構なモンになる予定です。

お楽しみに。

<yasu@巨人様

ブラームスはドヴォルザークの恩人でした。そのブラームスはシューマンに恩義があります。

そのうち恩返しを期待しております。

祝73発進!実はあまりよく知らないので^_^;楽しみです♪

ドヴォルザークといえば、打楽器的には例のあの一発のシンバル(しかもmfかなんか)に泣かされた話を聞きますね(笑)

いつも興味深く読ませていただいております。
ドボルザークがブラームスの何らかのツボにはまったのでしょうか?
このお話に続編はありますか?

ブラームスとドボルザークの共通項は、やはり「スラブ」色なのかなと。
シューマン、マーラーに薄く、この2人に濃いものといえば。(シューマン・マーラーにまったくスラブ色がないわけではないと思うのですが)
ヨーロッパの文化の一つのキーワードであり、「郷愁」を匂わせる「ジプシー文化」を取り入れる作曲家、そうでない作曲家。
どういう法則があったのだろうなと、興味があります。

当時、音楽が「流行する」ということがすなわち「連弾の曲を書く」ということだったと何かで読みました。
時代と文化と、そういうことで音楽はやっぱり、ある一定の方向に進化していくのだなと思います。

ブラームスはドヴォルザークにとって恩人ですね。
ブラームスについて書かれている貴方のことをきっとドヴォルザーク喜んでいることでしょう
僕はいろいろな意味で貴方を恩人とおもっています

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