算盤勘定
9月20日の記事「シューマンの主題を巡りて」で、ブラームスが「シューマンの主題による変奏曲」op9の出版に際してブライトコップフに依頼事をしたと書いた。依頼の内容はクララ・シューマン作曲の「シューマンの主題による変奏曲」op20と同時に出版するよう要請したのだ。ロベルト・シューマンの手による同じ主題が元になっているので面白いアイデアだ。結果としてこの提案は1854年11月に実現したようだ。
依頼された側、ブライトコップフ社の立場で考えてみる。
この時までに出版されたブラームスの作品は8個。作品5のピアノソナタと作品6の歌曲以外の6作品がブライトコップフ社から出版されている。長い伝統を誇る出版社だから、作品の売れ行き見込みの判定にはノウハウもあったハズだ。駆け出しの作曲家ブラームスの要請にホイホイと応じたとは思えない。
ロベルト・シューマンによる華々しいブラームスの紹介記事は1853年10月28日だ。ちょうどその一周年にあたる時期であり、入院中とはいえシューマン本人はまだ存命だ。かたやクララはその妻にして当代きってのピアニストである。ロベルト・シューマンと関係浅からぬ2人の作品を同時に出版することにマーケティング上のメリットを見いだしたとしても不思議ではない。さらに当時音楽界におけるロベルト、クララ、ブラームスの影響度知名度を考えてみる。少々の作品が出版されていたとはいえ、第1交響曲はもちろんドイツレクイエムもハンガリア舞曲も出る前だ。出版社にとってのブラームスの重要性は3人の中では最低だったかもしれない。
この同時出版でメリットがあるのは、むしろブラームス側だ。出版社がロベルトとクララの知名度によってブラームス作品にスポットライトをあてることを目論んだとしても不思議ではあるまい。シューマンのお墨付きへの追認だ。
商売ならば、そのように算盤を弾くものだと思う。
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