シューマンの主題を巡りて
ロベルト・シューマンは「Albumblatter Ⅰ」と呼ばれることになる作品を書いた。「Ziemlich langsam」と記された4分の2拍子嬰へ短調の旋律である。1841年の作曲とされている。「色とりどりの小品」(Bunte Blatter)op99の4番として1852年に出版された。
妻クララは、まさにその主題を用いて変奏曲を書いた。1853年6月8日夫ロベルトへの誕生日プレゼントにするためだ。この日はロベルトがクララと一緒に過ごすことができた最後の誕生日となった。
その115日後、1853年10月1日若きブラームスがシューマン邸を訪問する。夫妻の歓迎振りはロマン派音楽史上のエポックになっている。その後ブラームスはしばらくシューマン邸に滞在したのだ。恐らくその間にブラームスは、ロベルトの主題そのものとクララによる変奏を知ることになる。
そして運命の1854年2月27日が来る。ロベルトはライン川に身を投じるのだ。そこから始まったシューマン家に対する大車輪の献身の中、恐らく6月11日のシューマン最後の子供フェリクス誕生と前後して、ブラームスはロベルトの主題(嬰ヘ短調のあの旋律)による変奏曲を完成する。現在流布する最終稿から10と11の両変奏を欠くバージョンだ。10および11変奏を補ったのは8月の聖クララの日である。世に名高い「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」op9の完成である。
ブラームスは「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」op9の出版を、クララの手による変奏と同時にするようブライトコップフ社にかけあい、それを実現させている。クララの手による変奏はop20となった。ロベルトの同じ旋律を主題とする変奏曲が同時に刊行されたということだ。
クララの手による「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」op20の自筆譜は、現在ロベルト・シューマンハウスと、ウイーン楽友協会の2箇所に所蔵されている。おそらく後者はブラームスの遺品となっていたものだ。1853年か1854年までにクララがブラームスに贈ったものに違いあるまい。40年以上ブラームスは大切に保存していたことになる。
クララのop20とブラームスのop9との話だ。2009年9月20日の話題としてこれ以上のネタは望みようがない。だからドヴォルザークネタを押しのけての登場となった。
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