サーバー夫人のリスト
ジャネット・サーバー夫人はドヴォルザークの伝記で、言及されぬことのない人物。ニューヨーク・ナショナル音楽院の経営者だ。
19世紀末。アメリカはクラシック音楽の市場としても目覚ましい発展をしていたが、それらを支えたのは欧州から招かれた音楽家だった。欧州から作曲の大家を呼んでも、故国の語法を教授するだけで、アメリカ国民楽派の設立には繋がらないという問題意識を持っていた。
サーバー夫人はアメリカ自前の音楽家の養成を意図した。作曲面においてゆくゆくは「アメリカ国民楽派」の興隆を夢見ていたとは古来指摘されている通りである。サーバー夫人はそのためには、この趣旨にピッタリの作曲家を招くことが必要と考えた。1890年頃である。彼女がリストアップ可能な招聘候補者はおおよそ以下の通りと思われる。
- ブラームス 1833年生 57才
- サンサーンス 1835年生 55才
- ドヴォルザーク 1840年生 50才
- チャイコフスキー 1841年生 49才
- グリーク 1843年生 47才
- マーラー 1860年生 30才
- Rシュトラウス 1864年生 26才
- シベリウス 1865年生 25才
欧州でそこそこの実績と名声があるというのが譲れぬ条件だとすれば、マーラー、Rシュトラウス、シベリウスは脱落かもしれない。サーバー夫人は「ドヴォルザークがダメならシベリウス」と考えていたとする説があるが、年齢的に難しそうだ。
おそらく当時欧州最高の作曲家ブラームスを担ぎ出せれば大殊勲だ。しかし、ドーヴァー海峡を渡るのに難色を示した男に大西洋を横断させるのは相当難しいと思われる。そして何よりもブラームスは金に困ってはいない。「カネなんぞなんぼ積まれても」状態だ。
グリークやチャイコフスキー、サンサーンスは話のもって行き方次第だったかもしれない。
それでもドヴォルザークが釣れれば御の字だろう。以下その根拠。
- チェコ国民楽派の重鎮だ。アメリカ国民楽派の創設にはうってつけと思われる。
- 見方にもよるが当時欧州では、作曲家としてブラームスに次ぐ存在。
- プラハ音楽院での指導経験がある。
- 温厚な性格。
- アメリカの旧宗主国・英国での名声が高い。
- 英語が話せる。
- 6人の子供を養っているからお金は邪魔にならない。
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