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2009年10月19日 (月)

チェロ協奏曲

チェロを独奏楽器とする協奏曲。古来名曲を生んできたとは言え、数の上ではピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲には及ばない。

ブラームスを世に出したのはロベルト・シューマン。そしてそのブラームスによって世に出されたのがアントニン・ドヴォルザークだ。不思議なことにブラームスと関係浅からぬこの2人は後世に残るチェロ協奏曲を書いた。

ドヴォルザークはアメリカ滞在中にチェロ協奏曲ロ短調の作曲に着手し、帰国後1895年にこれを完成する。ドヴォルザークは完成間もないチェロ協奏曲を携えて体調がすぐれぬブラームスをウィーンに見舞う。ブラームス感嘆して曰く「こんな協奏曲がかけるなんて!」「わかっていたら真っ先に自分が書いていただろうに」つまり絶賛である。以来ドヴォルザークのこの協奏曲は、現代に至るもチェロ協奏曲の代名詞として君臨している。

素朴な疑問がある。ブラームスは恩師シューマンのチェロ協奏曲を知っていたのだろうか。

シューマンのチェロ協奏曲イ短調は1850年の作品だ。出版は1854年だから、ちょうどブラームスがシューマン邸を訪れた頃である。尊敬するシューマンの作品には隅から隅まで目を通していたはずだから、この協奏曲も知っていたと考えるのが自然だ。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲の出来映えに興奮して思わず口をついて飛び出した言葉だろうと思うが、クララがいたらヘソを曲げていたかもしれない。

ドヴォルザークはブラームスの口から発せられたこのような評価を心に留めていた。いや、心に留めていたどころではない。肝に銘じていたと申すべきだ。1897年10月19日ブラームスの追悼演奏会がライプチヒで開かれた。ドヴォルザーク自身の指揮で取り上げられたのが、他でもないこのチェロ協奏曲だった。

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