指揮者マーラーの価値
グスタフ・マーラーはハンブルク市立歌劇場の指揮者を務めていた時代がある。1891年から1897年までだ。これに先立つ1886年ライプチヒ市立歌劇場時代にもハンブルク市立歌劇場と接触している。ハンブルクのオファーは年俸6000マルクだったが、合意には至らなかった。キッチリ10年遡る1876年ブラームスへのデュッセルドルフのオファーと同額だ。
さらに10月28日の記事「シューマンの収入」で紹介したデュッセルドルフ時代のシューマンの収入に届いていない可能性がある。シューマンの方の数値には年俸金額が、総額記載の別枠か内訳かについて留保があった。別枠だった場合に約8000マルクで、内訳なら5000マルクだ。合意に至らなかった理由の一つかもしれない。
さてその決裂から5年後、マーラーは正式にハンブルク市立歌劇場指揮者に就任するが、今度は倍増の年俸12000マルクだった。
不思議なのはその次だ。1897年4月マーラーはブラームスのアシストの甲斐もあってウィーン宮廷歌劇場指揮者に就任するが、この時の年俸が10000マルクだ。付帯条件もあるので断言は危険だが、ハンブルクより条件が悪く見える。
何度でも言う。1877年に出版されたブラームスの第1交響曲の原稿料は15000マルクだった。
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