ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« デュッセルドルフのオファー | トップページ | 第2次カテゴリー改訂 »

2009年10月31日 (土)

指揮者マーラーの価値

グスタフ・マーラーはハンブルク市立歌劇場の指揮者を務めていた時代がある。1891年から1897年までだ。これに先立つ1886年ライプチヒ市立歌劇場時代にもハンブルク市立歌劇場と接触している。ハンブルクのオファーは年俸6000マルクだったが、合意には至らなかった。キッチリ10年遡る1876年ブラームスへのデュッセルドルフのオファーと同額だ。

さらに10月28日の記事「シューマンの収入」で紹介したデュッセルドルフ時代のシューマンの収入に届いていない可能性がある。シューマンの方の数値には年俸金額が、総額記載の別枠か内訳かについて留保があった。別枠だった場合に約8000マルクで、内訳なら5000マルクだ。合意に至らなかった理由の一つかもしれない。

さてその決裂から5年後、マーラーは正式にハンブルク市立歌劇場指揮者に就任するが、今度は倍増の年俸12000マルクだった。

不思議なのはその次だ。1897年4月マーラーはブラームスのアシストの甲斐もあってウィーン宮廷歌劇場指揮者に就任するが、この時の年俸が10000マルクだ。付帯条件もあるので断言は危険だが、ハンブルクより条件が悪く見える。

何度でも言う。1877年に出版されたブラームスの第1交響曲の原稿料は15000マルクだった。

« デュッセルドルフのオファー | トップページ | 第2次カテゴリー改訂 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 指揮者マーラーの価値:

« デュッセルドルフのオファー | トップページ | 第2次カテゴリー改訂 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
無料ブログはココログ