教材
ドヴォルザークの伝記を読んでいて素朴な疑問が湧いた。
プラハオルガン学校などで音楽を習った訳だが、そこで教材にされた作曲家が列挙されている。ベートーヴェン、モーツアルト、シューベルト、バッハ、ヘンデルが言及されている。あるいはアプトという指導者の下でワーグナーやシューマンを吸収したとされている。
ブラームスの名前が無いのだ。
ドヴォルザークがプラハオルガン学校に入学したのは1858年だ。シューマンの没年前後5年にわたって横たわるブラームス初期の寡作期だ。ブラームスが教材になるはずもない。2年後のオルガン学校卒業からオーストリア国家奨学金応募までの14年間は、ブラームスの勃興期に相当する。ハンガリア舞曲も出たし、ドイツレクイエムも出た。ところが手許の評伝には書かれていない。
もっと詳しい伝記を探さねばならないが、徒労に終わる気がする。この時期ワーグナーに夢中だったというオチが十分あり得る。
レッスンの教材選択は、師匠の権利だ。ドヴォルザークが修行の過程でブラームスに注意を払っていなかったとしても仕方がない。同時代を生きたとはそういうことだ。レッスンの教材に同時代の作品を取り上げるというのは、作品の評価が未確定のことも多かろう。教師にとっては危ない選択なのだ。
オーストリア国家奨学金に応募するまで、ドヴォルザークはブラームスを知らなかったということもあると思っている。
<mayoneko様
それはそれは失礼いたしました。
あと150本くらい続きますので、今一度借り直してくだされ。
投稿: アルトのパパ | 2009年10月 2日 (金) 19時35分
うう、関連本全て図書館に返してしまった後にそのような面白い話題を・・・
も一回借りてこようかしら。
最初に二人が対面した時に何を話したのかも気になります♪
投稿: mayoneko | 2009年10月 2日 (金) 18時41分