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2009年10月13日 (火)

出版社との折り合い

音楽史を見渡すと、偉大な作曲家がきら星のごとく並んでいる。彼等の功績はまことに大きいのだが、作品の普及という意味では楽譜の存在が無視できない。ほとんどが手書きの筆写譜で伝えられるバッハの時代でさえ印刷譜は存在した。

やがて楽譜の印刷を専門にする出版社も現れる。作曲家の伝記にもしばしば具体的な出版社の名前が登場するようになる。作曲家と出版社の関係は持ちつ持たれつなのだとは思うが、どうも折り合いがよろしくない。作曲家は出版社の金の支払いが遅いと憤るか、安いと嘆くかだ。あるいは誤植が多過ぎると愚痴をこぼす。誤植どころか勝手に音符に手を入れる強者もいたらしい。一方の出版社の側では、作曲家が締め切りを守らぬと嘆き、書き方の乱暴さを問題にするだろう。作曲家の自信ほどは楽譜が売れないというケースも多々あったようだ。

芸術面では天才の名を欲しいままにする作曲家が交渉事の達人である保証はない。いやむしろその面では不器用であることが普通だ。

ブラームスとて自らは作曲に専念して、作品の出版交渉は誰かに任せた訳ではない。マネージャーがいた訳ではなくそのあたりの出版社との交渉も自分でこなしたのだ。けれどもブラームスは意外とその点でもソツがなかったという。複数の出版社を秤にかけておいしい選択をしていた。漏れ聞くところによればブラームスはほぼ作曲だけで飯が食えて、生前に全作品が出版された最初のケースだという。おまけにバカにならない額の遺産を遺した。つまり出版社から見ても商売になる素材だったということだ。自作に対する自信と世間の評価つまり楽譜の売れ行きにギャップが無かったということだろう。

ドイツ有数の出版社・ジムロック社のフリッツ・ジムロックとの交流は特に名高い。ブラームスのジムロックへの信頼は厚く、財産管理を委任していた。商売上の小さな行き違いはあったと思うが、肝心なところの折り合いはついていた。出版社との折り合いが良かったというのは正確ではあるまい。ジムロックという友人がたまたま出版社を経営していたと解する方が判り易いと感じる。

そうドヴォルザークの交響曲第8番の原稿料に1000マルクを提示した、あのジムロックである。

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