ジムロックという男
10月20日の記事「作品の価格表」を今一度ご覧いただきたい。そこにはブラームス作品が出版社にいくらで買われたかが書いてある。ついでにどの出版社に買われたのかも添えておいた。ジムロック社が圧倒的に多い。つまりブラームス作品の買い取り相場を形成したのはジムロックだということだ。その間、ジムロック以外の出版社から楽譜が刊行されることもあったが、買い取り価格は、相場に従っているのが面白い。
フリッツ・ジムロックはブラームスの友人にして楽譜出版社を経営するビジネスマン。もちろん深い音楽の素養もあった。財産管理を任されるほどブラームスの信頼は厚い。さてジムロックが形成したブラームス作品の買い取り相場を今一度書く。
- 交響曲 1曲750万円 (15000マルク)
- 協奏曲 1曲450万円 (9000マルク)
- 管弦楽 1曲225万円 (4500マルク)
- 室内楽 1曲150万円 (3000マルク)
- ピアノ曲 1曲 40万円 (800マルク)
- 歌曲 1曲 22.5万円 (450マルク)
- ハンガリア舞曲 第2集11曲で150万円(3000マルク)1曲約14万円
- 49のドイツ民謡 全49曲で750万円(15000マルク)1曲約15万円
もしオペラでも書いていたらいくらになったのか興味深い。それにしてもこの相場の一貫性、整合性は気持ちが良い。ブラームス本人に提示していたかどうかはともかく、ジムロック側にはこうした買い取り価格表があったに違いない。
さてジムロックはブラームスから紹介されたドヴォルザークとはしばしば折り合いが悪かった。若きドヴォルザークを紹介されたジムロックは、生涯ドヴォルザーク作品の優先出版権を得るが、その関係は蜜月ばかりではなかった。ドヴォルザークの伝記においては「仇敵」「けちん坊」と表現されることもある。ドヴォルザークの伝記に現れる作品の買い取り価格を以下に列挙する。この比較をするために延々と記事を連ねてきた。
- 1874年 交響曲第4番 300万円 (6000マルク)
- 1878年 スラブ舞曲集第1集全8曲 15万円(300マルク)
- 1879年 ヴァイオリン協奏曲 50万円(1000マルク)
- 1884年 劇音楽「フス教徒」とピアノ連弾曲「シュマヴァの森より」を合わせて175万円(3500マルク)
- 1885年 交響曲第7番 300万円(6000マルク)但し、ジムロックの当初提示額はこの半額だった。ドヴォルザークは他の出版社から6000マルクのオファーがあることを手紙で仄めかした結果ジムロックが譲歩した。
- 1886年 スラブ舞曲集第2集全8曲 150万円(3000マルク) 第1集の価格の10倍になっている。1曲18万7500円だ。楽譜が売れるということはこういうことなのだろう。しかしこれをただちにブラームスのハンガリア舞曲以上の評価だと断定するわけにはいかない。何故ならスラブ舞曲の側は管弦楽編曲版込みの値段という可能性が高い。
- 1887年 交響曲第5番、交響的変奏曲、ト長調弦楽五重奏曲、ピアノ五重奏曲イ長調、「詩編149」5曲合わせて300万円(6000マルク)。音楽之友社刊行の人と芸術◎ドヴォルザークでは、この商談を「ドヴォルザークがジムロックに売りつける」と表現しているがやや違和感がある。ブラームスの交響曲1曲の半額以下だ。ジムロックから見れば買い叩きつまり安い買い物だろう。
- 1889年 ピアノ独奏曲「詩的な音画」120万円(2400マルク)ドヴォルザークは3000マルクつまりスラブ舞曲第2集(8曲)並を希望したらしいがジムロックが値切った。こちらが5曲も多いのにドヴォルザークの要求は弱気だ。
- 1889年 交響曲第8番 ジムロックの買い取り額の提示は50万円(1000マルク)だ。ヘソを曲げたのかドヴォルザークは英国ノヴェロ社に刊行を依頼した。「詩的な音画」との評価の差はいったい何なのだろう。ドヴォルザークがヘソを曲げるのも無理はないと感じる。
- 1893年 交響曲第9番、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」、変ホ長調弦楽五重奏曲、「自然の中で」「謝肉祭」「オセロ」という3つの管弦楽用序曲、他少々の小品を全部あわせて375万円(7500マルク)
- 1894年 8つのフモレスカ 200万円(4000マルク) この中の7番変ト長調が「ユーモレスク」として世界中で親しまれている。
- 1897年 「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」 600万円(12000マルク) 世界的な名声の高まりにより、この3曲の交響詩に1曲あたり4000マルクを付けざるを得なかったジムロックだが、それでもブラームスの序曲の単価4500マルクを上回ることはなかった。
ジムロックの強硬姿勢にため息が出る。あるいはブラームス作品の買い取りにお金がかかってドヴォルザークに回せなかったのかもしれない。しかしスラブ舞曲第2集への大盤振る舞いを見ると単なるケチとは思えない。
ブラームスの対応の違いと言えば金額自体もさることながら、ブラームスにおいては曲種ごとにキッチリとした決まり事が透けて見えるのに対しドヴォルザーク作品については同一曲種でもバラツキが見られることだ。加えて抱き合わせでの買い取りも多いから曲の単価が突き止めにくくなっている。スラブ舞曲第2集と最晩年の交響詩3部作が価格面でのピークと思われるが、ブラームスの同一曲種の金額を上回ることがないような配慮も感じる。
事情はいろいろあろうが事実は残酷である。出版社にとっては楽譜の売れ行きこそが最大の関心事項だろうから、これらの強硬姿勢が現実の楽譜の売れ行きをパラレルに反映していた可能性は高い。あるいは単にドヴォルザークが舐められていただけということもあり得る。もう1人2人別の作曲家の相場を知りたいところだ。
ブラームスに紹介されたという恩義など忘れて英国のノヴェロ社あたりにさっさと乗り換えていたらドヴォルザークの生涯収入はもう少し増えていたと思う。一方で当時のクラシック音楽業界において、ドイツの有名出版社から作品が出版されるということの価値は、金額換算不可能と見ることも出来よう。
この記事、序盤のヤマ場。
<yoppy様
残念ながら売れ行きは難しゅうございます。販売価格より難易度が数段上です。でもってドヴォルザークはもっと難儀です。
情報収集の結果、面白い話があればいずれまた。
何かと小出しにしたい性格です。
投稿: アルトのパパ | 2009年10月25日 (日) 17時46分
私はぜひ、売れ行きのほう、興味あります。
判るんですか?!
けっこうきちんと、記録って残っているものなんですね!
投稿: yoppy | 2009年10月25日 (日) 16時32分
<魔女見習い様
おぉぉ。鋭い。仕入れ価格がわかったのですから、次は売価が気になるのは自然なところでしょう。そのうち記事にする予定です。
加えて販売数量をつきとめて収益を類推するくらいまでは行きたいものです。
投稿: アルトのパパ | 2009年10月24日 (土) 16時27分
すごいビジネスマンですね!
こうなると、楽譜の販売価格も気になってきます。
投稿: 魔女見習い | 2009年10月24日 (土) 15時16分