カルメン
2008年6月3日の記事「狩の獲物たち」の中で、ブラームス作「禁則違反のリスト」に登場する作曲家を列挙した。この表は、はたしていつまで作り続けられていたのかというのが本日の話題である。
それを探る手掛かりが本日のお題「カルメン」だ。そのリストに現われた作曲家の中で最年少であり唯一ブラームスより年下なのがジョルジョ・ビゼーその人だ。問題の禁則違反はビゼーの代表作「カルメン」の第2幕12曲に現われるらしい。ということはつまりこの表は「カルメン」の初演1875年以降にも作られたことになる。もっというなら1875年10月23日の「カルメン」のウィーン初演以降だという可能性は低くない。
さらにこのほど思わぬところに手掛かりを発見した。例によって音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻87ページだ。何と1892年10月25日の記事として、その年の夏にブラームスがイシュルで、ビゼーの作品全集のスコアをむさぼり読んでいたと証言されている。ブラームスが「カルメン」で到達したビゼーの巧みさを称賛したと書いてある。もしかすると「カルメン」の禁則違反の発見はこのときではないだろうか。むさぼり読んでいたのはスコアを見るのがこのとき初めてだったからだと解したい。
「カルメン」はタイトルロールがメゾソプラノになっているという点で異色だ。メゾソプラノラブのブラームスが熱狂するのもむべなるかなである。1892年ブラームス59歳だ。いくつになっても探究心旺盛である。
実はドヴォルザークも、不道徳な内容に顔をしかめながらもカルメンの音楽を高く評価していた。
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