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2009年10月 9日 (金)

ドヴォルザークのお手並み

もう一度2008年6月3日の記事「狩りの獲物たち」をご覧頂きたい。そこには和声上の禁則違反を犯した作曲家をブラームスがリストアップしたと書いた。つい先ごろ10月7日の記事「カルメン」で、その表は1892年までコツコツと作られていたという仮説を提示した。

一方そのリストに登場した作曲家で最も年下なのは1838年生まれのビゼーだとも書いた。ということはつまり1841年生まれのドヴォルザークはリストアップされていないのだ。

ブラームス側の伝記はともかく、ドヴォルザーク側の伝記では、ブラームスはドヴォルザークを世に出した恩人と位置付けられている。そのキッカケはオーストリア国家奨学金への応募だ。そこの審査委員だったブラームスは、1874年から79年まで毎年応募してきたドヴォルザークの作品を仔細に検討したに決まっているのだ。それでも禁則違反のリストに名を連ねていないということだ。

さらにビゼー「カルメン」の禁則違反を発見した59歳のブラームスは、その翌年に新世界交響曲の出版を助けるために校訂を引き受けている。1896年にはブラームスが新世界交響曲を暗譜していたという証言があるから、相当熟読したことは確かである。それでも禁則違反リストに新世界交響曲は現われない。

ブラームスの見落としは考えにくい。ドヴォルザークは新世界交響曲において禁則違反を犯していないという推定が自然だ。

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