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2009年11月 9日 (月)

為替差益

複数通貨間の価値の差によって発生する利益。当然得ばかりではない。損をすれば為替差損ということになる。

難しい話ではない。円が強い場合、つまり円高状態の時に海外旅行をすると実感出来るし、国内で輸入品を買っても同様だ。楽譜ショップ店頭で、全く同じ楽譜に違う値段がついている場合がある。これは輸入時期の為替レートをパラレルに反映した結果であることも多い。

10月29日の記事「為替レート」を書いていてふと思いついたことがある。

1875年にブラームス作品の原稿買取相場が確立したと推定した。この相場を形成したのはブラームス作品出版を事実上独占していたジムロック社だ。ジムロック社の買い取り価格はマッコークルに詳しいが1875年以降の記述は全てマルクになっている。1871年普仏戦争勝利で成立したドイツ帝国の基軸通貨だ。

現在欧州で流通するユーロ以前のドイツマルクが、いわゆる強い通貨だったせいか「マルク」というと強い印象がある。ブラームス在世当時のマルクは周辺各国の通貨に対して強かったのだろうか。

お叱りを覚悟で強かったと仮定する。

ドイツ帝国首都の出版社からの支払いはマルク建てだ。ブラームスはマルク建てで収入を得ながら、実生活の本拠は隣国オーストリアの首都だ。マルクが強ければ、実生活が丸ごと根こそぎの為替差益となる。加えてフランスと英国にけして足を伸ばさなかった演奏旅行中でも、為替差益の発生があてに出来る。

音楽の都ウィーンの魅力に加えてこの差益が、ブラームスを定住に踏み切らせたのではあるまいか。仮にブラームスがこうした点に疎くても、少なくともジムロックは重々承知に決まっている。入れ知恵もあり得た。もしマルクが弱い通貨だったら、ブラームスが22年間延々とそれを受け入れるだろうか。ウィーン在住のブラームスが、為替差損の発生を指をくわえて見守るだけだったとは考えにくい。

さてドヴォルザークだ。オーストリア国家奨学金を受け取った当時、ボヘミアとオーストリアで流通する通貨間に価値の差があれば、為替差益が発生していた可能性もある。伝記を紐解けば、奨学金の支払いも、プラハでの生活費も「グルデン」で記述されているから可能性は低いが、同じ通貨単位でも国によって価値が変わる場合もあるから、諦めるのは早い。

さらに渡米を熱心に薦めたサーバー夫人は、その条件をドル建てで提示している。当時のドルが現在のような世界通貨状態だったかどうか確認する必要があるが、発展著しい新興国の通貨として将来性は十分だっと思う。ドルの価値に先高感があれば、莫大な報酬をドル建てで受け取りるメリットは大きい。

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