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2009年12月 4日 (金)

英雄の歌

ドヴォルザーク最後の交響詩だ。1897年秋に完成した。ショウレクらドヴォルザークの高名な研究者たちは、「英雄の歌」の主人公をドヴォルザーク本人と解している。自伝的性格の交響詩だという訳だ。

他方、この作品の英雄はブラームスを指すという説も根強くささやかれている。ブラームス没後間もない1897年8月4日から同年10月25日にかけて作曲されている上に、作曲真っ只中の10月19日には、ライプチヒでブラームス追悼演奏会があり、ドヴォルザーク自らタクトを取ってチェロ協奏曲を演奏している。ドヴォルザークの脳裏をブラームスがよぎっていても不思議ではない。

もう一つ象徴的なことがある。

初演だ。「英雄の歌」初演は1898年12月4日、つまり116年前の今日である。この日ウィーンでの初演を指揮したのはグスタフ・マーラーだった。当日の演目を調べていて驚いた。メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」序曲とブラームスの第2交響曲だ。「英雄の歌」がブラームス讃歌だった可能性は低くないと思う。それを察知したマーラーの粋なプログラミングだったと考えたい。

素朴で控えめ、偉くなってもけしていばらなかったドヴォルザークが、自らを英雄になぞらえた作品を書くだろうか。

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コメント

<テス様

いらっしゃいませ。ご賛同いただけたとすれば嬉しい限りです。
今後とも「ブラームスの辞書」をよろしくお願いいたします。

私も自分を英雄に見たてたというよりは、一般的な
英雄の概念を現したものではないかと思っております。
ブラームスを指すとの解釈は面白いですね、初演がマーラーによって行われたのは知ってましたが、当日のプログラムは知らなかったのでなかなか説得力があります。

<ひふみ様

ありがとうございます。
お叱り覚悟でございましたが、ご賛同心強い限りです。

>素朴で控えめ、偉くなってもけしていばらなかったドヴォルザークが、自らを英雄になぞらえた作品を書くだろうか。

そうですよね、R・シュトラウスとは良し悪しは別としても、人間の質が違うと思いますね。

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