スラブ舞曲の利幅
カレル・V・ブリアン著、関根日出男訳「ドヴォルジャークの生涯」という本に、1878年12月ウィーンでのドヴォルザークとブラームスの会話が詳しく書かれている。この本1983年に刊行された伝記だが、書いてあることが全て事実かどうか怪しく感じられるエピソードが混じっている。登場人物がいきいきと描写されていて読んでいる分には、大変面白いけれど、事実かどうかについては、いつも身構えていなければいけない書物だ。
三国志演義は、史実ではないけれども面白いということで読み継がれてきた。面白ければよいというノリも嫌いではないが、ブログへの取り上げには慎重を期したい。
ブラームスとドヴォルザークは、スラブ舞曲のブレークの話をしていて、話題がジムロックに及んだ。昨日の話の続きである。ブラームスはジムロックの商才を称賛するニュアンスで、「スラブ舞曲では1万も儲けたのに、アンタ(ドヴォルザークのこと)には300だ」と言っている。
この設定には唸らされた。どこまでが創作だろう。ジムロックからドヴォルザークに支払われた原稿料の金額をブラームスが知っているという設定が大胆だ。何しろ原稿料の300という数字がピッタリだ。単位はマルクである。この金額がピッタリであることで、話全体に信憑性が宿ってしまっている。となると儲けとして挙げられた1万という金額も単位はマルクで、しかも数値はリアルという推定をしたくなる。この筆者は、原稿料300マルクで儲けが1万マルクという利益構造を脅威と捉えてこの文章を書いていることは確実だ。ジムロックの狡猾さ老獪さを伝える意図と見て誤ることはあるまい。
筆者の構想にあやうく説得されそうになる。
ところがこの会見の時期を思い出そう。1878年だ。ということは1877年のブラームスの第一交響曲出版よりあとだ。つまりブラームスが第一交響曲の原稿料としてジムロックから15000マルクを受け取った後と考えてよい。自らが交響曲1曲で15000マルクを受け取っておきながら、ジムロックがスラブ舞曲で1万マルクを儲けたとして、「だから奴は狡猾だ」というのは、あまりに白々しい。筆者ブリアン先生は、ブラームスに支払われた第一交響曲の原稿料の金額を知らなかった可能性もある。
万が一スラブ舞曲がジムロックにもたらした利幅1万マルクが事実なら、ブラ1への原稿料15000マルクはつくづく巨大である。ドヴォルザークからせっせと吸い上げてブラームスに貢いでいたように感じてしまう。ジムロックの利幅1万が、一桁多い10万くらいだと、もっとリアルだったような気がする。
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