オルガニスト
オルガン奏者のことだ。ブラームスは、創作人生の初期と末期に素晴らしいオルガン作品を遺した。作品番号の最大値122を背負った「オルガンのための11のコラール前奏曲」は1902年4月24日に初演された。作品番号付きの作品が、ブラームスの生前に初演されなかったのは、日時が判明している作品では、おそらくこれだけだ。
著名な作曲家が、オルガニストでもあったというケースは珍しくない。ブラームスが敬愛してやまないバッハは、生前はオルガン奏者としての名声が勝っていたという。レーガー、ブルックナーも忘れてはならない。フランスにもいる。メシアン、フランク、サンサーンスという面々だ。
彼らに共通なのは、オルガンのための作品を書き残しているということだ。素晴らしい作品を書いたブラームスは、ライプチヒのトマス教会がカントルへの就任を打診したくらいだからオルガン演奏も達者だったと思われる。
ここにささやかな謎がある。ドヴォルザークだ。
18歳からプラハオルガン学校に学んだドヴォルザークは12人中2番目の成績で卒業する。オルガン、ヴァイオリン、ヴィオラの演奏は一定の評価をされたが、作曲は芳しくなかった。その能力を生かすべくオルガニストになった時期がある。1874年から1877年までの3年間だ。聖アダルペルト教会のオルガニストに就任したのだ。この時期はオーストリア国家奨学金に応募していた時期に重なる。半ば賞金を目当てに毎年せっせと作曲していたのだ。名だたる作曲家兼オルガニストの諸先輩はオルガン作品も遺しているのだが、ドヴォルザークの作品一覧にはオルガン作品は合唱曲の伴奏に用いているケースを加えてもホンの数例である。ましてやCDにはさっぱりお目にかかれない。
オーストリア国家奨学金の応募規定にオルガン作品が入っていなかったのだろうか。オルガン曲は書いても売れないという現実的な落としどころが見えている。
もっと素朴な疑問は、聖アダルペルト教会のオルガニストとしてどんな作品を弾いていたのだろう。敬虔なカトリックだったドヴォルザークの就職先がプロテスタント教会であるハズがない。だからバッハ作品は演奏していないと推定したら行き過ぎだろうか。
けれどもクリスマスのミサでオルガンを弾いたことだけは確実と思われる。
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<さんたろう様
貴重な情報ありがとうございます。やっぱりチェコのレーベルだとそういうCDも出しているのですね。
よいお年をお迎えください。
投稿: アルトのパパ | 2009年12月30日 (水) 13時53分
こんにちわ。先日「ブラームスの辞書Op.13」をお送りいただきありがとうございました。
さて、ドヴォルザークのオルガン曲ですが、8曲あるようで、まとめてB.302という番号が付けられているようです。プラハのオルガン学校で勉強していた折りに、1859年に作曲されたもので、内容は前奏曲が5曲(ハ長調・ト長調・イ短調・変ロ長調・ニ長調)、フゲッタ1曲(ニ長調)、フーガ2曲(ニ長調・ト短調)となっています。オルガン曲はどうもこれだけのようです。
CDは「VIXEN」というチェコのレーベルにヤン・ホラというオルガニストが録音したものを持っております。(V1-0007 1997年リリース)
それぞれ1分~3分程度の習作のような感じの小品で、特に面白みはありません。
楽譜はBAERENREITER EDITIO SUPRAPHN PRAHA H6334という番号で出版されており、なぜかこれも所持しております。
以上、参考になりましたら幸いです。
投稿: さんたろう | 2009年12月30日 (水) 13時29分