タイムラグ
時間差のことだ。本日問題にしたいのは作品の完成と初演の間に横たわる時間差だ。
バッハはその後半生をトマスカントルとして過ごした。教会暦上の祝日のミサのためにカンタータを供給することが職務だった。これを全部新作でまかなおうと思うと週に1曲のカンタータの作曲が必要になる。インクの乾く間もなく演奏に回されるのだ。大変といえば大変だが、作曲家は作品が演奏されて何ぼである。
最近ドヴォルザークの作品を調べていて、この作品の完成と初演のタイムラグが大きいことに気付いた。たとえば交響曲は以下の通りだ。
- 1番 完成1865年03月24日 初演1936年10月04日
- 2番 完成1865年10月09日 初演1888年03月11日
- 3番 完成1873年07月04日 初演1874年03月29日
- 4番 完成1865年03月26日 初演1892年04月06日
- 5番 完成1875年07月23日 初演1879年03月25日
- 6番 完成1880年10月15日 初演1881年03月25日
- 7番 完成1885年03月17日 初演1885年04月22日
- 8番 完成1889年11月08日 初演1890年02月02日
- 9番 完成1893年05月24日 初演1893年12月16日
5番以前は初演までに時間がかかっている。他のジャンルに目を向けても同じだ。ところが同じ事をブラームスで調べると状況の違いに気付く。ブラームスの作曲は夏に進められる。曲の完成も夏が多い。そしてその秋から始まるシーズンには初演が実現していることがほとんどだ。管弦楽、室内楽においてはマストである。ドヴォルザークの作品がブラームス並のタイミングで初演されるようになるのは、1878年以降だ。
1878年。
この年に何があったのか。それはスラブ舞曲の出版だ。ジムロックの巧妙なマーケティングの賜物でもある。スラブ舞曲の大成功により売れっ子の仲間入りを果たす。作品が出来るそばから初演されるようになった他、過去の未出版の作品が出版され、未演奏の作品が次々と演奏会で取り上げられるようになる。このあたりの転換は鮮やかである。
最後の交響詩「英雄の歌」は1898年10月25日に完成して、その年の12月4日に初演されている。
シューマンのセンセーショナルな紹介により、創作人生の初期からこのタイムラグが小さかったブラームスは、実力に加えて運も身に付いていたのだ。ドヴォルザークの下積み時代を知るにつけそう感じる。
« 堰き止めの効果 | トップページ | ブラームスのジムロック評 »
コメント