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2010年1月31日 (日)

行きがかり上

「一連の流れからしてやむなく」という程度の意味か。「乗りかかった舟」にも近いニュアンスだ。

現在ブログ「ブラームスの辞書」ではドヴォルザークに的を絞った年間企画を展開中だ。普通のブラームス系ブログだったら絶対にあり得ないような記事もしばしば公開しているところだ。ドヴォルザーク特集に免じて悪乗り気味に放つ記事も多い。

  1. 2009年11月27日「のだめの中のドヴォルザーク
  2. 2009年12月25日「平均律ドボヴィーア曲集
  3. 2010年1月1日「ドヴォルザークいろはカルタ

この3つは特に悪乗りが激しい。ドヴォルザーク特集の期間中でこそ許されるが、そうでもなければ絶対にあり得ぬ記事である。

行きがかり上、走らざるを得ないという感じだ。

2010年1月30日 (土)

ベルリン高等音楽院

ブラームスの親友ヨアヒムは1868年ベルリン高等音楽院の校長に就任し、終生その地位にあった。どうやら彼が初代校長だったらしい。クララやブラームスにも教授陣に加わるよう要請したが断られている。そうは言うものの、学校の経営は順調だったと言われている。ブラームスが幼馴染の娘のために奨学金獲得に一役買った話には既に言及しておいた。

そしてそして、どうやらヨアヒムはドヴォルザークにも声をかけていた。

ベルリン芸術アカデミー作曲科教授への就任をドヴォルザークに打診して断られている。「ベルリン芸術アカデミー」の正体が今一把握出来かねているが、ヨアヒムがドヴォルザーク白羽の矢を立てたことだけは確実だ。

2010年1月29日 (金)

ウィーン高等音楽院

ウィーンでもっとも名高い音楽教育機関。発足は19世紀初頭1812年。現在は国立だが当時は楽友協会の所轄だったという。楽友協会の元芸術監督のブラームスが、ホールの校長席にしばしば姿を現したのはそのせいだろう。

1875年を最後にブラームスは楽友協会芸術監督の座を退く。その後も楽壇における存在感と比例して、楽友協会内部での発言力は増大していったと思われるが、ブラームス自身が教鞭を取ることはなかった。

1896年に至っても尚、ウィーン高等音楽院の教授人事に影響力があったのではと思われるエピソードがあった。3月ブラームスはドヴォルザークにウィーン高等音楽院で作曲を教えるよう説得を試みた。既に前年に楽友協会の名誉会員に推挙されていたドヴォルザークではあったが、結果としてこの招聘人事は実現していない。ドヴォルザークはプラハを離れる決意がついに出来なかったということだ。断りを入れたドヴォルザークに対するブラームスの対応は暖かな思いやりに溢れたものだった。辞退したドヴォルザークが逆に恐縮したほどだ。

クララの没する2ヶ月前、ブラームス自らの旅立ちの1年1ヶ月前だ。ブラームスの信任がどこまでも厚いドヴォルザークだった。

2010年1月28日 (木)

プラハ音楽院

1891年1月1日、ドヴォルザークは前年の拒否から一転してプラハ音楽院の教授に就任した。作曲、管弦楽、形式の教授だ。この時点では満を持した就任だったが、1892年の9月には、ニューヨークに赴任する。ナシオナル音楽院の校長になるためだ。プラハ音楽院は休職扱いとしてドヴォルザークをアシストしたという。

チェコ大好きのドヴォルザークが渡米を決心した理由の一つが経済的なメリットだったという。

プラハ音楽院の教授職の年俸は1200グルデンだ。マルクに換算して2000マルク少々である。ニューヨークのジャネット・サーバー夫人が提示したのはこの25倍つまり約50000マルクだったらしい。ブラームスの交響曲1曲が15000マルクだということを考えると、心が動くのも無理は無い。

結局渡米を決意したのだがニューヨーク勤務は3年にとどまった。1895年秋にはプラハ音楽院に復帰した。これにはドヴォルザーク自身のホームシックに加えて微妙な伏線がある。1895年春にオーストリア教育省はプラハ音楽院への補助金の増額を決定していた。この決定にはドヴォルザークの年俸の増額が含まれていたという。帰国後のドヴォルザークはますますプラハに執着するようになった。その証拠に1896年にはブラームスがウィーン音楽院への招聘に動いているが、固辞している。

1901年7月、間もなく60歳のドヴォルザークはとうとうプラハ音楽院の院長に就任した。このとき既にオーストリア貴族院名誉議員であり、オーストリア国家奨学金の審査員にもなっていた。

2010年1月27日 (水)

禅問答

「難しくて解らぬ議論」「かみ合わぬ議論」くらいの意味か。難しい言葉を連ねて議論は白熱しているが、具体的にはサッパリという場面の描写に用いられることが多いような気がしている。議論の当事者は自覚していない場合が多く、もっぱら周囲からの評価の中に出現する言葉だ。

プラハ音楽院で教鞭をとっていたドヴォルザークはある日生徒たちにむかって問いかけた。

「モーツアルトとは何ぞや」

いやいやかなりの難問だ。この瞬間、禅問答の資格十分である。問われた生徒たちの心中は察するにあまりある。正解のある問いではあるまい。おそらく苦労してひねり出したであろう回答にドヴォルザーク先生は納得せず、生徒を窓辺に誘い出し外を指さして言った。

「モーツアルトは太陽だよ」

その寓意といい意外性といいウイットといいブラームスが泣いて喜びそうな回答だ。この機転が、禅問答という言葉の持つある種の陰湿さを迂回して、極上の喩えになっている。

2010年1月26日 (火)

第2次カテゴリー改訂を終えて

昨年12月31日の記事「竣工式」で、第2次カテゴリー改訂がひとまず決着した。「ひとまず」と申し上げるのは意味がある。とても完了とは申し上げられない。今後も気が付く度に修正を施して行くことにする。

そうした細かい修正は棚上げとするならば、概ね当初の意図通りの成果を得ることが出来た。作業の記憶が生々しいうちに今後の課題を整理しておくことにする。

<カテゴリー「001 用語解説」>

  1. 何でも有りになっていたカテゴリーを整理出来たが、一つだけ手つかずがある。それは「001 用語解説」だ。ある意味では、納得ずくの放置である。ブログ「ブラームスの辞書」という具合に「辞書」を名乗る以上、いかにも辞書然とした記事は必須と考えている。ここには音楽用語にとどまらず一般の単語から語句まで、意味を解説する体裁をとりながら、ブラームスにこじつけているネタを収納している。このカテゴリーは4日以上の間隔が空かないよう配慮しているところだ。つまり「ブラームスの辞書」の表看板という位置づけだ。
  2. さすがにこのカテゴリーに収容された記事の本数は多い。同時にこのカテゴリーだけしか与えられていない記事は存在しない。必ず何か別のカテゴリーも付与されている。
  3. 並び方は公開順だし、内容は多岐にわたるから、このカテゴリーはあまりインデックスの役に立ってはいない。
  4. このままの体制を維持するとしたら、このカテゴリーには最終的には数千本が収容されることになる。
  5. 将来「001 用語解説」の細分化を予測している。だから「001 用語解説」の次のカテゴリー「空席状況」には「50番」を与えて、用語解説カテゴリーに拡大のスペースを確保している。

<カテゴリー定義の維持>

  1. 今回の再定義で「171 ピアノ」と「201 ピアノ曲」を区別した。前者は「楽器またはパートとしてのピアノ」で、後者は「ピアノ作品」だ。従来は「ピアノ」というカテゴリーに雑多に放り込まれていた。それを厳密にしたということだ。
  2. このように各カテゴリーには、記事収容にあたっての定義が存在するが、時間の経過とともに管理人自身がこの定義を忘れてしまう。カテゴリーの性格が曖昧になって行くのだ。将来10000本の管理をするには大変不安である。

<カテゴリー改訂の手間>

  1. 前回の改訂時、公開済みの記事はまだ600本前後だった。未公開の記事を入れても1000本に届くかどうかである。
  2. 今日現在1750本で、備蓄記事がほぼ1123本、合計3000に近い記事がある。一新された定義に従ってカテゴリーを再配置する手間は、単純に考えて前回の3倍だ。
  3. たとえば3年後に改訂を実施するとなるとおそらく最低5000本の記事が対象になる。パソコンの力を借りるにしても、時間がかかる。
  4. 改訂作業の間、ネタ思い付きのペースが明らかに落ちることが今回判明した。バカにならない課題である。

2010年1月25日 (月)

ピアノ連弾版新世界交響曲

いやいやお宝である。最近ドヴォルザークネタに滅法弱いのでイチコロだった。

ドヴォルザークの新世界交響曲のピアノ連弾版のCDを入手した。ドヴォルザーク本人の編曲だとCDのケースに書いてある。CDの無い当時、この手のピアノ連弾版はきっと貴重なのだと思う。ジムロックあたりの入れ知恵で、オケ版の出版と同時に出されたのだと思う。

管弦楽作品に本人編曲のピアノ連弾版があることについてはブラームスでおなじみだ。唖然である。ブラームスの交響曲のピアノ連弾版よりはずっと楽しい。元々交響曲はやっぱりオケで聴きたいタチだから、今回も半信半疑だったが、予想を裏切る面白さだった。着色前の原画を見せられた感じだ。着色後のオケ版を知っているからドヴォルザークの色彩感覚が覗ける感じなのだ。理由は思い当たらないがブラームスの交響曲をピアノ連弾版で聴くより面白い感じである。

出世作スラブ舞曲は、ピアノ連弾版が管弦楽版にわずかに先行する。あるいはドヴォルザークの初期のピアノ独奏曲には、自筆譜にオケのパート名が書かれているケースがある。つまり先にピアノ連弾で発想して、あとからオーケストレーションを施すという作業上の順序が感じられる。今回手に入れた新世界交響曲も、そうした流れを感じさせる程自然なのだ。8番も聴いてみたい。

校訂したついでに、ブラームスがピアノ連弾版を編曲してくれていたら、桁違いのお宝になっていたところだ。

さらに凄いのは、新世界交響曲の余白に入っている「モルダウ」だ。もちろんスメタナ本人によるピアノ連弾版だ。息を呑む面白さだ。管弦楽版の楽しさが、そのまま移植された感じ。ピアノ連弾でこの色彩感とは恐れ入る。「月の光」や「聖ヨハネの急流」の部分が半端でなく面白い。

スメタナは相当なピアノの名手だったと聞くが、なるほどと思う。昨年、合唱祭で「モルダウ」を歌った次女に聴かせたら「音が多い」と言っていた。合唱の伴奏はもちろん「ピアノ2手版」だから無理もない。

2010年1月24日 (日)

思い浮かべる

優秀なスポーツ選手が取り入れていると聞く。良い結果が得られることを想像することと言い換え得る。いわゆるイメージトレーニングだ。プレッシャーのかかる大舞台になればなるほど、メンタル面のケアが大切だとされている。同感である。

ブログ「ブラームスの辞書」の大目標2033年5月7日のブラームス生誕200年まで毎日記事を継続するのも、大きなプレッシャーがかかるという意味では同じである。だから私もイメージトレーニングをする。2033年5月7日にどのように到達するのだろう。73歳の自分をイメージするのだ。

当然誰の助けも借りずにパソコンが打てている。日常生活に支障が出ていない。この程度ではイメージが乏しすぎる。

おそらく膨大な記事の備蓄を抱えていると見た。私の性格からいって、元気なうちはせっせと記事を備蓄するだろう。2033年5月7日までの連続記事更新が出来るとすれば余裕の達成となるハズだ。記事の備蓄が底を尽き、青息吐息の達成になるとは思えない。

そこで目標。10年後の定年退職までにフィニッシュに必要な記事を備蓄してしまいたい。ざっというと10年間に21年分の記事を考えてしまうのだ。今備蓄が2年強あるし、突発ネタが起きてくれることを考えれば20年分で足りるハズだ。1日に2本の記事がノルマになる。こうしておけば定年退職後の13年は悠々自適になる。

悠々自適の13年を使えば「ドヴォルザークの辞書」が書けるかもしれない。

鬼どころか親しい友人たちにも笑われている。

2010年1月23日 (土)

財産の分与

ブラームスの遺書が法律的には無効な形で遺されたために、後で訴訟沙汰になった話は割と知られている。詳しい経緯を知りたくて調べているがなかなかたどり着けない。

実子が無く、姉も弟もブラームスより先に亡くなっているから、遺書の役割は重大だ。

  1. トゥルクサ夫人 ウィーンの生活を切り盛りして最期看取ってくれた。
  2. カロリーネ・シュナック 父の後妻だからブラームスの継母。
  3. イシュルの大家 毎年夏にお世話になるイシュルの家主。

この3人の他に楽友協会で決まりと思っていたら、思わぬお宝に巡り会った。

音楽之友社刊行の「大作曲家ブラームス」という本だ。ハンス・A・ノインツィヒなる人物の著述が和訳された代物だ。この中に驚くべき記述があった。

ブラームスは、自らの財産をドヴォルザークが望むだけ提供すると申し出たらしい。これが遺産分与の話なのか生前贈与の話なのか定かではないのが残念だ。さすがにドヴォルザークは辞退したとされている。話の出所は娘婿でもあったスークであるから、信憑性は高いと思われる。

この本、他の部分の記述を読む限り、出任せやはったりがあるとも思えない。ブラームスのドヴォルザークに対する惚れ込み振りを見ると、つい信じたくなるエピソードだ。もっと調べたい。

2010年1月22日 (金)

背番号

チームスポーツには最早欠かすことの出来ない要素だ。人気選手の背番号は、愛好家にとって大切な象徴になっている。選手のキャラと背番号は最早密接不可分だ。グッズの販売面から見てもないがしろには出来ない。

さてブログ「ブラームスの辞書」の第2次カテゴリー改訂が終わった。何でも詰め込んでカオスに陥っていたカテゴリーの整理が大きな目標の一つだった。たとえば旧体系で18番だったカテゴリー「作曲家」もその代表だ。ブログ「ブラームスの辞書」では、主人公ブラームスを大切にするあまり、他の作曲家の話題をカテゴリー「18 作曲家」に集約してきた。独自にカテゴリーを持っていたのは、バッハ、シェーンベルク、ドヴォルザークの3名だけだ。他の作曲家は、現在の世の中での重要度を無視して全部カテゴリー「18 作曲家」に収められた。

これが最近カオスになっていた。たかだか1700本程度の堆積でもカオスなのだから、最終的なゴール1万本になったらきっと決壊するに決まっている。カテゴリー「18 作曲家」の整理は差し迫った問題だった。

独自のカテゴリーを付与する作曲家を少々増やすことにした。ご覧の通り新体系では300番台がそれに当てられている。カテゴリー「300 作曲家」には「その他作曲家」を収める一方で、300番台の見出しの機能も発揮して貰う。問題は新たに付与する作曲家のカテゴリーをどのような順番で表示するかだ。生年順、アルファベット順にすることも考えたが、後からメンバーを加えようとすると、順番が乱れる。

そこで考えたのが背番号だ。スポーツチームのオーナー気分で作曲家に背番号を割り振るというノリをご想像願いたい。結果は以下の通りだ。

  • 301 バッハ
  • 302 シェーンベルク 
  • 303 ドヴォルザーク
  • 304 ベートーヴェン
  • 305 シューマン
  • 306 メンデルスゾーン
  • 307 モーツアルト
  • 308 ショパン
  • 309 シューベルト
  • 310 ワーグナー  
  • 311 マーラー
  • 312 チャイコフスキー
  • 313 Rシュトラウス
  • 315  ヘンデル
  • 318 ヨハン・シュトラウスⅡ
  • 319 ビゼー
  • 320 ブルックナー

314、316、317などが欠けているが、本当は決まっている。追って明らかになって行くだろう。今後カテゴリーの引っ越しは発生すると思われるが、この背番号だけはずっと用いるつもりである。

当たり前のことだが、ここにブラームスが登場しない違和感を楽しみたい。

2010年1月21日 (木)

哲学博士

長く接しているのに、ちっともわからない言葉ランキングがあれば上位進出間違い無しの言葉が「哲学」だ。脳内で繰り広げられる一定の精神作業を指すと思われるが、お手上げだ。

大学祝典序曲は、ブレスラウ大学から授与された哲学博士号への返礼だ。ケンブリッジ大学がブラームスに授与したのが音楽学博士号だったことと対照的だ。ケンブリッジ大学は、ドヴォルザークにも音楽学博士号を贈っているからちゃんと整合性が取れている。

一方ドヴォルザークは1891年にプラハのカレル大学から哲学博士号を授与されている。ここでも哲学博士だった。授与した大学こそ違うもののブラームスもドヴォルザークも哲学博士だということになる。

わかるような気がする。

単に音楽学あるいは作曲学とせずに哲学とした大学の気持ちがである。規模の上では大小さまざまの魅力的な作品を、頻度高く生み出す能力は、一般人から見れば神秘的でさえある。高度な精神作業としての作曲が哲学に擬されたとしても不思議ではない。仕組みの判らなさという点で、作曲は哲学に匹敵すると思う。ブラームスやドヴォルザークの音楽がロジカルな整合性に貫かれていることも大きく寄与していると感じる。

2010年1月20日 (水)

ミュージックライフの担い手

ブログ「ブラームスの辞書」は昨年末に第2次カテゴリー改訂を実施した。いろいろ改訂したが、乱雑に放り込まれたカテゴリーの細分化が目玉の一つだった。旧カテゴリー「家族」も細分化の標的となった。「父」「母」「妻」「長男」「長女」「次女」に6分割されることとなった。

これにより我が家の子供たちそれぞれのカテゴリーに何本の記事が属しているかが明らかになった。ブログ「ブラームスの辞書」における言及のされ方が数値化可視化されることに他ならない。本日の記事を含まない昨日までの本数は以下の通りだ。

  • 第1位 次女 88本
  • 第2位 長女 67本
  • 第3位 長男 41本

予想通りだ。ブログを始めたときに既に3人とも生まれていたから、生まれ順の早い遅いによるハンデは存在しない。長男は楽器を習っていないから話題にされる機会が妹たちに比べて少ない。長女は一昨年5月にレッスンを止めたから、それ以降の登場が減った。次女の首位は当たり前だ。10年経過したヴァイオリンに加え、中学入学と同時に始めたトロンボーンでも話題に上る。

3人の子供たちとの接し方に序列などあろうハズもないが、音楽を切り口にした場合に限れば次女の優位は明らかだ。少し前から我が家のミュージックライフは、次女に支えられているという実感があったが、それを裏付ける結果になった。

従来、兄妹個別のカテゴリーにしていなかったから数えることも無かった。つまり3人の記事の多寡を意識することがないまま積み重ねられた数字であることに意味がある。逆にこれ以降は、こうした数字が意識に上ってしまい、公開のペースに手加減が施される可能性が生じてしまうから、公平とは言えなくなる。

2010年1月19日 (火)

学位

高等教育機関(主に大学)から単位の修得や研究の成果と引き換えに授与される称号くらいの意味か。

ブラームスも持っている。

ブレスラウ大学から贈られたものだ。音楽学ではなく哲学の博士号だというのが面白い。1879年のことだ。大学祝典序曲はその返礼である。

実はブラームスに学位を授与してしまおうというアイデアはこの時が最初ではない。英国のケンブリッジ大学が1876年4月に学位の授与を申し出ている。音楽学博士の学位である。授与式への出席を口実に固辞してしまったが、ブラームスへの学位授与のアイデアを英国にさらわれたのはドイツの大学の面目丸つぶれだと指摘する向きもある。

このときまんまと辞退されてしまったケンブリッジ大学は、1892年に学位の授与に成功したようだ。授与式への参列を求めないという異例の措置で実現したらしい。ブラームス同様、あるいはブラームス以上に英国から愛されたドヴォルザークは1891年に同じケンブリッジ大学から学位を受けている。その授与式の模様はドヴォルザークの伝記に詳しい。大学幹部が正装で勢揃いした上に、ラテン語以外は口に出しにくい雰囲気だったと回想している。儀式嫌いのブラームスが出席を渋ったのは正解だったと思う。

2010年1月18日 (月)

手が出ぬ

先日ホルンソナタの楽譜を探しにショップを徘徊していた。首尾良くゲットで会計をしてホクホクとレジを離れようとした時、1枚のパンフレットが目にとまった。

モーツアルト交響曲第40番ト短調のファクシミリ譜が発売されるという。

一瞬で脳味噌にアドレナリンが充満した。古楽譜コレクターだったブラームス自慢の筆頭が、モーツアルトのト短調交響曲の自筆譜だったからだ。ちょっと詳しい伝記には大抵書いてある。ピアノ五重奏曲を献呈した返礼にヘッセン王女アンナから下賜されたものだ。以来ブラームスは亡くなるまでこれを大切に保管していた。遺産を引き継いだウィーン楽友協会の所蔵となって今に至る。

そのファクシミリ譜の発行元も楽友協会だった。間違いないと思ってパンフを詳しく読むと「元々の所有者はブラームスだった」とはっきり書いてある。あわせて「19世紀半ばまで買い手が現れなかった」というエピソードも紹介されている。「もしや」と思うことがある。「19世紀半ばまで買い手がつかなかった」という状態を打破したのは、ブラームスにこれを下賜したヘッセン王女アンナだったのではあるまいか。ピアノ五重奏曲op34の完成は1864年だ。19世紀半ばという表現と矛盾しない。ブラームスの古楽譜コレクターぶりを察知したヘッセン王女アンナが、何か喜びそうなものをと物色した結果ではなかろうか。

さらに凄いのは「ブラームスによって音の間違いに印が付けられている」とも書いてある。ということはつまりモーツアルトとブラームスの筆跡が共存している資料ということだ。お宝である。

価格は72000円。お宝度から見ればリーズナブルだと思う。そうは思うが「それでは」とばかりに買えるかとなるとそうはいかない。楽譜やCDのショップをうろつくのは気晴らしになるが、こればっかりはストレスだ。7200円だったらきっと買っていたと思う。72万円だったら、すっぱり諦めがつく。何とも微妙な価格設定だ。

ブラームス神社の賽銭はあてにならない。「ブラームスの辞書」が今年中に20冊売れたら買いに行こうと思う。まだ2冊しか売れていない。

2010年1月17日 (日)

ホ短調の交響曲

1886年1月17日は交響曲第4番のウィーン初演があった日だ。ハンス・リヒター指揮ウィーンフィルハーモニーの演奏である。これについてのハンスリックの演奏評が残っている。この批評の中に興味深い部分があった。

ハンスリックは、交響曲第4番の調性「ホ短調」を指して、「それこそがまさに独創的」と指摘している。交響曲の第1楽章に「ホ短調」を採用することがそもそも珍しいという観点だ。

本当だろうか

  1. 1771年 ハイドン44番
  2. 1885年 ブラームス4番
  3. 1888年 チャイコフスキー5番
  4. 1893年 ドヴォルザーク9番「新世界より」
  5. 1899年 シベリウス1番
  6. 1905年 マーラー7番
  7. 1908年 ラフマニノフ2番
  8. 1943年 ハチャトゥリアン2番
  9. 1953年 ショスタコーヴィッチ10番

ご覧の通りだ。このほかに怪しいのはリムスキー・コルサコフの1番。1865年に変ホ短調として完成したが1884年にホ短調に改訂された。改訂版の初演は1885年12月4日だからブラームスの4番よりは約1ヶ月遅い。

直感としてはハイドンの44番以来114年途絶えていたホ短調交響曲をブラームスが復活したように見える。ハンスリックは、その点を鋭く指摘していると思われる。それを皮切りに他の作曲家が次々とホ短調交響曲に殺到したように思える。つまりドヴォルザークも殺到組の一員ということになる。

古来ブラームスの保守性の指摘に熱心な人は多いけれど、ホ短調交響曲の復活についてはあまり大きくは取り上げられない。

それにしてもハイドンの44番とは何者だ。1872年から1875年まで3シーズンの間ウィーン楽友協会芸術監督の座にあったブラームスは、在任期間中の演奏曲目に原則として交響曲を取り上げていない。ところがたった一つ例外がある。それが今日話題のハイドン作曲交響曲第44番ホ短調だった。(←コメント欄に注記あり)

演奏会で取り上げるにあたってブラームスがハイドンの44番を十分に研究していたことは確実だから、単なる奇遇とばかりも言えない気がしている。

2010年1月16日 (土)

ピアノ協奏曲第3番

ブラームスはピアノ協奏曲を2つ残した。だから今日のタイトルは変だ。しかしト短調ピアノ四重奏曲のシェーンベルク編曲版が「交響曲第5番」と言われていたり、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の独奏をピアノに差し替えた演奏が「ピアノ協奏曲第6番」と呼ばれていたり、奇妙な前例には事欠かない。何よりもブラームスの交響曲第1番はベートーヴェンの「第十」などと称されている。

だから察しのいい人々にはオチが読まれている。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲の独奏ヴァイオリンを、独奏ピアノに差し替えたバージョンのCDを購入してしまった。管弦楽をピアノに差し替えたのでは有り難みが薄いが、ソロをピアノに差し替えたとあっては、お宝度はかなりのものだ。これを買わずに踏みとどまるようなこらえ性は持ち合わせていない。独奏はデヤン・ラディックというクロアチアのピアニストだ。独奏者自らの編曲である。ピアノ版用にカンデンツァも書き下ろしている。昨年10月の世界初演のライブ録音だそうだ。

当たり前だが第1楽章と第2楽章冒頭の管弦楽の導入は、オリジナルのままだと思う。第1楽章90小節目の独奏の出には、ワクワクさせられた。オリジナルを忠実にトレースしている感じ。348小節目から380小節目までがヤマで、このあたりのみかなり感じが違う。もちろん見せ場はカデンツァだ。

オリジナルの管弦楽がガッシリと緻密に書かれているから、独奏ピアノだけを律儀に転写すれば様になってしまう。違和感があるとすればカデンツァ明けの薄靄が、ピアノだとくっきりし過ぎてしまうことで、第1楽章結末に向かう高揚感が削がれる点くらいだ。

キーワードを申すなら「大真面目」だ。どうせ編曲物といういじけた感じはまるでない。照れ笑いも一切封じて天下の大曲に真正面から挑む感じ。ピアノ協奏曲としての難易度もかなりのモンなのだと思う。

2010年1月15日 (金)

ホルンソナタ

クラシック音楽業界の慣例に従えば、「ホルンとピアノのためのソナタ」ということになる。

次女がベートーヴェンのホルンソナタヘ長調op17の楽譜が欲しいと言い出した。理由を訊いて唖然とした。昨年のクリスマスにプレゼントしたCDが発端だった。ブラームスのホルン三重奏曲のCDを贈った。そこはさすがに一ひねりしてあって、ホルンのパートをトロンボーンで吹いている演奏だ。私の狙いはもちろんブラームスだったのだが、そこに収録されていたベートーヴェンのホルンソナタが気に入ったらしい。

ブラームスより面白そうなどとしょっぱいことを言っている。CDで聴く限り音も高いし、細かい動きも多くてトロンボーンではしんどそうだ。次女は「せっかくトロンボーンをやっているのだから、何か1曲くらいキチンと吹ける曲を持っていたい」という。「練習の合間や、春休みなどにコツコツと練習したい」(キッパリ)と続けた。

ホルンはト音記号だし、「inF」で書かれているから難しくないかと問う。「いんえふって何」という間延びした質問が返ってきた。

昨日楽譜ショップに出向くと吉報が待っていた。やはり現場に行ってみるものだ。ベートーヴェンのホルンソナタは元々ホルンの代わりにチェロで代用可となっていた。店頭の楽譜にはチェロのパート譜がついていた。「おおぉ」ってなもんだ。少なくともチェロならヘ音記号だ。これをB管のトロンボーンで吹いたらどうなるのかと思ったが、ピアノと合奏しない限り問題はあるまいということで、さっそく買い求めた。

帰宅して手渡すと、最近ちょっと見かけないくらいの笑顔が返ってきた。CD聴きながらずっと眺めている。ヘンレ版2190円だがスマイルがお釣りで戻ってきて何だかとてもお手ごろ価格ある。

2010年1月14日 (木)

審査の方法

オーストリア国家奨学金のドヴォルザークの初受賞は1875年1月に決定した。応募はその前年の7月だった。審査に半年かかっていることになる。ドヴォルザークは交響曲第3番と4番その他をもって応募した。ドヴォルザークの才能を絶賛する審査員の声については1月11日の記事「講評」で言及した。

素朴な疑問がある。

ドヴォルザークが応募した2つの交響曲は、審査にあたって実際に演奏されたのだろうか。答えはおそらく「No」なのだと思う。ブラームスほどの作曲家になると、総譜を見るだけで頭の中に音楽が鳴るのだ。ピアノを使って数フレーズを再現することはあったと思うが、フルオーケストラで鳴らされてはいないだろう。オケのメンバーを揃えたり、場所を確保したり、パート譜を用意するのは手間とお金がかかる。

ドヴォルザークだけがこうした仕打ちを受けた訳ではなかろう。全応募作品のうち管弦楽曲については、実際には鳴らされることなく序列が決められたという意味では実に公平だ。

才能の有無は音にするまでも無く、既に楽譜に現われるのだ。楽譜を舐めてはいけないということだ。

さらに審査の過程はともかく、晴れて栄冠を勝ち取ったドヴォルザークの応募作品が受賞作として公開の席で演奏された訳でも無さそうだ。

2010年1月13日 (水)

極上の時

一昨日の夕方だった。次女が机で何か書き込んでいる。のぞき込むとそれはトロンボーンの楽譜だった。「何してんの」と訊くと、「譜読みだよ」という返事。実はこれだけで、舞い上がってしまった。「譜読み」という言葉が次女の口から当たり前のように発せられたからだ。

新しく配られたセカンド・トロンボーンのパート譜に、いろいろ書き込みをしているのだ。ややこしいところは、スライドのポジションを書き入れておくと言っている。他にもいろいろな縦線や記号が書かれている。

私が冒頭のAllegro vivaceを指して「これどういう意味?」と訊くと「はて」というアクション。「譜読みならこういう用語は全部調べろよ」というと「そうだね」と言う反応。今までは先輩から教わっていたらしい。「今年は3年生になるンだから自分で調べて後輩に教えないとマズイでしょ」というと真顔で「わかった」という。

「パパ、何か辞典持ってない?」と「ブラームスの辞書」の著者に思うつぼの質問が飛んできた。ここで「ブラームスの辞書」を薦めてはドン引きされかねないから、手持ちの音楽用語辞典をサラリと渡した。

しばらくして「この本くれる」と訊いてきた。「いいよ」と答えた。調べ物が終わってもずっと眺めている。「こういうの調べるのって大事だろ」と話しかけるとコックリだ。「メンバー全員が知っているのと知らないのとでは、出る音が違うと思わないか?」とカマをかける。鉄が熱くなり始めている。「何も全部暗記する訳じゃない」「調べて楽譜に書いておくだけでいいんだ」「楽譜もらって最初のパー練は、その確認だけに費やしてもOKだよね」熱いうちにたたみかける。

この後の次女の反応は極上だった。

「それをやっておいたら、去年のコンクール、金賞に届いたかもしれない」

私が「ブラームスの辞書」を書いた本当の理由に迫るやりとりだった。一緒に歩いて行けそうだ。

2010年1月12日 (火)

ハンスリックのコメント

ドヴォルザークを世に送り出すキッカケが、オーストリア国家奨学金制度だったことは既に述べた。「若く」「貧しく」「才能ある」作曲家の発掘が狙いだった。そこで審査員をしていたブラームスの目にとまったことがドヴォルザークの転機になった。審査員メンバーの中にもう一人大物がいた。それがエドゥワルド・ハンスリックだった。反ワーグナーの論陣を張るウィーン楽壇最高の批評家だ。

ドヴォルザークに対するハンスリックのコメントが残っている。

奨学金の狙いは「若く貧しく才能ある作曲家の発掘」だったが、応募者のほとんどが、若くて貧しいという条件だけしか満たさない中、プラハのアントンの習作が大きな喜びをもたらした。

さすがにウィーン批評界の大御所だ。スパイスの効いたコメントで、ドヴォルザークという原石の発見を喜んでいる。

ブラームスの熱狂に加え、ハンスリックの高評価が、その後5年の奨学金獲得の前兆だったと見て間違いあるまい。

2010年1月11日 (月)

講評

多くの場合、成績発表の後に発せられる審査員のコメントのことだ。

ドヴォルザークの受賞を決定した1874年のオーストリア国家奨学金の審査員たちのコメントが一部紹介されている。音楽之友社刊行の作曲家◎人と作品シリーズのドヴォルザークの63ページだ。

曰く「ウィーン古典派の語法に対する目配り」とある。ドヴォルザークはこのとき交響曲と室内楽いくつかをもって応募したことが判っているから、このコメントは意義深い。いわゆる「ソナタの伝統」に乗っていますねというニュアンスを濃厚に含む。もっというなら「昨今流行の標題音楽に走っていませんね」という裏読みさえ可能だ。

しかし、伝統に沿っているというだけにとどまらないところがドヴォルザークの真価だ。審査員のコメントがもう一つ。本当に評価されたのは「真の創造的直感」だという。「真の創造的直感」とは何ぞ。ドイツ系文書特有の観念的遠回し語か。ちょっと難しく言ってみるのが微笑ましい。早い話が「きれいな旋律」だ。

つまりきれいな旋律の数々が古典派伝統の正当な手続きで次々と披露される点、審査員を唸らせたと解し得る。

「シューベルトと並び賞賛される旋律的才能」「19世紀後半にあって絶対音楽の領域にとどまった作品」等ドヴォルザークの作風を評する際に用いられる言葉が、既にこの講評の中に凝縮されていると見た。

2010年1月10日 (日)

ピアノ曲のジャンル

ドヴォルザークがピアノ作品に与えたジャンル名を五十音順に一覧表にした。

  1. アルバムブラット Album Blatter
  2. インテルメッツォ Intermezzo
  3. 牧歌 Eklogue
  4. 影絵 Silhouette
  5. カプチリオ Capriccio
  6. 子守歌 Berceuse
  7. ジーク Jik
  8. スコットランド舞曲 Scotische Tanze
  9. スラブ舞曲 Slavonische Tanze
  10. セレナーデ Serenade
  11. 即興曲 Impronptu
  12. 伝説曲 Legend
  13. ドゥムカ Dumka
  14. バラード Ballade
  15. フモレスケ Humoreske
  16. フリアント Furiant
  17. 変奏曲
  18. ポルカ Polka
  19. マズルカ Mazrek
  20. メヌエット Menuetto
  21. ワルツ Valse

全21種のうちブラームスにも存在するジャンル名を赤文字にしておいた。シューマンやショパンへの接近も見てとれる。一方ブラームスに存在してドヴォルザークに無いものは以下の通りだ。

  1. スケルツォ 「詩的な音画」の第10曲「バッカナール」は聴きようによってはスケルツォに聞こえるなど、実質的なスケルツォでも、タイトルとしては明記されていない。交響曲や室内楽にはスケルツォが出現するから、ピアノ曲に現れないのは不思議。
  2. ソナタ  象徴的な現象。つまりドヴォルザークには「ピアノソナタ」が無いということだ。室内楽や管弦楽ではソナタ形式を手際よく用いているから、ピアノソナタ不在は不思議である。
  3. ハンガリア舞曲 ラッサン、フリスカ、チャルダッシュ等を意図的に避けているかも。
  4. ラプソディ
  5. ロマンツェ ピアノ独奏曲では存在しないが、管弦楽のための「チェコ組曲」の第4曲には「ロマンツァ」が出現する。

ピアノソナタはジムロックが要請もしていないのだと思う。

2010年1月 9日 (土)

困った性格

昨年末にドヴォルザークの独奏ピアノ曲全集の2巻を購入した。既に購入済みの1巻と合わせてドヴォルザークの独奏ピアノ曲全ての楽譜が入手出来たことになる。

となると毎度毎度の集計癖が頭をもたげる。

ピアノ独奏曲だけを対象にしたドボダスを作りたくなった。一度にやるのは大変だから、手始めに作品冒頭の発想記号だけを対象にエクセル入力を始める。

その手のデータベースはブラームスで完備している他、ベートーヴェンも一部不備ながら入力が終わっている。これにピアノ独奏曲だけではあるがドヴォルザークが加わることになる。

今までの経験から申して、これにより記事がいくつか稼げることは確実である。

2010年1月 8日 (金)

オーストリア国家奨学金

1863年、オーストリアハンガリー二重帝国内の若い芸術家の発掘支援を目的に発足した制度。美術彫刻音楽の諸分野が対象になった。ここでいうオーストリアは現在のオーストリアの概念とは一致しない。ハプスブルク帝国の政治的影響下にある領域が対象になる。現在チェコに属するボヘミアも対象地域に含まれていた。このことがドヴォルザークに千載一遇のチャンスをもたらした。

1874年ドヴォルザークは変ホ長調交響曲とニ短調交響曲つまり3番目と4番目の交響曲その他をもってこれに初めて応募した。ハンスリックやブラームスも関与した審査の結果、400グルテンの賞金が授与される。約800マルクということになる。

受賞はオーストリア・ハンガリー帝国文化芸術大臣の名で1875年1月8日付け省令をもって告知された。ドヴォルザーク本人への通知はさらに遅れたようだ。

この額はドヴォルザークの当時の年収の3倍近い大金だ。後年、交響曲第8番の買取に1000マルクが提示されて激怒したドヴォルザークだが、このときの800マルクの有り難味は格別だったと思われる。ドヴォルザークはこのあと数年間、下記のように応募し入賞の常連となる。

  • 1874年 400グルデン 800マルク
  • 1875年 400グルデン 800マルク
  • 1876年 500グルデン 1000マルク
  • 1877年 600グルデン 1200マルク
  • 1878年 400グルデン 800マルク

1878年になってブラームスは出版社ジムロックにモラヴィア二重唱の出版を勧める。音楽界の大御所のブラームスがこの惚れ込みようだ。毎年の入賞もうなずける。

さて時は流れて1897年7月、この年の4月に没したブラームスと入れ替わる形でドヴォルザークはオーストリア国家委員会のメンバーに選ばれる。つまりこれは自らを世に出した奨学金制度の審査委員になることを意味した。

2010年1月 7日 (木)

オープンスペース

サッカーの用語。守備側から見て、人がまばらな自陣のスペースのこと。攻撃側にとっての進出目標であると同時に、守備側にとっての修正目標だ。攻撃側チームの能力によっては、本当に狭い領域でも攻撃の拠点に使われてしまう。

守備側のプレイヤーが大勢いても、構わずにドリブルで抜きされるようなスペシャルなプレイヤーがいたり、夢のようなパスワークをいつでも駆使できるドリームチームは、世の中それほど多くない。大抵のチームは上手にオープンスペースを使おうと試みる。

先ごろ無事竣工した第2次カテゴリー改訂。その結果サイドバナーに表示されたカテゴリーを見て、注意深い人はお気づきと思う。予備としてあけてある900番台の他にも、ところどころ空き番号がある。またクイズをやろうという魂胆ではない。将来のカテゴリー増に備えた配慮だ。将来カテゴリーが増えそうな場所を予想して空けてあるのだ。900番台は広大なオープンスペースだが、実は200番台にも大きな空白がある。

200番台は作品を切り口にしたカテゴリーだが、その網目は「交響曲」「協奏曲」「歌曲」のようなジャンル単位になっている。10000本の記事数を目指す以上、行く行くはその網目よりもっと細かい管理が必要となりそうな気がしている。主要作品については1カテゴリーを割いた方がよいと感じ始めているのだ。

つまり第3次カテゴリー改訂の種まきである。

2010年1月 6日 (水)

カルタのノミネート

ブラームスやドヴォルザークに的を絞ったカルタを作成して元日の記事としてブログで公開してきた。2007年2010年だ。ブログ「ブラームスの辞書」は2033年5月7日までの継続を譲れぬ方針として掲げているから、目標達成までには23回元日を迎えることになる。ネタの安定確保の観点からブラームスやドヴォルザーク以外にカルタに出来そうなのは誰かを考える。

  1. バッハ 最有力候補。ドヴォルザークに先を越されたのが悔しいくらいネタはある。
  2. クララ・シューマン おそらくバッハに拮抗する候補者。ネタの濃さなら負けていない。同時代を生きた強みは彼女のものだ。
  3. ロベルト・シューマン ブラームス本人とのつながりは相当なモンだが、暗い話題も多くなるから正月のネタとしてはドン引きされかねない。
  4. ヨアヒム シューマンと同様に濃いつながりがある。正当すぎて面白みに欠ける感じもする。
  5. ジムロック 玄人好みの穴馬。濃い話満載だ。最近のブログの流れから申すなら穴馬とは言えないかもしれない。
  6. ベートーヴェン 作れと言われればきっと出来てしまうのだと思う。問題は私の熱意だけかもしれぬ。
  7. マーラー 意外と作れる感じもする。
  8. ワーグナー シューマンやヨアヒムで作るより面白そうだ。
  9. メンデルスゾーン これが作れるようならきっと2033年までのネタ確保は安泰だ。
  10. シューベルト メンデルスゾーンと同じ。

上記全員で作れれば舞台裏記事と合わせて20本の記事が確保できる。ありがたい。その一方で今すぐ出来そうなのはバッハとクララくらいだ。ジムロックとマーラーもあと一息で作れそう。作ればいいという物ではない。血も涙もあるカルタにせねばならないから単にブラームスとの関係が濃いというだけでは失格だ。何よりも私が意欲を持てるかにかかっている。

2010年1月 5日 (火)

作曲家理解指南

特定の作曲家について理解を手っ取り早く深めたい人々のために秘伝を公開する。

<平均律曲集を作る>同一作曲家の特定ジャンルの作品を長短24全ての調で集める企画だ。「平均律ブラヴィーア曲集」や「平均律ドボヴィーア曲集」で試みた他、古くは「平均律歌曲集」などという奇抜な企画もあった。ヴァリエーションとしては交響曲、室内楽、ソナタの楽章、あるいはオペラのアリアでも制作可能だ。

  1. 用意する物 作曲家作品目録、CD、楽譜、根気、ヒマ。iPodあると便利。
  2. 作り方 作品目録を見て調性ごとに作品を分類する。CDをひたすら聴く。調性毎に一番のお気に入りを決定する。記譜上の調号だけでなく、実際に鳴る調も考慮する。あまり空白の調が多かったら諦める。

<カルタを作る>作曲家の伝記的事項や、作品の特徴などを織り込んだカルタ。すでにブラームスドヴォルザークで実施した。

  1. 用意する物 作曲家作品目録、CD、楽譜、伝記等出来るだけ多くの関連書物、根気、ヒマ。 エクセルがあると便利。出来れば絵心も欲しいところだ。
  2. 作り方 作曲家の生涯や作品でこれはと思ったことを100程度抽出する。五七五の俳句調に納めてみる。歌い出しの音順に羅列する。

ブラームスについて「平均律ブラヴィーア曲集」や「カルタ」を作った後、ここ最近ドヴォルザークでやってみたがドヴォルザークへの理解が急速に深まった。特にけしてメジャーとは言えないドヴォルザークのピアノ作品への傾斜が決定的になった。時間にして一週間程度で、見違える程の効果がある。おそらく今、私はご近所でもっともドヴォルザークのピアノ曲に詳しいオヤジである。(当社調べ)

難を申せば書籍、楽譜、CDを集めるのには相応のお金がかかる。図書館を上手に利用したいところだ。たとえば今年メモリアルイヤーのショパンやシューマンで作って、ブログ等で公開された方がいたら、是非ご一報いただきたいものだ。

2010年1月 4日 (月)

鍔ぜり合い

チャンバラ用語。刀の持つところと刃をセパレートする部品が鍔である。お互いが刀を用いたパーソナルな戦闘において、甲乙付けがたい拮抗した勝負のことを「鍔ぜり合い」という。お互いの鍔と鍔が当たる様子を念頭に置いた表現だ。

ここ最近の記事の備蓄がまさにそんな感じだった。

昨年10月16日に記事の備蓄が千本に達したことを喜んだ。当時の勢いからすれば丸3年分の備蓄1095本への到達は時間の問題と思われた。ところが11月に始まった第2次カテゴリー改訂のおかげで、パッタリと記事を思いつかなくなった。過去記事に新カテゴリーを付与する作業が、ことのほか難儀だったせいだ。新カテゴリーの付与は出来るだけ一気に終えてしまうのが理想だから、脇見も振らずに取り組んだ反動で、ネタが思いつけなかったということだ。

毎日1本思いついて備蓄数を維持するのがやっとという状態が1ヶ月続いた。お互いに有効打を放てない、じりじりとした展開はまさに鍔ぜり合いだ。

2010年1月 3日 (日)

カテゴリーの数

先ごろ竣工式を終えた「第2次カテゴリー改訂」の話をする。

まずもって目につくのは、カテゴリーの数が300を超えたことだ。サイドバナーの表示が長蛇の列になっている。今回のカテゴリー改訂は私自身の記事管理の都合上避けて通れぬ位置付けだが、実際にサイドバナー上での表示を見ると心苦しいものがある。ユーザー視点に立っていない。今風に申せば消費者視点に立っていないのだ。管理人の自己満足である。こうした姿勢が、やがては経営上のマイナスに繋がること周知の通りだが、10000本の記事を想定するとはこういうことであると開き直る。

未来の記事、つまり未公開記事にしか付与されていないカテゴリーはこの時点では非表示だから、潜在的なカテゴリー数はもっと多いのだ。

カテゴリーの再配置は、一瞬で行うのが理想だ。一気に進めないと脳内基準がブレることがある。たとえば草創期の記事へのカテゴリー貼り付けが、最近の記事の基準とズレていては困る。出来るだけ一気にやることでブレを抑えることが目的だ。しかしそれでもブレる。竣工式を終えてしまったけれども今後も、見直し作業をして徐々に理想型に近づけたい。困ったことは、その見直しの作業の中からまたカテゴリーが増える可能性があるということだ。

話をポジティブに切り替える。

サイドバナーに並んだ単語は、ブラームスをより深く理解するためのキーワード集と捉えることも出来る。おなじみのものから意外なものまで品揃えは豊富だ。とりわけ100番台から500番台でそういう性格が色濃い。

何よりも「辞書」であることを標榜するブログ「ブラームスの辞書」だから、完全読破をためらわせるような記事の量が売りである。そこに添付されるインデックスとしてのカテゴリーもまた分厚い程、ふさわしいと考えている。

2010年1月 2日 (土)

カルタ三昧

ドヴォルザークネタでカルタを作った。本日はその舞台裏だ。

ドヴォルザークルネサンスと銘打ってドヴォルザークネタを集中発信している。その過程でいろいろ調べ物をしているうちにカルタが作りたくなった。バッハでさえカルタを作っていないということを考えると、最早私のドヴォルザークラブは相当なモンだ。

お断りしておきたいことがある。ブログ「ブラームスの辞書」では、ドヴォルザーク特集中だが、記事は出来るだけブラームスとの接点に限っている。あられもなくドヴォルザークネタをタレ流すことは差し控えているつもりだ。ところが、今回のカルタにおける個々の句には、ブラームスと関係ないものの方が多い。ドヴォルザークとブラームスの接点ネタに絞ってしまうと難易度が、半端でなく上がってしまう。

さすがに私の脳味噌は、引き出しの数ではドヴォルザークよりブラームスの方が多いから、パズルとしての難易度は、ブラームスいろはカルタに比べて数段高くなる。それでもその難しさを楽しむことが出来たということは、つくづくドヴォルザークが気に入ったということだ。

2010年1月 1日 (金)

ドヴォルザークいろはカルタ

今度ばかりは展開を読まれたかもしれない。クイズにしていたら的中者続出だろう。昨年9月からドヴォルザークイヤーと銘打ってドヴォルザークネタを集中して発信している。その最中に正月が訪れたのだからドヴォルザークネタだけに的を絞ったカルタというのは最早必然だ。

2007年1月1日に公開した「ブラームスいろはカルタ」と同じノリで「ドヴォルザークいろはカルタ」を作った。下記のルールも前回と同じだ。

  • 原則として五七五の俳句調とした。
  • 「アントニン」「ドヴォルザーク」という言葉を使わない。
  1. イ 勢いで肉屋にされるとこだった
  2. ロ ロスタイム何とかオペラで目立ちたい
  3. ハ ハイアワサここからネタを2つ3つ
  4. バ バッハより先にカルタを書くなんて
  5. パ パッと聴きゃアメリカに似たエクローグ
  6. ニ 2度下の調に行きたい癖がある
  7. ホ 本当はフラット6個のフモレスケ
  8. ボ 墓地で鳴く野鳩の声に切り裂かれ
  9. ポ ポッと出たスラブ舞曲が大ヒット
  10. ヘ 変ですか妻に家計簿つけさせて
  11. べ 別荘はプラハの西南40マイル
  12. ペ ペットには鳩を飼いたい作曲家
  13. ト 遠き山陽は落ちて行く2楽章
  14. ド 同名のモールにいつも行きたがる
  15. チ チェロ様がすっかり霞むホルンソロ
  16. リ 律儀にも2度もオペラを書き直す
  17. ヌ ぬかるなとばかりに大西洋渡る
  18. ル ルサルカでどうにかオペラ世に残り
  19. ワ 若い頃ワグネリアンになりかけた
  20. カ カデンツァを入れちゃならぬと釘を刺す
  21. ガ がんばって明日持って来い愛の詩     
  22. ヨ ヨアヒムに放っておかれたコンチェルト
  23. タ 短調の第7音をそっと下げ
  24. ダ ダメ元の応募で奨学金貰う
  25. レ レオポルド勲章ゲットまだ2人
  26. ソ それなりの生徒以外はダメを出し
  27. ゾ ぞっとする話が多い交響詩      
  28. ツ 追悼にチェロコンチェルト振ってみる
  29. ネ 値切られてさっさとノヴェロに乗り換えた
  30. ナ 名前刷るスペル一つで大げんか
  31. ラ 楽々と旋律だけは湧いて出る
  32. ム 婿殿に駅まで車番見に行かせ
  33. ウ ウィーンに向かう車内で曲書いた
  34. ヴ ヴィオラ好きならば師匠に負けてない
  35. ノ 逃れ来て歌滔々とスピルヴィル
  36. オ オティーリエ血筋を今に継ぐ娘
  37. ク 屑籠のメロディだけで曲になる
  38. グ ググってもネラホセヴェスが見当たらぬ
  39. ヤ やや病気ホームシックが隠せない
  40. マ マーラーが英雄の歌初演する
  41. ケ 煙たがり奥様タバコ大嫌い
  42. ゲ 弦セレをたった10日で書く頭
  43. フ 風呂抜きの音階で書く終楽章
  44. ブ 舞曲だけ異例のトリオ6楽章
  45. プ プラハ市のジトナー通り10番地
  46. コ 国葬をやってもらえる作曲家
  47. ゴ ごちゃごちゃをブルクハウザー整理する
  48. エ 英国に9回行ったことがある
  49. テ 鉄っちゃんと呼んでもらえて本望だ
  50. デ 田園と言われて見ればヘ長調        
  51. ア アメリカの汽車がホントは見たかった
  52. サ 催促は小品ばかりジムロック
  53. ザ 残念だクラ5が実は破棄された
  54. キ 9曲で止める気だからホ短調
  55. ギ 銀婚の祝いに娘花を添え   
  56. ユ 夢じゃない4カ国語を操った
  57. メ 名誉職だけども僕は貴族院
  58. ミ 見渡せどピアノソナタを書いてない
  59. シ 審査する側にとうとう上り詰め
  60. ジ ジムロック金の話はしたくない
  61. ヒ ひっそりと師匠に贈るニ短調
  62. ビ びっくりなアメリカ行きの契約金
  63. ピ ピアノよりヴィオラがオレに向いている 
  64. モ モラヴィアの歌で世に出た出世した
  65. セ セレナーデモーツアルトにあやかった
  66. ゼ 全部やる機関車が手に入るなら  
  67. ス スメタナのあれを初演で弾くなんて
  68. ズ ズロニツェの鐘の記憶でシンフォニー

あけましておめでとうございます。

 

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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