ベルリン高等音楽院
ブラームスの親友ヨアヒムは1868年ベルリン高等音楽院の校長に就任し、終生その地位にあった。どうやら彼が初代校長だったらしい。クララやブラームスにも教授陣に加わるよう要請したが断られている。そうは言うものの、学校の経営は順調だったと言われている。ブラームスが幼馴染の娘のために奨学金獲得に一役買った話には既に言及しておいた。
そしてそして、どうやらヨアヒムはドヴォルザークにも声をかけていた。
ベルリン芸術アカデミー作曲科教授への就任をドヴォルザークに打診して断られている。「ベルリン芸術アカデミー」の正体が今一把握出来かねているが、ヨアヒムがドヴォルザーク白羽の矢を立てたことだけは確実だ。
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