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2010年2月28日 (日)

イタリアの影響

ピアノ協奏曲第2番に言及する文章は高い確率で、イタリア旅行の影響を指摘する。

指摘はされているのだが、根拠が深く掘り下げられていないのもお決まりである。1881年第2回イタリア旅行の直後に作曲されたこと以外は詳しく論じられない。作品のどこがどうイタリアに関係があるのかという議論が大抵置き去りにされている。

ブラームスのイタリア旅行好きは有名で1878年を皮切りに1893年まで全8回挙行されている。3回目の1882年だけが9月で残り7回は全て春先である。

一方でブラームスの作曲はほとんどが夏の間だ。ウィーンを離れる夏の避暑地で作曲されているのだ。第1回のイタリア旅行の1878年以降ブラームスは亡くなるまでに18回の夏を経験しているが、そのうちの7回はイタリア旅行明けだということに他ならない。大雑把に申せば壮年期以降のブラームス作品の3分の1強がイタリア旅行直後の夏に生まれたことになる。何故ピアノ協奏曲第2番ばかりがイタリアの影響を取り沙汰されるのだろう。

ブラームスほどの大家だ、イタリアの印象がその直後の作品にストレートに反映することは希だと思う。旅行を含む日常の生活の出来事が作品に反映することは無いと断言したいくらいだ。むしろそうした痕跡が顕著に現われることを恥としていた可能性さえ考えている。ブラームスがイタリア旅行にはまっていたことは動かし難いが、イタリア音楽に対しては冷静に距離を保っていた。

私ごときには、イタリアの影響など軽々しく論ずることは出来ない。

2010年2月27日 (土)

ポコは少しか

何かにつけて「少し」が好きなブラームスについては既に2006年2月15日の記事「Poco意訳委員会」で話題にした。発想用語が極端に受け取られないよういつも注意深く身構えていたのがブラームスだと思う。一見しただけでは速いのか遅いのか判らないようなニュアンスを「微調整語」を駆使してコネ回すのがブラームス流だ。アンチからは叩かれることもあろう。

ドボダスはカバー率4割の段階だが、「poco」の出現についても興味深い傾向を指し示している。「Adagio」「Andante」「Allegretto」「Allegro」を「Poco」が先導するケースが多い。このパターンは難解だ。「Poco adagio」が「Adagio」より速いのか遅いのか即断が難しい。それでもまだ「Poco adagio」と「Poco allegro」については手掛かりがあるけれど「Poco Andante」や「Poco Allegretto」ともなるとお手上げに近い。

  • Poco adagio 7回 ブラームスは9回
  • Poco andante 7回 ブラームスは8回
  • Poco allegretto 2回 ブラームスは6回
  • Poco allegro 7回 ブラームスは3回
  • Poco lento 4回 ブラームスは2回
  • Poco animato 1回 ブラームスは5回
  • Poco meno mosso 8回 ブラームスは無し
  • Poco piu mosso 3回 ブラームスは4回
  • Poco tranquillo 4回 ブラームスは3回

さらに昨日話題にした「quasi」との関連も悩ましい。たとえば「Quasi Andante」と「Poco Andante」の違いなど微妙過ぎる。

カバー率4割の段階でゆめゆめ断言は危険だが、ドヴォルザークもブラームスと同等かそれ以上の「微調整語」のユーザーだった気がする。

2010年2月26日 (金)

クァジスト

私の造語。「Quasist」とでも綴りたい。2005年6月29日の記事「ノントロッパー」でブラームスのニックネームを考案した。「non troppo」という語句の使いっぷりを観察した結果だ。ブラームスは何かにつけて極端を嫌う。発想記号上での断定を注意深く避ける傾向がある。その代表が「non troppo」という言い回しだ。「アレグロ」や「プレスト」が極端に受け取られ過ぎないよういつも気を配っていた。それが「ノントロッパー・ブラームス」の根拠だ。

カバー率で40%に過ぎない仮設ドボダスだが、早くもドヴォルザークの興味深い一面が浮かび上がってきた。それが本日の話題の「quasi」だ。ブラームスがトップ系で「quasi」を用いた例はわずかに7例しかない。それに対してドヴォルザークはカバー率4割の現段階で既に26箇所の用例が確認出来ている。トップ系だけで26というのは異様だ。ブラームスの場合パート系を加えてもわずかに9例が加算されるだけだ。

  1. Allegro vivace,quasi doppio movimento ドゥムカB166-1
  2. Andante con moto,quasi Allegretto スターバトマーテルB71 第5曲
  3. Andante con moto,quasi l'istesso tempo Allegro scherzando 交響曲第5番第3楽章
  4. Andante maestoso,quasi Adagio 劇付随音楽ヨゼフカイェターンティルB125
  5. Andante moderato(quasi tempo di marcia)ドゥムカB166-4
  6. Grazioso e lento,ma non troppo quasi tempo di valse スラブ舞曲第2集8番
  7. Meno mosso,quasi tempo I 主題と変奏B65 第8変奏
  8. Meno mosso,quasi tempo I ワルツB101-1 51小節目
  9. Meno mosso,quasi tempo I ワルツB101-1 127小節目
  10. Meno mosso,quasi tempo I レクイエムB165第11曲
  11. Meno mosso,quasi tempo I 主題と変奏B65 第8変奏
  12. Meno mosso,quasi tempo I フモレスケB187-8 85小節目
  13. Moderato quasi marcia 管楽セレナーデB77第1楽章
  14. Moderato quasi menuetto スラブ舞曲第2集6番B147-6
  15. Piu mosso quasi Allegretto 管弦楽のための変奏曲 第25変奏
  16. Poco meno mosso-quasi Andantino 詩的音画「夜の道」B161-1 87小節目 
  17. Quasi Allegretto エクローグB103-2
  18. Quasi Andante 主題と変奏第6変奏33小節目
  19. Quasi Andante 即興曲B110-1 87小節目
  20. Quasi Andante 即興曲B110-1 173小節目
  21. Quasi Tempo I ドゥムカB64-1 76小節目
  22. Quasi Tempo I 主題と変奏B65第3変奏 23小節目
  23. Quasi Tempo I マズルカB111-6 42小節目
  24. Un poco piu mosso,quasi Allegretto 管弦楽のための変奏曲 第3変奏
  25. Un poco tranquillo,quasi tempo I ヴァイオリン協奏曲B108第2楽章
  26. Vivace(quasi l'istesso tempo) ピアノ五重奏曲B155第2楽章 

ドヴォルザークもブラームス同様、どうも発想用語での断定を避けているように見える。ここでは「ほとんど~で」という解釈が通じるのかという疑念が払拭できない。

クァジスト・ドヴォルザーク。

2010年2月25日 (木)

公と私

ブラームスがイタリア旅行好きだったことは一昨日述べた。ブラームスのイタリア旅行が8回を数える一方でドヴォルザークは一度もイタリアを訪問していない。

ところがドヴォルザークが生涯で9回訪れたイギリスだというのに、ブラームスは一度も訪れていない。再三の招きにもかかわらず頑として訪英を拒んだ。

イタリアのブラームス、イギリスのドヴォルザークの対照ぶりが見事でさえある。

さらに付け加えねばならないことがある。ドヴォルザークの訪英は全て何らかの招待に応じた体裁をとっている。学位の授与であったり自作の演奏であったり、あくまでもオフィシャルな行事である。行く先々でコンサートやレセプションが開かれた。ロイヤル・アルバートホールではヘンデル、メンデルスゾーンにも匹敵する熱狂的喝采を受けたほどだ。報酬も莫大なものがあった。

ところが、ブラームスのイタリア訪問はすべてプライヴェートな旅行だった。目的は遺跡や美術館の訪問だ。音楽を遮断した旅である。作曲どころか演奏もしていない。お金は出る一方の散財の旅路だったが、不思議なことにイタリアオペラを鑑賞していないのだ。あくまで一個人のプライヴェートな旅ではあるのだが、妙なこだわりも感じる。旅先では何よりもまず、当代屈指の大作曲家として遇されることを嫌った。普通のホテルや民宿に普通に寝泊りした。

公のドヴォルザーク、私のブラームスである。

2010年2月24日 (水)

ボヘミアのブラームス

英国ジャーナリズムがドヴォルザークに奉った通り名だ。

ケンブリッジ大学からの再三の招請にもかかわらず頑としてドーヴァー海峡を渡ることを拒んだブラームスと対照的に、ドヴォルザークの渡英は生涯で9回を数える。

1884年ドヴォルザーク最初の渡英のときから、英国はドヴォルザークを暖かく迎えた。本人の指揮による「スターパトマーテル」が絶賛されることでもたらされた報酬は、別荘購入を実現させた。

第7交響曲初演を手みやげに訪れた1885年には、ほぼブラームスと同等の評価を勝ち取り、瞬間的にはブラームスの名声をかき消すほどだったという証言もある。

1891年のケンブリッジ大学学位授与の頃に、「ボヘミアのブラームス」という触れ込みがマスコミに踊ったという。

もちろん鵜呑みは危険だが、英国での両者の評価の一断面ではあり得る。少なくとも私にとってあまり違和感はない。

2010年2月23日 (火)

イタリア旅行

ブラームスはイタリア好きだった。生涯で8回イタリア旅行を企てている。

  • 第1回 1878年4月9日出発
  • 第2回 1881年3月25日出発
  • 第3回 1882年9月8日出発
  • 第4回 1884年5月8日出発
  • 第5回 1887年4月27日出発
  • 第6回 1888年5月6日出発
  • 第7回 1890年4月3日出発
  • 第8回 1894年4月14日出発

すぐに気付くことがある、1882年の第3回を除けば、全て春先の出発である。帰りはウィーンに戻らずそのまま夏の避暑地ということも多かった。ブラームスは夏に避暑地で作曲するのが常だった。イタリア旅行明けの夏が生涯で7回もあったのだから、イタリア旅行直後の作品はかなり存在することになる。

このうち第6回目は誕生日をイタリアで迎えたことが確実だ。

2010年2月22日 (月)

マルチリンガル

複数の言語を操る人のことだ。2種類ならバイリンガルで、3つならトリリンガルだ。私は日本語だけだからモノリンガルだ。本当は日本語も心許ないから「無リンガル」かもしれない。

ドヴォルザークとブラームスの伝記を読んでいると2人が何回か会見したと記録されている。もっとも基本的な疑問は、そのとき何語で話したかである。

ブラームスの言語力はほぼドイツ語だけだ。行動範囲もほぼドイツ語圏に限っている。例外はイタリアだ。生涯で8回に及ぶイタリア旅行だったが、単独では出かけていない。音楽用語はともかくイタリア語会話は心許なかったと思う。生涯英国の地を踏まなかったのは英語が出来ないせいとも言われている。簡単な英語なら、何を言っているかは理解できたとの証言もあるが、会話は無理だったと思われる。

ズバリ、ドヴォルザークとの会話はドイツ語だ。ドヴォルザークは若い頃家業を継ぐために肉屋の修行をした。肉屋の修行にはドイツ語が必須だったらしい。さらに音楽を志した頃の教師は、オルガンや音楽理論とあわせてドイツ語も教えたという。これにはチェコという国の不幸な歴史が反映している。1918年に独立を勝ち取るまで、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあり、ドイツ語を公用語として強制されていた。だからドヴォルザークはドイツ語での日常会話に困らなかったと考える。

一方生涯で9回英国を訪れている。この間に演奏会の他、自作の出版についても交渉しているから英語力もついたと考えられる。アメリカ着任の歓迎レセプションでのスピーチが、流暢な英語だったと記録にある。

さらに、チャイコフスキーのプラハ訪問の歓迎レセプションの席で、ドヴォルザークがロシア語でスピーチしたとされている他、自身のロシア訪問の際のレセプションでも、しばしばロシア語を操ったらしい。

そしてもちろん母国語はチェコ語だから、全部で4種類の言語を操ったマルチリンガルだったのだ。

2010年2月21日 (日)

地味に似ている

2月20日の記事「管楽セレナーデ弦楽合奏版」で、ドヴォルザークの管楽セレナーデを弦楽合奏用に編曲したCDを入手したと書いた。のめり込んで聴いている。

弦楽器で弾かれるまで気付かなかった発見がある。第3楽章の末尾も近い91小節からのクラリネットがどこかで聴いた感じなのだ。99小節目のホルンも同様だ。思い出すまで時間がかかったが、このほど判った。ブラームスの弦楽五重奏曲第2番ト長調op111の第2楽章冒頭、ヴィオラによる主題にそっくりだ。

オリジナルの管楽器で聴いている時は気にも留めなかったが、弦楽器で演奏されてみるとそっくりだ。作曲年代で明らかなのは伝播の向き。もし伝播があったとすればドヴォルザーク発ブラームス行きだ。

これもまた瞬間芸

2010年2月20日 (土)

管楽セレナーデ弦楽合奏版

またしてブリリアント社の仕業である。

ドヴォルザークの「管楽器のためのセレナーデ」ニ短調op44を弦楽合奏に編曲したCDが出ていた。原曲が大好きということもあって即買い。もちろんと言っては悪いがドヴォルザーク本人の編曲ではない。下記の通りのオリジナルな編成を元に、2つの弦楽四重奏とコントラバス用に編曲した代物だ。

  • オーボエ 2
  • クラリネット 2
  • ファゴット 2
  • コントラファゴット 1
  • ホルン 3
  • チェロ 1
  • コントラバス 1

いやはや楽しい。元々旋律が多彩で飽きさせない曲だから、どんな編成でも様になってしまうのだと思う。難を申すとすれば、原曲にある音色の多彩さが薄らぐところだ。仮に同じ音域の旋律でもオーボエかクラリネットかでは印象が変わる。弦楽器のみの演奏ではそこがポイントになる。ヴァイオリンのG線、ヴィオラのC線、チェロの高音域などにはそれぞれ独特の味わいがあるから、それらを駆使して響きの違いを鮮明にして欲しかった。旋律の音域に合わせて弦楽器を機械的に割り振るだけではなく、音色を意識して欲しいところだ。

でも630円という価格を思えば、ブーイングはバチ当たりだ。

2010年2月19日 (金)

ハンブルク土産

一昨日旧友と一献傾けた。昨日の記事「マッハ」がピンポイントネタだったから、一日遅れの言及になる。

ご主人がドイツに出張してハンブルクのブラームスムゼウムに立ち寄ったという。何よりの収穫は、先に献本した「ブラームスの辞書」op122のその後の消息が判明したことだ。

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ちゃんと収蔵されていた。譜面台左側の本だ。隣にあるのは「4つの厳粛な歌」op121ジムロック社製の楽譜だ。「op122とop121」が並んでいるということだ。10日あまり前の写真である。

他にも土産をたくさんいただいた。絵葉書とボールペンとバッジだ。それから博物館のパンフレットなど。

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それからポスターもあった。縦840mm、横600mmの大判だ。「ブラームスの辞書」と比べると大きさが実感出来る。

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もったいないから、さっそく額に入れて部屋に飾った。何だか空気が締まった感じがする。

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写真もたくさん撮ってくれているらしい。

2010年2月18日 (木)

マッハ

厳密な定義は私の手に余るが、おおよそ音速との比率で表す速度の単位だ。オーストリアの物理学者哲学者エルンスト・マッハの功績に因んで名付けられた。1838年2月18日当時オーストリア支配下にあったモラヴィアに生まれた。モラヴィア二重唱のモラヴィアだ。

1867年以降プラハ・カレル大学の教授だった。1891年にドヴォルザークが同大学から哲学博士号を授与された時、教授陣の一員だったことは確実だが、専攻は物理学だった。

1895年にはウィーン大学から招聘されている。

ドヴォルザークがオーストリア貴族院の名誉議員に列せられたのは1901年だったが、その同じ年にマッハもオーストリア貴族院名誉議員になっている。ドヴォルザークとマッハはいわば「貴族院同期」である。

2人は名誉議員への任命式で同席した可能性がある。ドヴォルザークはその任命式を最後に、死ぬまで一度も議院を訪れていないから、出会ったとすれば任命式当日しかありえない。

2人とも音で飯を食った。

2010年2月17日 (水)

まともな方向

1896年2月のある日だ。

ブラームスは友人のホイベルガーと昨今の作曲業界というノリで意見を交わす。ドヴォルザークは、このときもブラームスから別格の扱いを受けている。

「放っておいてもまともな方向に進みそうなのはドヴォルザークだけ」と言っている。

ドヴォルザークはこのときもう55歳だから、さすがに注目の若手というニュアンスではなくなっている。音楽界の重鎮・大御所のブラームスには、最新情報が逐一もたらされていたはずだ。ブルックナーはもちろん、リヒャルト・シュトラウスやマーラーの作品も知っていた。それでいてなお、「まともな方向に進みそうなのはドヴォルザークだけ」という言葉は意義深い。ブラームスにとっての「まともな方向」を垣間見ることが出来るエピソードだ。

一方のドヴォルザークものんびりしている場合ではない。2月9日の記事「多分偶然」を思い起こす。1895年チェロ協奏曲、13番目と14番目の弦楽四重奏曲を発表した後、ブラームス風な「絶対音楽」の作品がパッタリと途絶えるのだ。1904年に没するまで8年の残り時間がありながら、彼の興味は完全にオペラや交響詩に絞られる。

ブラームスが「まともな方向」と口にしたとき、ドヴォルザークのこの路線変更が考慮されていたのか興味深い。

2010年2月16日 (火)

校長席

ムジークフェラインザールには校長席があったという。ボックス席だったらしい。どこの校長なのだろうか。ウィーン高等音楽院の校長と解するのが自然だと思う。

1896年2月16日ウィーン。ムジークフェラインザールでのウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏会で、ドヴォルザークの新世界交響曲が演奏された。指揮はハンス・リヒターだ。このときの演奏は語り草で熱狂的な盛り上がりだったと記録されている。

既に米国から戻っていたドヴォルザークも聴いていた。彼は出版に際しての作品の校訂者でもあるブラームスと並んで校長席に陣取っていた。ブラームス自身はこのときどこの校長でもなかった。ドヴォルザークはブラームスからウィーン音楽院の教授就任を誘われたが固辞している。2人も校長ではなかった。単にロイヤルボックス代わりだったのかもしれない。

おそらくこれが新世界交響曲のウィーン初演だ。

2010年2月15日 (月)

ドヴォルザーク記事100本

昨日の記事「瞬間芸」でドヴォルザーク特集の記事が100本に達した。これには少々の説明が要る。今日カテゴリー「303 ドヴォルザーク」をクリックすると記事の本数が「103本」と表示される。ところがこのうちの最古の2つ2008年8月3日の記事「Bdur症候群」と2009年5月3日の記事「初交響曲」はドヴォルザーク特集開催前の記事だ。そして本日のこの記事が加わるから、特集期間中の記事の本数としては昨日がちょうど100本だ。

思えば昨年の9月8日に記事「ドヴォルザーク」をアップし、同時に独立カテゴリーを立ち上げた。6ヶ月かからずに記事が100本たまったということだ。ブラームスとは8つ違いのほぼ同時代人だけに、双方の伝記に興味深い記述が頻発する。これがバッハとの大きな違いだ。

何よりもブラームスの熱意には頭が下がる。人に惚れ込むとはこういうことだと思う。きっとシューマンのブラームスへの思いと共通しているのだと思う。言及が賞賛一辺倒でないことが、リアリティを高めていると感じる。自分でもこの本数には驚いている。この半年でドヴォルザークの聴き方がすっかり変わってしまった感じである。

この2週間程、記事100本の到達をヴァレンタインデーにするために、微調整を繰り返してきた。私なりの愛情の表現である。ドヴォルザークイヤーはまだ折り返し点に達していない。

2010年2月14日 (日)

瞬間芸

一瞬で終わる芸。よく見ていないとサビを見逃す芸。長く見続けると似ていないが、一瞬なら似ているモノマネもこの仲間だろう。

最近ドヴォルザークネタを集めるようになって、ずっと言い出せなかったソックリ箇所がある。ドヴォルザークの交響曲第8番の第2楽章101小節目が、ブラームスの第1交響曲第4楽章の冒頭に似ている。

ドヴォルザークはコントラバスとチェロ、ブラームスはヴィオラ以下の弦楽器とコントラファゴットが、「C→B→As」とゆっくりと下る。最後の「As」のところで他の楽器が「C」をそっと重ねる。ここまでが瓜二つだ。

ブラームスの場合、この直後の「G」が一応の目的地だが、ドヴォルザークは「Ges」を経て「F」に至り、ホルンの咆哮を準備する。

わずかに音3個だ。つまり瞬間芸である。

2010年2月13日 (土)

ハイドンで釣られる

アクセス解析を眺めている。ドヴォルザーク特集も軌道に乗った今、ドヴォルザーク系のキーワードで辿りつかれることにも慣れてきた。一方で最近ポツリポツリと見られるのがハイドンだ。「ハイドン」と「交響曲」のアンド検索で「ブラームスの辞書」にたどり着く人が現れている。

原因はかれこれ1ヶ月前の記事「ホ短調の交響曲」だ。ハイドンの44番を話題にした。検索エンジンの性能には、つくづく驚かされる。

ネットの露出を挙げたいと心から欲する場合、マメに更新して出来るだけ話題を広く取ることは鉄則だ。それが実例として裏付けられている感じだ。一方で記事数が1800本に近づいているというのに、キーワード「ブラームス」の検索結果で、一桁順位が定着しないこともまた事実である。奥が深い。SEOに血眼になる人が現われるのもうなずける。

2010年2月12日 (金)

理性と心

ブラームスとドヴォルザーク共通の知人で、19世紀後半の楽壇に君臨したハンスリックが、この両者を評したたとえがある。出所がやや怪しい話だから鵜呑みは厳禁だが、興味深いことにかけては世界遺産級なので、言及しておく。

「理性と心のブラームス、心と理性のドヴォルザーク」

含蓄がある。言い得て妙だ。「理性と心」の意味は多様だから難解であることは動かし難いが、その分奥行きも味わいもある言葉だと思う。ハンスリックの立場が親ブラームスであると同時に親ドヴォルザークであるということは重要だ。2人への好意を下敷きにした喩えである。ハンスリック程の音楽評の大家だから大衆を納得させる言い回しについては、折り紙付きだ。平易なたとえを用いて事の本質を突くことが仕事でさえある。

理性や心がそれぞれどのようなドイツ語の反映なのか確認も必要だが、理性を知、心を情と置き換えたり、理性を形式、心を旋律と置き換えてみるのも一興だろう。2人ともそれらのバランスが絶妙であることが言い表されていると感じる。

与謝野鉄幹先生の言う「六分の侠気、四分の熱」を思い出した。

2010年2月11日 (木)

4割打者

年間規定打席数に到達し、かつ打率が4割を超えた打者。バッターにとって、あるいはファンにとって夢の数字。長いメジャーリーグの歴史の中でもわずか13人を数えるのみだ。1941年テッド・ウイリアムスが達成したのを最後に現れていない。日本プロ野球ではまだいない。

年間最多安打メジャーリーグ記録262本を達成した年、イチローの打数は705だった。4割に到達するには282本の安打が必要だから、さらに20本安打を積み重ねる必要があった。あるいは、フォアボールや犠打で655まで打数を圧縮する必要があった。難易度の高さが伺える。

仮設ドボダスと銘打って、ドヴォルザーク作品の中の発想記号をエクセルに取り込む試みが一段落した。我が家の楽譜、CD、解説書から発想記号を拾いまくった。ドヴォルザーク作品を整理するブルクハウザー番号の最大値は203だ。それに対して取り込みが出来た作品が85である。4割1分8厘である。野球で言うなら203打数85安打となる。

バッティングなら御の字だが、データベースとしては物足りない。何と言ってもつらいのはCDの解説だ。器楽曲の解説では大抵楽章毎に冒頭の発想記号が併記されている。これが声楽曲になると全く姿を消す。作品のタイトルだけで楽譜上の発想記号には何ら注意が払われていない。もっともこれはドヴォルザーク作品に限ったことではなく、ブラームスでも同様だった。器楽作品においてはバカにならない情報源になっているだけに、声楽曲での扱いが残念だ。

完成度40%少々のデータを元にブラームスと比べるなら、ある単語の出現頻度が多い場合には有効だ。4割の完成度で既にブラームスの頻度を超えるようなら、ドヴォルザークの特色だと推定出来る。

2010年2月10日 (水)

ハンスリックの懸念

米国から帰国後、1895年に発表された2曲の弦楽四重奏曲を最後に、ドヴォルザークが絶対音楽から遠ざかったことは昨日書いた。

オペラや交響詩に関心が移ったのだ。1896年に発表されたのが3曲の交響詩だ。「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」だ。このうち前2曲がハンス・リヒターの指揮で、ウィーンでも演奏された。

これを聴いたハンスリックは、ドヴォルザークの作風の変化を敏感に感じ取り、リヒャルト・シュトラウスのようになりはせぬかと心配した。「絶対音楽」の旗手一人が、陣営から出て行くという危機感を持ったと解されている。

思い詰めたハンスリックは、もう一人の旗手ブラームスに相談を持ちかけた。「友人として警告をすべきかどうか」である。その警告が実際に発せられたのかどうかホノルカ博士の伝記では曖昧に書かれているが、結果としてドヴォルザークは「英雄の歌」を書く。交響詩の路線をひた走るのだ。

このときのブラームスの反応は伝えられていないが、残された作品群を見ればハンスリックの懸念は、あながち的はずれとは言えない。

2010年2月 9日 (火)

多分偶然

ドヴォルザークは交響曲9曲を残した。弦楽四重奏曲は14曲だ。楽聖ベートーヴェンの土俵でも臆することはないようだ。ピアノソナタこそ無いものの、このほかの編成の室内楽も多いし、協奏曲も3曲ある。つまりこれはいわゆる「絶対音楽」の路線だ。

「絶対音楽」なんぞ私ごときに定義は出来ないが、器楽で物を言う際にソナタ形式を頻繁に用いる人々の音楽だと仮に考える。無論ブラームスもここに属する。器楽で物が言いたい作曲家にとってソナタ形式はとても便利なのだ。小品の三部形式がソナタ形式の輪郭をなぞっていることも少なくない。

オペラを11曲書いたり、交響詩にも複数の作品を残したとは言え、作品の出来映えをみるとドヴォルザークもここに帰属すると考えていい。美しい旋律が次々湧いて出るドヴォルザークは、ソナタの枠組みの中にそれらを収めるが故に客観性と普遍性を獲得したのではないか感じる。枠組みがないと単なるきれいな旋律の羅列に陥りかねない危うさがある。旋律的な魅力の大きさと表裏一体の関係だ。ブラームスは、そのバランスが少し旋律よりも構成感に寄っていることで均衡を保った。ドヴォルザーク自身それに気付いていたと思う。だからオペラ、交響詩に走ったスメタナとは別の道を行ったのだ。

そのドヴォルザークの作品一覧眺めていて驚いた。1895年に発表されたチェロ協奏曲、弦楽四重奏曲第13番、同14番を最後に、いわゆる「絶対音楽」を書いていないのだ。このあと9年の人生が残されていたが、オペラと交響詩中心の創作になる。

直感で申し訳ないが、ブラームスの死を境に絶対音楽から離れたように見えて仕方がない。残念なことにその後に生み出された作品はドヴォルザークの名声のさらなる向上には貢献していないようにも感じる。

2010年2月 8日 (月)

仮設ドボダス

2月4日の記事「ピアノ限定版ドボダス」でピアノ独奏曲に限ってトップ系音楽用語の集計をしたと書いた。その後いろいろ興味深い発見があったものの、それらを深追いするのは「ブラームスの辞書」の手に余るとも感じている。

しかしそれでも、脳味噌の奥がムズムズして落ち着かない。楽譜はあまり持っていないからブラームスでやったような本格的なものにはならないが、出来る範囲でドボダスをブラッシュアップしたい。

我が家にある楽譜と解説書を総動員して出来る限りの音楽用語を集めようと思う。トップ系の音楽用語は楽譜を持っていなくても解説書の譜例で判明することが多い。せめてそれだけでもドボダスに取り込むことにした。つまり仮設ドボダスだ。

チョコを贈るだけが愛情の表現とは限るまい。

2010年2月 7日 (日)

Quasi Tempo I

先般作成したドヴォルザークのピアノ独奏曲で使われた発想記号リストの話だ。

「Quasi Tempo I」という言葉が8箇所も使われている。「ほとんど冒頭のテンポで」と解するより道は無い。ブラームスには一度も出現しない言い回しだ。使われているのは三部形式における再現部または、変奏曲中である。難解なことに「Tempo I」も10箇所出現する。あろうことか、一つの作品中に両者が混在するケースさえ観察出来る。

再現部において冒頭と同じテンポが回復するのは自然だ。問題は何故「Quasi Tempo I」と「Tempo I」が使い分けられているかだ。何故「冒頭のテンポで」という断言を避けているのだろう。

実に興味深いが、同時に悩ましい。深入りすると最早「ブラームスの辞書」ではなくなってしまう。

2010年2月 6日 (土)

アダージョ不在

一昨日の記事「ピアノ限定版ドボダス」でドヴォルザークのピアノ独奏曲に出現する音楽用語を列挙した。ブラームスとの比較は本当に興味深い。

お気づきの方も多いと思う。アルファベット順の羅列でありながら先頭が「Allegro」になっている。つまり「Adagioの不在」だ。ドヴォルザークはピアノ独奏曲で「アダージョ」(Adagio)を用いていない。それどころか「Adagio」含みの語句も無い。

新世界交響曲の冒頭や交響曲第8番の第2楽章にはちゃんと「アダージョ」が鎮座しているから「アダージョ」の完全忌避ではない。ピアノ独奏曲にだけアダージョが無いのは異様でさえある。遅いテンポのピアノ曲は存在するけれどもドヴォルザークは注意深く「アダージョ」を避けているように見える。

解釈はお手上げだが、ありがたみは極上だ。

2010年2月 5日 (金)

多様性に驚く

昨日の記事「ピアノ限定版ドボダス」の話をする。昨日は列挙だけで手一杯だった。ドボルザークのピアノ独奏作品に登場するトップ系用語を全て抜き出してアルファベット順に並べた。ブラームス作品にも登場する語句は赤文字、ブラームス作品には登場しない語句は青文字にした。つまり赤文字の語句は書籍「ブラームスの辞書」に掲載されているということだ。

全部で58種類の語句のうち、「ブラームスの辞書」に載っているのは26種類しかなかった。

ある意味で衝撃。ドヴォルザークの独奏ピアノ作品に挑もうとする場合、手許に「ブラームスの辞書」があっても、発想用語・語句の半分以上は載っていないということだ。つまりドヴォルザークの発想用語起用のセンスがブラームスとは違うということだ。全作品をあたったわけではない。たかだかピアノ作品だけで、この多様さである。

作品が作曲家の個性の反映であることと同様に、発想用語使用にも個性が色濃く宿る。基幹となる単語「Allegro」「Andante」などは共通することが多いが、その組み合わせたる語句になると、作曲家の使い回しの癖がにじみ出る。

ということはつまり、「作曲家専用音楽用語事典」は着想として見所があるということだ。「ブラームスの辞書」一冊を持っているだけで、他の作曲家の使用した用語がほとんどカバー出来てしまっては、面白くない。用語使用の癖が作曲家毎に極端に違ってこそ「作曲家別音楽用語事典」の意味がある。

繰り返す。ドヴォルザークの独奏ピアノ曲を調べただけで、この多様さだ。完全版ドボダスが出来たら大変なことになる。あるいはショパンの辞書、シューマンの辞書、ベートーヴェンの辞書、リストの辞書、シューベルトの辞書、メンデルスゾーンの辞書があったらどれほど面白いだろう。

今、底知れぬ深い淵の畔に立っているような気がする。

2010年2月 4日 (木)

ピアノ限定版ドボダス

1月9日の記事「困った性格」でドヴォルザークのピアノ独奏曲の楽譜が入手出来たからせめて作品冒頭の発想記号を集計したいと書いた。ブラームスについてはこうしたデータベースが完成していてブラダスと名付けている。ドヴォルザークについて同じ事を実施するということになれば「ドボダス」とでも命名せねばならない。私が持っているドヴォルザークの楽譜は抜けが多くてお話にならないが、ピアノ独奏曲については完璧だ。このほどそれが完成した。対象範囲はピアノ独奏曲のトップ系音楽用語のみの限定版ドボダスだ。本日はその成果を公開する。

ドヴォルザークの独奏ピアノ曲に出現するトップ系の音楽用語全てをアルファベット順に列挙する。

  1. Allegretto 9箇所。
  2. Allegretto grazioso 3箇所
  3. Allegretto leggiero 詩的音画より「戯れ」B161-2冒頭にただ1箇所。
  4. Allegretto moderato 「ドゥムカ」ハ短調B136-1冒頭にただ1箇所。
  5. Allegretto scherzando 3箇所。
  6. Allegro 8箇所。
  7. Allegro con fuoco 3箇所。
  8. Allegro feroce 4箇所。
  9. Allegro giusto 詩的音画より「農夫のバラード」B161-5冒頭にただ1箇所。
  10. Allegro moderato 2箇所。
  11. Allegro moderato(Tempo I) 詩的音画より「夜の道」B161-1の124小節目に1箇所。
  12. Allegro molto アルバムブラットB109-3冒頭にただ1箇所。
  13. Allegro non tanto 2箇所
  14. Allegro non troppo 「マズルカ」B111-5冒頭にただ1箇所。
  15. Allegro scherzando 即興曲ニ短調B129冒頭にただ1箇所。
  16. Allegro vivace 2箇所
  17. (Ancora) piu mosso ワルツイ長調B110-1の95小節目にただ1箇所。 
  18. Andante 2箇所
  19. Andante con moto 2箇所
  20. Andante e molto tranquillo 即興曲ハ短調B110-1の95小節目にただ1箇所。
  21. Andantino 影絵B98-2冒頭にただ1箇所。 
  22. Grave, tempo di marcia 詩的音画より「英雄の墓」B161-12冒頭にただ1箇所。
  23. Larghetto インテルメッツォB110-2冒頭にただ1箇所。
  24. Lento 詩的音画より「古城にて」B161-3冒頭にただ1箇所。
  25. Lento ma non troppo マズルカニ短調B111-4冒頭にただ1箇所。
  26. L'istesso tempo 3箇所
  27. Meno 組曲イ長調第1曲B184-1 27小節目にただ1箇所実在。目を疑う。
  28. Meno mosso 3箇所
  29. Meno mosso, quasi Tempo I 5箇所
  30. Moderato 8箇所
  31. Moderato e molto cantabile 詩的音画より「セレナーデ」B161-9冒頭にただ1箇所。
  32. Molto moderato 子守唄B188-1冒頭にただ1箇所。 
  33. Molto vivace 組曲イ長調第2曲B184-2冒頭にただ1箇所。 
  34. Piu mosso 3箇所。
  35. Poco  allegretto 「フモレスケ」ロ長調B187-6冒頭にただ1箇所。
  36. Poco allegro 3箇所
  37. Poco andante 3箇所
  38. Poco andante e molto cantabile 「フモレスケ」変イ長調B187-3冒頭にただ1箇所。
  39. Poco andante e molto tranquillo 主題と変奏B65-1第6変奏冒頭にただ1箇所。
  40. Poco lento 詩的音画より「スヴァタホラ」B161-13冒頭にただ1箇所。 
  41. Poco lento e grazioso 「フモレスケ」変ト長調B187-7冒頭にただ1箇所。
  42. Poco meno mosso 2箇所。
  43. Poco meno mosso-quasi andantino 詩的音画より「夜の道」B161-1の87小節目。
  44. Poco piu mosso 「マズルカ」ロ短調B111-6の26小節目にただ1箇所。
  45. Poco sostenuto 影絵B98-6冒頭にただ1箇所。
  46. Poco tranquillo e molto espressivo エクローグB110-4に2箇所。 
  47. Presto 3箇所。
  48. Quasi allegretto エクローグB103-2冒頭にただ1箇所。
  49. Quasi andante 3箇所。
  50. Quasi Tempo I 3箇所。
  51. Tempo di menuetto 主題と変奏B65冒頭にただ1箇所。
  52. Tempo di polka B3冒頭にただ1箇所。
  53. Tempo I 10箇所。
  54. Un poco meno mosso e molto tranquillo 「フリアント」ト短調B137冒頭にただ1箇所。
  55. Un poco piu mosso 2箇所。
  56. Vivace 8箇所。
  57. Vivaccissimo 詩的音画より「バッカナール」B161-10冒頭にただ1箇所。
  58. Vivo e risoluto マズルカハ長調B111-2冒頭にただ1箇所。

本日は列挙だけで手一杯だ。赤文字と青文字の塗り分けは何が基準かおわかりだろうか。

2010年2月 3日 (水)

携帯電話の躍進

何を今更と言われるかもしれない。ブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスの話だ。ブログ右サイドバナー最上段に位置するカウンターには、携帯電話からのアクセスはカウントされない。このことには2008年4月6日の記事「携帯不算入」で言及した。その記事の中に、当時の携帯電話からアクセスについて、PCからのアクセスの2%だと書いてある。数も少ないからカウンターへの非反映もやむなしと思っていた。

時は流れて2009年3月26日の記事「携帯URL」では、携帯電話からブログ「ブラームスの辞書」が手軽に楽しめるようになったと喜んだ。

その後携帯電話からのアクセスが順調に伸びているのと平行して、PCからのアクセスが頭打ちに転じていた。携帯電話から手軽にアクセス出来るようになったことの裏返しにも見えるが、PCからの訪問者が携帯に流れているのか本当のところは判らない。

ここ1ヶ月携帯電話からの1日平均アクセスが弾けている。PCからのアクセス217に対して、携帯電話からのアクセスは179にも達している。1月第3週においては携帯電話発が297に対してPCは241にとどまった。1月月間のPCからのアクセスは6613であるのに対して、携帯からは5439である。最早遜色がない。

携帯電話経由のアクセスが当初PCの2%だったことを考えるとその躍進には驚かされる。カウンターの表示がPC経由限定であることが、申し訳ない感じ。

福は内、福は内。

2010年2月 2日 (火)

ピアノ連弾版セレナーデ

新世界交響曲のピアノ連弾版のCDに驚いた。ついでに8番の連弾版CDは出ていないかと探していたが、思わぬ外道がヒットした。

ドヴォルザークのセレナーデ2曲のピアノ連弾版である。演奏は新世界交響曲のときと同じメンバーでレーベルも同じだった。

2曲とはホ長調の弦楽セレナーデと、ニ短調の管楽器のためのセレナーデだ。これらの原曲がまた個性的で素晴らしい出来映えだけに、ほとんど我慢が利かずに即買いだった。最近ドヴォルザークというだけで鼻の下が伸びてしまう。

聴いてみる。

素晴らしい。みずみずしい。こりゃたまらんという感じだ。ブラームスにない甘さだ。でももたれない。弦楽セレナーデについて言えば、楽譜の出版はピアノ連弾版の方が先行したようだ。判るような気がする。

2010年2月 1日 (月)

ブラダスの威力

昨日の記事「行きがかり上」で述べた通り、現在進行中のドヴォルザーク特集のせいで、通常なら絶対に記事にしないようなネタまでもが、公開されている。実はそれこそが記事のヒントになっている。

ブログ「ブラームスの辞書」がブラームスのために記事にしてきたことを、ドヴォルザークにもしてあげたいと考えるのだ。親心に通じるものがある。兄にしてあげたことを弟にもしてあげるということだ。

そう考えることで、この先9月のゴールまでの記事をいくつか思いついた。その一方で、絶対にドヴォルザークにはしてあげられないことがあることも判った。

ドヴォルザークとブラームスの違いで最大の要素は、楽譜とCDの所有だ。ほぼ全ての楽譜CDを持っているブラームスに対してドヴォルザークは持っていない作品の方が多い。そしてつまるところそれはブラダスの有無に繋がってしまう。

楽譜上の出来事や景色に立脚した記事が、ドヴォルザークではブラームスほどの厚みに達しないということだ。

子供たちの記録と似ている。最初の子供についての記録が何かと一番手厚いということは、しばしばありがちである。ブラームスにしか存在しないブラダスは、長男にだけ残っている祖父の句集みたいなものだ。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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