マルチリンガル
複数の言語を操る人のことだ。2種類ならバイリンガルで、3つならトリリンガルだ。私は日本語だけだからモノリンガルだ。本当は日本語も心許ないから「無リンガル」かもしれない。
ドヴォルザークとブラームスの伝記を読んでいると2人が何回か会見したと記録されている。もっとも基本的な疑問は、そのとき何語で話したかである。
ブラームスの言語力はほぼドイツ語だけだ。行動範囲もほぼドイツ語圏に限っている。例外はイタリアだ。生涯で8回に及ぶイタリア旅行だったが、単独では出かけていない。音楽用語はともかくイタリア語会話は心許なかったと思う。生涯英国の地を踏まなかったのは英語が出来ないせいとも言われている。簡単な英語なら、何を言っているかは理解できたとの証言もあるが、会話は無理だったと思われる。
ズバリ、ドヴォルザークとの会話はドイツ語だ。ドヴォルザークは若い頃家業を継ぐために肉屋の修行をした。肉屋の修行にはドイツ語が必須だったらしい。さらに音楽を志した頃の教師は、オルガンや音楽理論とあわせてドイツ語も教えたという。これにはチェコという国の不幸な歴史が反映している。1918年に独立を勝ち取るまで、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあり、ドイツ語を公用語として強制されていた。だからドヴォルザークはドイツ語での日常会話に困らなかったと考える。
一方生涯で9回英国を訪れている。この間に演奏会の他、自作の出版についても交渉しているから英語力もついたと考えられる。アメリカ着任の歓迎レセプションでのスピーチが、流暢な英語だったと記録にある。
さらに、チャイコフスキーのプラハ訪問の歓迎レセプションの席で、ドヴォルザークがロシア語でスピーチしたとされている他、自身のロシア訪問の際のレセプションでも、しばしばロシア語を操ったらしい。
そしてもちろん母国語はチェコ語だから、全部で4種類の言語を操ったマルチリンガルだったのだ。
<シポンジ・ボブⅡ様
このうちではロシア語はカタコトだった可能性もございます。
投稿: アルトのパパ | 2011年2月16日 (水) 06時02分
ドヴォルザークが多数の外国語に長けていたのはあまり注目されませんね。それとともに、当時から広く国際的なヨーロッパの音楽文化の事情にも驚きます。
チャイコフスキーに手配されてロシア演奏旅行をしたのは知っていましたが、当地ではロシア語で挨拶もしていたんですね。チェコ語、ドイツ語、英語がドヴォルザークの出来る言語と思っていたので4ヶ国語を操るマルチリンガル、ドヴォルザーク新鮮に拝見いたしました。
投稿: スポンジ・ボブⅡ | 2011年2月16日 (水) 01時16分