ハンスリックの懸念
米国から帰国後、1895年に発表された2曲の弦楽四重奏曲を最後に、ドヴォルザークが絶対音楽から遠ざかったことは昨日書いた。
オペラや交響詩に関心が移ったのだ。1896年に発表されたのが3曲の交響詩だ。「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」だ。このうち前2曲がハンス・リヒターの指揮で、ウィーンでも演奏された。
これを聴いたハンスリックは、ドヴォルザークの作風の変化を敏感に感じ取り、リヒャルト・シュトラウスのようになりはせぬかと心配した。「絶対音楽」の旗手一人が、陣営から出て行くという危機感を持ったと解されている。
思い詰めたハンスリックは、もう一人の旗手ブラームスに相談を持ちかけた。「友人として警告をすべきかどうか」である。その警告が実際に発せられたのかどうかホノルカ博士の伝記では曖昧に書かれているが、結果としてドヴォルザークは「英雄の歌」を書く。交響詩の路線をひた走るのだ。
このときのブラームスの反応は伝えられていないが、残された作品群を見ればハンスリックの懸念は、あながち的はずれとは言えない。
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