イタリアの影響
ピアノ協奏曲第2番に言及する文章は高い確率で、イタリア旅行の影響を指摘する。
指摘はされているのだが、根拠が深く掘り下げられていないのもお決まりである。1881年第2回イタリア旅行の直後に作曲されたこと以外は詳しく論じられない。作品のどこがどうイタリアに関係があるのかという議論が大抵置き去りにされている。
ブラームスのイタリア旅行好きは有名で1878年を皮切りに1893年まで全8回挙行されている。3回目の1882年だけが9月で残り7回は全て春先である。
一方でブラームスの作曲はほとんどが夏の間だ。ウィーンを離れる夏の避暑地で作曲されているのだ。第1回のイタリア旅行の1878年以降ブラームスは亡くなるまでに18回の夏を経験しているが、そのうちの7回はイタリア旅行明けだということに他ならない。大雑把に申せば壮年期以降のブラームス作品の3分の1強がイタリア旅行直後の夏に生まれたことになる。何故ピアノ協奏曲第2番ばかりがイタリアの影響を取り沙汰されるのだろう。
ブラームスほどの大家だ、イタリアの印象がその直後の作品にストレートに反映することは希だと思う。旅行を含む日常の生活の出来事が作品に反映することは無いと断言したいくらいだ。むしろそうした痕跡が顕著に現われることを恥としていた可能性さえ考えている。ブラームスがイタリア旅行にはまっていたことは動かし難いが、イタリア音楽に対しては冷静に距離を保っていた。
私ごときには、イタリアの影響など軽々しく論ずることは出来ない。
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