理性と心
ブラームスとドヴォルザーク共通の知人で、19世紀後半の楽壇に君臨したハンスリックが、この両者を評したたとえがある。出所がやや怪しい話だから鵜呑みは厳禁だが、興味深いことにかけては世界遺産級なので、言及しておく。
「理性と心のブラームス、心と理性のドヴォルザーク」
含蓄がある。言い得て妙だ。「理性と心」の意味は多様だから難解であることは動かし難いが、その分奥行きも味わいもある言葉だと思う。ハンスリックの立場が親ブラームスであると同時に親ドヴォルザークであるということは重要だ。2人への好意を下敷きにした喩えである。ハンスリック程の音楽評の大家だから大衆を納得させる言い回しについては、折り紙付きだ。平易なたとえを用いて事の本質を突くことが仕事でさえある。
理性や心がそれぞれどのようなドイツ語の反映なのか確認も必要だが、理性を知、心を情と置き換えたり、理性を形式、心を旋律と置き換えてみるのも一興だろう。2人ともそれらのバランスが絶妙であることが言い表されていると感じる。
与謝野鉄幹先生の言う「六分の侠気、四分の熱」を思い出した。
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