まともな方向
1896年2月のある日だ。
ブラームスは友人のホイベルガーと昨今の作曲業界というノリで意見を交わす。ドヴォルザークは、このときもブラームスから別格の扱いを受けている。
「放っておいてもまともな方向に進みそうなのはドヴォルザークだけ」と言っている。
ドヴォルザークはこのときもう55歳だから、さすがに注目の若手というニュアンスではなくなっている。音楽界の重鎮・大御所のブラームスには、最新情報が逐一もたらされていたはずだ。ブルックナーはもちろん、リヒャルト・シュトラウスやマーラーの作品も知っていた。それでいてなお、「まともな方向に進みそうなのはドヴォルザークだけ」という言葉は意義深い。ブラームスにとっての「まともな方向」を垣間見ることが出来るエピソードだ。
一方のドヴォルザークものんびりしている場合ではない。2月9日の記事「多分偶然」を思い起こす。1895年チェロ協奏曲、13番目と14番目の弦楽四重奏曲を発表した後、ブラームス風な「絶対音楽」の作品がパッタリと途絶えるのだ。1904年に没するまで8年の残り時間がありながら、彼の興味は完全にオペラや交響詩に絞られる。
ブラームスが「まともな方向」と口にしたとき、ドヴォルザークのこの路線変更が考慮されていたのか興味深い。
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