ボヘミアのブラームス
英国ジャーナリズムがドヴォルザークに奉った通り名だ。
ケンブリッジ大学からの再三の招請にもかかわらず頑としてドーヴァー海峡を渡ることを拒んだブラームスと対照的に、ドヴォルザークの渡英は生涯で9回を数える。
1884年ドヴォルザーク最初の渡英のときから、英国はドヴォルザークを暖かく迎えた。本人の指揮による「スターパトマーテル」が絶賛されることでもたらされた報酬は、別荘購入を実現させた。
第7交響曲初演を手みやげに訪れた1885年には、ほぼブラームスと同等の評価を勝ち取り、瞬間的にはブラームスの名声をかき消すほどだったという証言もある。
1891年のケンブリッジ大学学位授与の頃に、「ボヘミアのブラームス」という触れ込みがマスコミに踊ったという。
もちろん鵜呑みは危険だが、英国での両者の評価の一断面ではあり得る。少なくとも私にとってあまり違和感はない。
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