バッハとドヴォルザーク
このところドヴォルザーク関連の書物を読んでいて「おや」っと思ったのは、バッハへの言及がほとんど無いことだ。ドヴォルザークが若い頃オルガンを習っていた記事の中と、チェコ音楽の歴史を概観する記事の中に細々と現れるばかりだ。わずか8歳年長のブラームスの伝記には、おびただしい数のバッハへの言及が見られる。ドイツ生まれのプロテスタントのブラームスと、プラハ郊外に生まれたカトリックのドヴォルザークとではバッハへの距離が違うと言えばそれまでだが、それでもこの違いは極端だと感じる。その代わりワーグナーへの言及はブラームスよりずっと多い。
むしろブラームスこそが例外なのかもしれない。それが作曲家の個性なのだと思う。
バッハが書き残した組曲やパルティータが古典舞曲の集合体だということはよく知られている。ドヴォルザークはその手の古典舞曲こそ残していないが、フリアントやドゥムカなどチェコを含む東欧の舞曲を数多く残した。出世作スラブ舞曲の他チェコ組曲が名高い。交響曲や室内楽の中間楽章にこれらを手際よく取り入れている。バッハとは別系統ながら、屈指の舞曲書きだったと感じる。
そしてもう一つブラームスとの比較の中から浮かび上がる2人の共通点がある。生涯独身だったブラームスに対し、バッハもドヴォルザークも結婚した。バッハの2人目の妻はアンナ・マグダレーナだ。ドヴォルザークの場合、妻がアンナで1881年10月17日生まれの5人目の女の子の名前がマグダレーナだ。単なる偶然だろうとは思うが気になる。バッハもドヴォルザークも一流の作曲家である一方、家庭にあっては良き夫、良き父だった。
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