田舎のカントル
バッハの伝記や「のだめ」を読む限り、「カントル」と言えばなんだか神聖不可侵なイメージがある。ライプチヒ・トマス教会のカントルともなれば、王侯貴族と同等かそれ以上の有り難みなのだと思う。
ところがドヴォルザークの伝記を読んでいると、これまたそこいら中にカントルが出て来る。言葉は悪いが二束三文な感じである。トマスカントルとのイメージの落差が激し過ぎる。
それもそのはずだ。ドイツ、オーストリアやチェコの田舎では、村の教会のオルガニストが初等学校の校長先生を兼務というパターンが多く、そういう人々もまたカントルと呼ばれていたのだ。むしろそれこそが「カントル」本来の意義かとも思う。そういえばバッハだって教会附属学校の教育責任者だった。もちろんバッハほどではないが、そこそこの音楽家が子供たちの音楽の手ほどきをしていたと考えて良い。だからチェコでは首都のプラハ以外からも優秀な音楽家を多数輩出したと関連づけられている程だ。ドヴォルザークもそうした土壌の中から台頭したということだ。
思い当たる節がある。「対位法のよい教師はいないか」と尋ねられたブラームスは、「どこか田舎のオルガン弾きが良い教師になる」と答えている。妙に辻褄が合う。
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