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2010年3月 3日 (水)

テリンカ

3月1日の記事「浮いた噂」でドヴォルザークの伝記には、お相手の女性がなかなか現れないと書いた。妻アンナとその姉ヨゼファくらいだと申し上げたが、本日はその例外である。

1853年故郷ネラホセヴェスを離れてズロニツェへ進出し、当地の学校に通う。そこで音楽とドイツ語を指導したのが、アントニーン・リーマンという教師であった。楽器ならなんでもOKという芸風で、ドヴォルザークの才能をいち早く見抜いた。ここでの経験がドヴォルザークにとって得難いものだったことは、第1交響曲が「ズロニツェの鐘」と命名されたことからも伺える。

リーマン先生にはドヴォルザークと同い年の娘がいた。彼女の名前がテリンカである。

1888年に完成したオペラ「ジャコバン党員」の主人公ベンダは、リーマン先生だという指摘がある。ベンダの学校長兼音楽家と設定はまさにうってつけだ。劇中にはベンダの娘も現われる。その娘の名前は、テリンカになっているのだ。先生の娘を実名で登場させているということだ。

ドヴォルザークのいくつかの伝記を読んでもテリンカとのやりとりを初恋とまでは位置付けていない。けれども楽しい思い出であったことは確実だ。恩師への感謝はその娘の思い出とともに不滅になっているのだ。

「雛人形をさっさと片づけないと」云々の言い伝えがある。片づけが遅いのと面倒臭がって初めから飾らないのとどちらが効果的なのだろうと考えるいけない父親だ。

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